LV2
世界はすでに朝を迎えていた。
狭い窓から降り注ぐ、まどろんだような朝の光線がしばしばした目に痛い。ぐっすり寝たはずなのにまるで徹夜明けのようなのは、興奮しすぎたせいだろか。
俺はソロソロと部屋を抜け出すと、廊下を抜けると記憶では居間へと続くドアにぴたっと耳をつける。
いや、まるで泥棒みたいだが、なんつーかまだ記憶と心が混雑してて、自分の家だって感慨が希薄なのよね。
薄ーくドアを開けると、漆喰の白壁に縁どられた部屋に、樫の木でできた大テーブルが中央にドンと置かれ、向かって奥の右手には二階へと続く階段がある。俺から見て左手にはかまどが備え付けられており、そこには綺麗な女の人が朝食を作っている所だった。
「あら。おはようフレイ。もう起きて大丈夫なのね」
と、その美女が俺ににっこりと笑いかけてきた。
え、フレイって……あ、いまの俺の名前なのかな? そうか、俺はフレイか。
「どうかしたの?」
「う、ううん、なんでもないです!」
フレイ、フレイ。って、応援団のように確認してたら、その美女が俺の顔を覗き込んできた……うわ、ち、近いっすよ。
「そう? おはよう」
「お、おはよう、ございます……」
と、慌ててニッコリ笑い返すと、彼女は俺の頭にぽんぽんと手を置いて「どうしたの?今日は他人行儀に。変な子ねぇ」と、怪訝に言った。
……あぁ、たぶんこの気安さっぷりからして、この人が俺の母さんか。いや、なんか凄い美人なんですけど。べつに他意はないけど、心の準備もなく呼びかけられると、ちょっとドキッとするね。
ン? けど、俺もこの人の血を引いてるってことは……ヤッベェ、俺もついにイケメンの仲間入り?
「ホントに大丈夫なの?」
ニヤついてたら母さんはさらに眉を潜ませた。
あ、いえ、違うんです。僕は怪しい人じゃないよお母さん!
「……そう? でも、気分が悪くなったら無理しないで、ちゃんと言うのよ」
俺はニコッと笑って誤魔化すと、母さんはまだ憂いの残る顔で微妙に微笑んだ。
もしかして俺が馬に轢かれかけた後遺症とか心配してたのかな? 安心して。ちゃんと異常は出ているから!
「ご心配をおかけしてすみません。でももうわたしは大丈夫ですから」
撫でてた手がぴくりって止まった。
あ、あれ?
ソロソロと見上げると、母さんが気づかわしそうに俺を見てる。……心配させんように言ったつもりなんだけど? なんか俺ヘタうった?
う~ん、言葉遣いが丁寧すぎたとか……でも普段の言葉遣いってどうだったんだ。まだ、記憶がシャンとしなくて、わかんねぇんだよな。
ま、このくらいの子が、突然キャラチェンしても、子供の成長は早いわねぇ……で、済ませてくれるだろうからいっかな。
「ああ、フレイ! もう起きても大丈夫なのかい!」
背後から声がしたかと思うと、変な親父がドカドカと寄ってきた。
そしてなにを血迷ったか、その勢いのまま親父は俺様に抱き付こうとしてきたので咄嗟に飛びのいた。
なにしやがんだこの親父!
と、俺は突然、現れた痴漢を世にも冷たい目で睨んだら、親父はなぜかきょとんとした顔をした。
「どうしたんだいフレイ? いつもは父様~! って喜んでくれるのに?」
「え!?」
……ガチで?
俺はこんな中年太りした、胡散臭い親父にまで愛想を振りまくいい子ちゃんだったの?
今世の俺はフレンドリー過ぎやしない……?
「あ~…………そ、そう! 急に馬かと、思ってその、びっくりしちゃって」
「そうなのか! ……すまんな急に怖がらせてしまって! さぞや怖かったろう!」
と、親父は、悲痛に顔を歪めさせた。
……いや、たぶん信じたくはないけど、この気安さっぷりからしてこれがウチの父さんだと思う。
なんか、うちの母さんと、父さんと対比させたら、その格差に驚くな。
母さんはどっから見ても西洋人風の顔たちで、儚い系の正統派金髪美人。一方の父さんは人類というより、カエルに近いな。いや、肌は浅黒くて丸顔なんだけど、いったいどういうセンスの持ち主か、口元に似合わぬチョロ髭を垂らしていやがる。
なんか、二人が並ぶと夫婦というより、詐欺師に騙されてるいいとこのお嬢様って感じ。……まさか現在形で詐欺にあってんのかな。
「どうかしたのかいフレイ?」
これが、俺の父さん……と、落胆の目で見てただけだから。気にしないで。
「いえ、なんでもありません」
「そうかそうか!」
笑って返すと、父さんはなんかいいことがあったみたいに首をぶんぶか振った。なんか俺の笑顔が見れて有頂天になってるみたい。
……我が父ながらすっげぇ単純思考だな、おい。一人息子相手にちょっと子煩悩すぎやしない? べたべたしてさすがにキモイんだけど。
父さんとの距離を微妙に空けるように椅子に腰掛けると、ちょうど朝食の支度が整い、お鍋を持った母さんが、食卓に置かれた木皿にスープをいれていく。
……おぉ、これが異世界初の食事か、って思うと感慨深いものがあるな。でも、スープがそれお湯じゃね、ってぐらい白色透明で、匂いも漂ってはこないのは気のせいかしらん。
「じゃあ、いただこうか」
父さんは朗らかにそう言って、ちぎった黒パンをスープに浸して口に運んでいる。
へー、ああやって食べるのな。にこやかに喰ってるし、俺の杞憂だったかもね。じゃあとりあえず、とスープをひと口啜った。
(…………ただの白湯じゃん)
俺は常々、炊き上げた銀シャリに「味がしな~い」とか言うやつを見かけたら、ぶん殴りたい大人の衝動に駆られる。味がついてない食事があるわけねぇだろ。白米の味がちゃんとついてんだろうがゴラァッ! と。
味がないなんて苦労して作ってるお百姓さんに申し訳ないと思わんのかね。と、やるかたなき憤懣で茶碗三杯はがつがつたいらげる俺ですが、すみませんこのスープ味がしないです。
強いて言うならお湯の味?
ぐぉおお!? しかも後味が壮絶に苦いぃ!?
なぜだ? 味がしなかったはずなのに、どこにステルスしておった……って、これは申しワケ程度に浮かんでる野草のえぐみの仕業か。なんてこった! こいつのせいで彼方にチラッと垣間見えた、我が艦隊(塩味)が駆逐されていく……!
こいつは味がしないってレベルじゃねぇぜ。
壮絶にマ・ズ・イ!!
だれだよ、こんなマズイメシを作りやがったヤツは! 料理人を呼べ!
って、そこで食事を楽しそうにとっていらっしゃいますね。
……そうですか、この世界では平常運転ですか。
(……喰えたもんじゃねえな)
な~んて言えないよなぁ。
だって父さんたちが普通に喰ってる食事に文句を垂れるなんて、普通に痛い子だもん。
あ~あ、着てる服も継ぎはぎだらけなのからして、貧しい家庭ってのは予想してたけど、ここまでとはなぁ……なんかパンまで石ころみたく固いし。だから親父はスープに浸してたのね。
あ、まてよ。
これを浸せば苦味が減って……そんなことないね。
パンもスープもマズイわ。
メシを胃に流し込む作業をしながら、少しでもこの世界の情報を得ようと両親の話に耳をダンボにした。
しかし、隣のダンカンさんが~、塩の値段が~、って世間話のいきを出なくて、こちらの機微に触れる話題にならない。しかも耳慣れない単語ばっかで、話の流れがチンプンカンプンだ。
せっかく広げたダンボ耳がしゅんとなりかけた時、唯一、オッとしたのは、「勇者様」って単語だ。
「近頃、勇者様が直々に森へと狩りへ出かけるそうでな」
「あら、そうなの?」
「あぁ、自警団の若者が目をキラキラさせて、喜んでおったよ。どうせなら、とても強い魔物が出てくればなぁ……なんて言ってな」
「まあ。魔物が出るのを喜ぶなんて!」
「はははっ、ジョセフ様にも同じことを言われて拳骨を貰っておったよ。まあ、いずれにしても勇者様にかかれば、どんな魔物が来ても、この村は安泰だろうがな」
ガハハハッ、と父さんがなぜか得意げに笑った。
……勇者、ねぇ。
気安い話しっぷりからして、この村に住んでるっぽいが勇者なんてありえなくね~? だって、こんな冴えない食事しか出せない貧村に、そんな大物がいるわけないっしょ。どうせ、ゴブリンを倒せる程度のパチモンだろう。
しかし、日常会話でも苦労するぐらいじゃ、俺の異世界ライフは前途多難だな。
栄えある生活への第一歩に、なにがなんでもまずは文字を覚えないと。家に辞典かなにか置いてあればいいけどなぁ……。
それから俺の英知でこの極貧環境を改善する。
それから俺の夢であったパティシエにもなる。
それから忘れてはいけない魔術!
魔術!
いいね~、異世界の華だよなぁ! いや、俺がこんな極貧環境で明るいのもこの唯一の希望のおかげだ。これはなにがなんでも習わんといかん。
魔術も使えて、美味しい菓子も作れて、英知に溢れたマッチョな男。
どうだろう皆さん。
こんな男がいたらモテないワケがありませんよね?
……視えるみえるぞ、俺の道行く果てにある黄金のハーレムがっ……!
こりゃ、やることが多すぎて一秒も無駄にできねぇな。
マズイ食事にピリオドをつけ、食事の後片付けを手伝う。「あら、今日はいい子ね」と、母さんに褒められつつ、えへへ、と気を良くする。今日からは新フレイでやってきますからね。
「今日は寒いから、向こうのお部屋で着替えてらっしゃい」
と、着替えを受け取った。ふむ、これは羊毛仕立てなのかな。いま着てる寝間着がわりの麻のシャツよりモコモコして暖かいね。
俺は早速、着替えるべく子供部屋に戻って服を広げた。
が、
「――なんだこりゃ?」
上着のはずなのに、びろ~んて広げた服の下裾がやけに長い。
……これ、ワンピースだよね。
念のため、俺の言ってるのは海賊マンガのことでなく女性専用の服飾品のことだ。
母さんが取り違えたのか。でもこれ俺でも着れるサイズだし……。
あれ。
俺なんか大事なことを忘れてる気が……。
……
…………
……………………
なんだろう、この嫌な感じ。
トロ火で炙られてるような不安感が胸いっぱいに溢れてくるんだが。
あぁ、落ち着こう俺。
こういう時は、ゆっくり深呼吸してからトイレだ。びろうな話しで恐縮だが、実は食事のときから催してたっていうか、もう我慢の限界にきたしているのね。
胸騒ぎのことも気にかかるが、その前に小用を済ませるべく部屋を出た。えぇい厠はどこか!? 場所がわからん。俺はおもらしの屈辱と「おしっこ」と母さんに泣きつく幼児プレイを余儀なくされる屈辱とを天秤にかけて、後門に狼を進んだ。
「え、トイレ? なに、そんなことを忘れちゃったの?」
「え、ええ」
「もう。ウチにはないわよ」
トイレがないって? じゃ、どうやって人は用をたすんだよぉ!?
「共同トイレなら村の中心にあるけど……間に合いそう?」
いえ、膀胱がSoSを発しております! と、もじもじ態度で示したら母さんはくすりと笑って「じゃあ草むらでしてらっしゃい」と言って、洗い物に戻った。
ガチで?
仮にもシティボーイで馴らしたこのワタクシが立ちションなどと……って、えぇい! いまは危急の時だ!
外に出ると、牧歌的な田舎の風景が広がっていた。ホントに異世界なのな。っという、感慨に目を奪われることなく、鬼の形相で家の背後の草むらに駆け込む。そしてズボンを下ろして始めて気がついた。
ない。
俺は愕然としてなんども見下ろした。しかし、男の股についてるはずの”アレ”がなかった。
「なぜだっ!?」
なぜだ、どこに落とした!
何度見下ろしてもそれは確かになかった――いやなにを言う。漢がこんな大事なものは落とせるはずがないではないか。ならば、だれがどうした!?
その耐え難き事実に慄然と震えた声で「チェリー、俺のチェリーボーイ!」と、姿なき息子を呼びかけた。しかし、ひょっこりと股から顔を出すワケもない。
「……いったいなにがどうして、どうしてこんなことが」
こんな悲劇が起こり得るの。いや、俺の身になにが、
――はっ、転生。
俺はなにに転生した?
フレイという名の「男の子」か。それとも「女の子」か。
「まさか!?」
俺はなにも失ってはいない――と、先に述べた。
しかし、それはただの思い上がりだった。
俺は大事な家族を失っていたことに気づかない阿呆だったのだ。




