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LV176

「……ねぇ、フレイ大丈夫?」

「……なんとか」


 疲弊しきった声に片手を上げたが、厨房台に突っ伏してたボギーは、へなっとしおれた前髪をフーッと溜息で遊ばせてる……はは、片手を上げるのさえ億劫なのね。



 あの後、陛下たちがお帰りになられた後、通りの向こうにはけてたお客様が、闘牛の群れみたくに店に突入して「昼休みってなにそれ?」ってな感じに、私たちは汗みどろで働き通した。

 そして先ほど、最後のお客様を見送って、今日の営業は終了。

 どんだけお客様が殺到しようとも、ケースのなかは空っぽ。作る材料も同じく空っぽ。


「それはつまり?」

「つまり?」


 夢に見た、完売!



「やったーっ!」


 うわっ、とと!? ちょ、ぼ、ボギーってば急に飛び付いて危ないっての。てか、目が潤んでて泣いてるし。うんうん、わかってるさ。店が上手く行くかって、ずっと心配してたものね。

 でも、私は言ってましたでしょ? 我が実力をもってすれば民衆たちの腹を膨らませ、その銭をかすめ取ることなど容易いとな……。ぬわぁーっはっはっはっ!



「………………ふたりともお疲れさまでした」

「いぃっ!?」

「た、ターニアさんっ!?」


 背筋がゾクッと、きたと思えばターニアさんかよ!

 ……また気配もなく私の後ろを取るだなんて。暗い雰囲気といい結ったお団子のほつれ髪といい、もはや亡霊なみのステルス能力だわ。これでは迂闊に高笑いもデキやしないわ。


「……あぁ、びっくりさせてすみません。でも、驚いたのはわたしの方ですよ。上に居ても下の騒ぎがわかるぐらいで、ほんとに凄い盛況ぶりで」

「す、すみません。下で騒々しくして今日はパン屋さんはせっかくのお休みなのに」

「…………いいぇ、ぜんぜん構いませんよぉ、ただ……」

「ただ?」

「……ウチの店だと一週間どころか、二ヶ月も半年も一所懸命に店を開けたって、こんなに来ていただけないだろうなぁて思ったら、ウチの店とかわたしの人生とか、ほんとなんなんだろうなぁって考えちゃって……フッ、フフッ、フフフッフフッ」

「「…………」」


 …………如何しよう。 さっきまでの達成感が空の彼方にすっ飛ばす、この淀みきった暗黒の気配。ターニアさんの背に怨念というか、人魂がふわふわ漂ってるような……い、いや、私の気のせいですよねきっと!


「……あ、すみません、こんな暗いお話しをしちゃって。そうだ。店は明日も開けるのでしょ。もしお手伝いが必要でしたら、遠慮せずに声を掛けてください。わたしたちは上で暇をしてますからね」

「あ、どうもです」


 つっても、厨房もフロアも人手が足りないというより、手持無沙汰な感じなんだけどね。むしろ、菓子をもっと作るべく窯を増やしてくれませんか? なんて、設備の増強を願うにもパン屋さんの経営的に厳しいだろうし……もごもご。

 私が愛想笑いしてたら、ボギーが遠慮がちに「あの~、ロティ君は姿が見えなかったんですが」と訊いた。


「……ロティ? あぁ、あの子は朝からずっと部屋に籠ってて」

「そうですか」


 と、物憂げに言うターニアさんに、ボギーも考え込んだように黙ると、ターニアさんは「……お疲れの所すみません。それじゃまた明日」と、最後まで腰を低く、そして幽霊っぽく戻って行った……暗黒の瘴気が薄らいだね。

 その姿を見送ると、ボギーはホッと吐息を漏らすと、


「ターニアさんもあんなやつれる程に思いつめるなんて、やっぱりパン屋さんはタイヘンなんだろうね」

「でしょう。王都ともなれば、競争相手はゴロゴロとおりますからね。経営を続けるのは至難の業。我々も気を引きしめていかないと――ってか、ボギーも、いきなしなんです?あんな小生意気な少年のことを聞いて。まーだ気にしてるの? あんなの放っといても構わないでしょうに」

「それ冷たくない? せっかくなら皆で仲良くしていきたいでしょ?」


 ……もう、相変わらずの優等生ね~。

 まぁいいわ。

 口喧嘩する元気もないし、さっさと明日に向けての準備と片づけをしちゃいましょ。


「こんちわー」


 と、お片付けをしてたら、店のドアが開いた。

 あ、だれかと思ったら、シャナンにジャンにヒューイまで、朝方ぶりだね。絶対来るから! とか言ってたのに、ずいぶんと遅い来店じゃないの。って、まさか、特売ハンターならぬ、閉店セール狙いっ?

 こちとら、丹精込めて作った菓子だ、安売りする気はねぇですぜ! と、私がによによと視線を向けたら「違うって」と、シャナンが呆れたふうに眉間にシワをやった。


「……もっと早く来るつもりだったけど遠慮したんだよ。陛下も店にやってきたんだろ」

「え、なぜソレを!?」

「でかでかと王家の紋章が入った馬車が、通りに止まってたらそりゃわかるさ。事情も知らない人たちも、何事かっ? って、その馬車だけで長蛇の列になってたんだよ」

「……うーわー」


 それ、なんてありがた迷惑――あいや、なーんてありがたい宣伝効果でありましょう。


「ボクらも一見して買うのは無理だな~って、わかったからフレイのお菓子は、残念だけど諦めようって。食べれなくてちょっと残念だけど、盛況だと嬉しいな」


 と、ニコラは人の良いホクホクした笑顔をした。


「ほんとだぜ。ずっと楽しみにしてたのにな。あーあ、閑古鳥が鳴いてたらどう励まそうか~。なんって、シャナンも気が気じゃない感じに話してたんだけど」

「ジャン、黙ってろ」

「……ハイ」


 そーですか。楽しみに来てもらったのに、残念だ。実際、シャナンたちが来るだろうな。と、予測してたけど、あの目をギラつかせた戦士たちが集う戦場では、菓子を売らずに隠しておくことなんて無理だったのです。

 それでも、買えずに帰られたお客様も他に大勢いるってのはやはり残念だ。そのニーズに答えたいものだが、如何せん作る量に限界があるし、難しい悩みだわ。


「け、けどさぁ、ボギーさんは凄げぇよ。店を始めたばっかりで、女王陛下まで来られる店にまでなるなんて、前代未聞だよ!」


 と、ジャンがボギーに向かって、どもった感じで言ったのに、ボギーはいやいや、と慌てて否定するように手を振った。


「へ、そんなあたしが凄いワケじゃないですよ。フレイの菓子のおかげで……」

「いやいや、フレイのお菓子も凄いけど、店のレイアウトがやっぱ雰囲気いいんだよ! また、来たいなぁ。なんて思えるような感じ? そ、それにその制服も似合うしさっ!」


 ジャンがどもったように言うと「な、な?」と、皆に賛同を求めるみたく言った。

 ……鼻の下が伸びてるし。

 と、私は呆れていたら、まあまあ、とヒューイに肩を叩かれた。


「そう怒らないであげてよ。ジャンもフレイのお菓子を楽しみにしてたのは本当だから」

「ほんとに?」


 と、笑顔でジャンのフォローをするヒューイに詰め寄ったら、少しくはにかんで頷いた。……うん、まぁこうして集まってくれただけでも、嬉しいけどさ。

 と、私がぽりぽりと、頭を掻いてたら「エヘンッ、と、シャナンが咳払いをすると、


「で、なんでまたトーマスさんが黄昏てるんだ?」


 と、シャナンは疑いのこもった目を、悲痛な面持ちで突っ伏すトーマスさんに向いた。

 むむっ、めざとくもその頬についた手の痕に気付いてか?

 いや、それは私の犯行じゃないですよ。ご自分で呼び寄せた淑女様に色目を使ってたら、他のレディから頂戴したそーで。まさに自業自得でしょ。


「……フッ、いいんだ。オレをどう罵倒してくれたって構わない。子供にはわからないだろうが、これは漢の勲章……オレはただ、この店とそして有望な子供たちの前途を開くため、こうして身を斬る犠牲を払った。それをわかってくれるヤツがたとえ少なくたって、きっといる!」

「見境なく呼び寄せたってだけでしょ?」


 トーマスさんは髪をかきあげて余裕を吹かしてたけど「男なら分かってくれるなっ! なっ!」と、力説しても、シャナンたちにサッと目を逸らされてた。当然の帰結ですよねぇ。

 てか、トーマスさんが連れてきた淑女様方はほんと迷惑でしたよ。

 忙しいのにわざわざ厨房にやってきて「ハン、貴女があのフレイ様? トーマス様とは年齢が違い過ぎるじゃないかしらん?」と、この乳臭い子供風情が! みたいに挑戦的な物言いをされたりして。私を恋敵とでも思われるなんて、とても心外です。


「トーマス様もそろそろ年貢の納め時ですよ。だれか、これ、というお方とマジメで真摯なお付き合いをされた方がよろしいかと存じますが」

「オレん家の爺やみたいなこと言うの止めて!?」

「なんだ。トーマス様にも有意義なアドバイスをされるお方がいらっしゃるんですのね。まぁ、その甲斐があるのか知りませんが。あ、もし爺やで不足なら、ボギーん家のジョセフをお目付け役として――」

「嫌だっ!? オレはまだ独身でいたいのっ!」


 いやいや、とトーマスさんが、首を横にぶんぶかと振った。

 そのがちがち、と震える肩越しに「ジョセフを雇いましょうよ~」と、詰め寄ってたら、ボギーに「めっ!」と、お叱りポーズで指を突き付けられた。


「勝手にウチのおじい様の就職先とか決めないの。それに、トーマス様の身の処し方なら、陛下からいただいたありがたい話しがあるじゃない?」


 ギギッ。

 と、トーマスさんのみならず私の心臓が身動きを止めた。

 ……まさか、まさか。ボギーたん、あの話に乗り気なワケじゃない、よね。


「なぁに? 乗り気もなにも、すでに決定事項でしょ。なら、どーんと受けるしかないじゃない。フレイのおみ――」

「ぼ、ボギー!? 待った、待った!? そ、そのお話は、今日の所はしないやくそくでしょ!? ね、ね、疲れてるんだし、それは百年後にでもゆっくりと聞くから――」

「それじゃフレイの嫁入りが一生できないでしょうがっ!!」

「「えっ?」」


 と、声を挙げた、シャナンたちにボギーは訳知り顔で「えぇ」と頷き、


「実はフレイたちにお見合い話しが持ち上がってるんです」


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