LV173
そんなこんなと私たちは店の開店準備を整え、そして今日いよいよ開店日を迎える。
「今日からあたしたちの伝説――が始まるのね。この店を必ず繁盛させて、あたしたちの菓子を、この世界全土に広めてみせるから。見ていてくださいね、ジョセフおじい様!」
「…………」
……ジョセフはまだ死んでないのに見守るもなにもないでしょ。
跳ねのけられて、こちらの顔面を直撃した布団を退けると、ボギーはそんなことも露知らぬずに輝いた目を寮の天井を見上げて、両手を組んでいた。
やれやれ、朝ッぱらからボギーの熱血スイッチが全開なのな。と、白い目でよくよく顔を観察すれば、その目の下にクマができてる。このテンションは徹夜明けが原因か。
昨日は一日中ずっと緊張してたし、夜もなかなか寝つけなかったのか、ベッドでもぞもぞ動いていたもんなぁ……あ、私? もちろん、ボギーの分までぐっすりと眠れましたわ。
しかし、ボギーは徹夜明けのテンションがMAXのようだが、大丈夫なのかしらね。
「大丈夫よ! もう気力がみなぎってもう全開だし、どこからでも掛かってこいって感じよ。むしろ、朝から身体のお清めに滝にうたれたい気分?」
「風邪ひくだけだって」
その飛ばし過ぎが逆に心配なのだよ。
工程表では、私は厨房にこもりっきりで菓子製作。ボギーはフロアで接客。
と、どちらもそっちに付きっきりで、ミスしてもフォロー出来ないんだからね。
やる気があることは良きことですが、一日は長いんだし、身体がバテないようちゃんと配分を考えないとダメよ?
「わかってるわかってるって。ね。早くパジャマから着替えてお店に行かなきゃ。ほら、フレイも早く早く!」
「…………」
ボギーがいそいそと、先週の休みに買ってきた”制服”をビローンと広げた。
……それに着替えろ。と、本気で仰ってますのね。
それは、スカイブルーのワンピに白のエプロン。それと赤い蝶々結びのリボン――と、まるで、ふしぎの国の少女さんだ。このチョイスは当然、私の趣味ではなくボギー押しの結果である。
いや、おかしいよね。
ボギーの話しでは、トーマスさんの悪趣味に付き合わされぬよう先手を打つ、はずが、当事者がより過激なファッションに挑むって。なにかが逆転してるわ。
私はその点を服屋さんの前で激しく主張したが、ボギーはツンとした澄ました顔をして、「べつにこのぐらい派手じゃないでしょ? せっかくだし、お店の外観と同じトリコロールカラーに合わせなきゃ!」と、制服を離さなかったが、その店長の専横ぶりに、従業員の人心が一歩離れた。
ともあれ、不満の残る制服に袖を通して、私たちは自室を出た。
寮内はまだ朝靄の明けきらぬ時刻とあってか、ひっそり鎮まり返っている。なんだか、こうシンとした朝の空気には、微妙に心が高ぶってくるものがある。
無論、やっちゃいけない、と理性が待ったをかけてくるが、こう無機質に並んだドアを勢いよく開けて「起きろーっ!」と、ドラを打って回りたくなるという大人の衝動。いや、寮生さんたちの顰蹙をこれでもか、と買うのでやらないけどね。
私は静まり返った食堂を見回し――はたっ、と気づいた。
いっけない。
私としたことが、こんな重大事を忘れていたなんて!?
「ね、ねぇ、ボギーたん! こんな朝早くからじゃ、食堂は空いてないよ! ……わたしたちの朝飯はどうしたらいいの!?」
「……昼まで我慢しなさい。ダイエットにちょうどいいから抜きよ、ヌ・キ」
……ま、マジでふか。
我々はダイエットが必要なほど太ってないよぉ!?
待って、行かないで! と、食堂から遠ざかろうとするボギーの袖に、コアラの如く抱き付きうるうると涙目をして見上げたら、
「……新たな門出を、せっっかく格好良く決めたいのにこの娘ってば……」と、こめかみをひくひくさせていた。いやだってよ。見栄や、格好良さでは食欲は引っ込まないって。頭を働かすにも血糖値が足りないと、倒れちゃうわ!
「いいから行くの!」
と、私の腕を持ったままにボギーにズルズルと引かれていった。
ちぇっ、しょーがない。お店にいったらいの一番に余りのパンを頂こう。パン屋さんはお休みとはいえなんかあるっしょ。
軒をお借りした貧しいパン屋から、如何に朝食を強奪せしめるか、と皮算用を立てていたら、ボギーはさっさと正門へと歩いてる。
わわっ、ひとりじゃ危ないよ! と、私も走って追いかけると、頬にビシビシとあたる風が冷たい。もう春の息吹がそこかしこに感じるのに、薄暗いうちはまだ冬の支配下だ。
私たちは、学院の門に差し掛かったら、薄暗いなかに四つの人の輪郭が浮かんでいた。え? 守衛さんは、もっと奥の正門についてるはずだが……な~んか、言い合いをしてるようだが……この声はもしや?
「いいから帰れよ。これはローウェル家の侍女の問題は、ローウェルの問題だ。他家の口出しだとか、増してや手助けなんてのは一切ご無用だっ!」
「そんな邪険にしないでよ。ぼくはただフレイたちの安全のために護衛を買って出てるだけだから。ローウェルだの家だのとか関係ないし? それにジャンや二コラは良くって、ぼくはダメとか二重基準は良くないと思うな」
「ハイハイ。オマエらこそ喧嘩すんなら帰れっての。こんな朝っぱらから、ギャーギャー、と押しかけて迷惑じゃん? ふたりの護衛ならオレに任せとけって」
「……ジャンはフレイより弱いのに護衛もなにもあったもんじゃないだろ」
「一番言っちゃいけねぇこと言ったッ! こっ、こういう時に大事なのは、実力じゃなくて、心意気を買えってもんだよっ!?」
「ソレは単に足を引っ張るだけだろ」
「うっせえなっ!! オレだけで不足なら、ニコラも付けるし! てか、オレの目的と、オマエらの目的とは重複しねぇだろうがっ!!」
「……ボクはジャンのおまけじゃないんだけど」
……あの四人の正体、おぼろげにだがわかったわ。
「あれ、シャナン様や、ジャン君たち、だよね?」
「……えぇ、つーか、こんな朝っぱらから喧嘩とか。なにやってんですかあの方々」
「……さぁ?」
ボギーと互いの顔を見合い、はてな、と首をかしげる。
まぁ、いずれにしても、こんな朝早くからギャースカ、と騒がれちゃ迷惑よ。守衛さんが駆けつけてこられたらどう説明すんのか。
「こらーっ、喧嘩は止めなさーい!」
と、私は手をメガホンにして仲裁に入ると、四つの影はギョッ、と身をすくめて逃げ出そうとしたようだが、こちらの正体に気付くと――
「なんだフレイじゃないか」と、ヒューイが破顔して爽やかに挨拶をしてきたが、その隣ではシャナンは嫌そうに腕組みをしていた。
「えぇ、ごきげんようシャナン様、ヒューイ様……それとおまけの方々」
「オレらはおまけかよ!」
顔を赤くしたジャンと、とほほ、と肩を落とす二コラをスルーする。忙しい朝に喧嘩して人の時間を潰す連中に慈悲はない。
「こんな所で皆さんが勢揃いして、驚きましたよ。いったいなにをしてらっしゃるのです。というか、なにを、喧嘩してたんです?」
「べつに大したことじゃないんだけどね」
「……そうだよ」
シャナンがやけにやさぐれてるな。
「……大したことじゃない、って。こんな朝に集まってるのに?」
と、私がシャナンににじり寄っても、顔を逸らされた
……人と話すときは、目を見て話せ! と、向き合おうと、シャナンの前を行こうとしても、ササッ、と逸らされた。
チッ、だれか他に説明してくんない? と、私が目顔でヒューイに聞けば苦笑したまま、
「ごめんね。騒がしくって。今日からフレイたちのお店が開くでしょ? だから、今日は皆でふたりをお店まで送迎しようって話してて。ほら、こんな暗いうちに女の子ふたりだけなんて、不用心だからね」
へー、そうなん。いやいや、それは有難いことですが。
「どーしてあんな罵り合いに発展してんですか」
「…………」
だんまりかよ!
「ま、まぁ、暇だったから? 少しじゃれてただけっつーのか。ほ、ほら、それよりも早くに行こうぜ! ちんたらしてっと、日が落ちる……いや、日が明けちまうぜ!」
と、ジャンはあからさまに話を逸らすと、皆の背中を押した。それに追従するように、ヒューイや二コラも、ほらほら、と歩いて行く。ボギーもそれに怪訝に眉をひそめたが、押し黙ったシャナンの後をついていった。
……な~んか怪しいな。
目的に重複しないだのって、話してたのに。このあからさまに逸らす態度……。
あ、さてはこいつら。我らがお店の新装開店セールを狙ってたりして!
いやいや、先着一名様に、お菓子をサービスプレゼントとかやらないよ? うちの店は零細企業なんだから、出血してたら即死ですからね。




