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LV16

「やあ、やっと来たか」


 嬉々とした表情のトーマスさんが待ちわびたかのように軽く拍手した。

 客間には領主一家にトーマスさんやジョセフ、それから侍女のハンナさん、と今日の試食会に参加する人たち全員が揃っている。

 俺が持ちこんだトレーに衆目が集まると、さっきまでの和やかな談笑が一転して無言の気配。……うぅ、い、胃が絞られるように痛くなってきた……この沈黙は興味を引き寄せられたって思いたいが……まさか面倒、とか思ってたり、しないよね?


「緊張してるの?」

「え?」

「顔がこわばってるからさ。取って喰われるのは君じゃなくて、そのお菓子なんだから。ほら、リラックス、リラックス!」


 ははは、とトーマスさんがおどけたふうに笑った。それに笑い返したつもりなんだが、どうも頬の筋肉が硬直したみたいで動かない……これじゃ父さんのこと笑えんな。

 しかし、菓子の方は問題はないはず。

 オーブンに熱せられてる間、なんどもなんども自分の踏んだ手順にミスはなかったか、反芻を繰り返したが、どこにも不手際はなかったと、窯から出した瞬間には確信したのだ。後はもう、信じるだけだ。


「大丈夫です。最高の菓子が作れたと自負してますので――ね、父さん!」

「うひっ!?」


 肩を軽く叩いただけなのに、妙な跳ね上がりしたな。てか、その声どっから出たのよ。……もう、一応は料理人という体なんだから、不安そうな顔は止めてよね。料理にまで苦味が移っちまったらどうするの。


「じゃ、前置きはいらないからとっとと、試食会を始めましょうかね。この美味そうな匂いからして、外れってことはなさそうだしね」

「ハイ!」


 トーマスさんに軽く頷き返すと、転げないよう慎重にトレーを応接机に置いた。

 そして、菓子を覆い隠してる布巾に手を掛けかけ――不意に、対面に腰掛けたシャナンに目がいった。その真剣な表情はすぐ近くにあって、アイツはらしくもなく身を乗り出していたのだ。

 いったいなんのために?

 俺との賭けの勝敗のためか、それとも俺に、この菓子に期待をしてるから?

 デキるなら、両方であればいいな。




「――お待たせしました。これが代々に伝わりし菓子カステラでございます」



 バーン、と俺が自信をもって告げると「かすてら?」と、驚きを持って迎えられた。

 トーマスさんは「へぇ」と、顎を心持ち逸らさせ、ひと一倍好奇心の強いクライスさんも興味津々な様子で「……うぅむ。見た目はパンケーキのようだが?」と、仔細に見分してる。


「けど見て、生地の厚みが全然違うわ。どうやったあぁなるのかしら?」

「たしかに。アレと比べてはウチのパンケーキはなべ底の蓋みたいなものだ。根本の作り方からして違うものなのだろうか?」


 ……ホッ。どうやら、掴みはバッチリですね。

 いや~、この膨らみに驚いていただけてるようですね。ほんとこれを作るのに苦労したんだよ。材料を揃えるのから、器具の問題だとかね。

 クライスさんが、しきりに”パンケーキ”っていうのも、四角形の型がなかったから、パイ生地の型を代用して、なべ底めいた丸形になっちゃったしね。

 カステラの相違点は他にもあり、ピスキュイ仕立ての生地の色も、上下を挟んだザラメに近い、少し暗い感じのブラウン色だ。

 かろうじて手に入れられたのが、黒糖しかなかったせいなんだけど、まあけがの功名というか、焼き上がりの風味も香りに角が立つぐらいで、味わい的にはいい仕上がりになってると思う。



「さあ見ているだけでは味はわかりませんので。どうぞご賞味ください」


 そそくさと人数分に切り分けると、早速とばかり手を付けられたのはエリーゼ様だった。パクッと頬張ったまま固まり、顔を綻ばせると「美味しい」と、思わずといったふうに頬を手で押さえた。


「とても美味しいわ。このカステラ……しっとりして柔らかい、とても優しい味」

「ほんとだ。なんでしょうこの味は。こんなものは始めて食べましたよ」

「これは……菓子とはこんなにも美味いものなのか」


 口に含んだカステラの甘味が言葉に変わったように賞賛の声が次々に挙がった。

 女性陣ははしゃぎながらも惜しむようにカステラを切り分けている。あのジョセフまで猫みたいに満足げに眉を細めてた。父さんも恍惚とした表情でカステラを頬張っている。


 ……ふぅ、事前のリサーチの甲斐があったかな?

 あらかじめこっちの世界の菓子のことを、エリーゼ様に根掘り葉掘り聞いていたけど、最後まで確証は得られなかったのよね。

 なんたって、俺はこっちの世界では菓子のひとつも見たことがないし、田舎で甘味物といえば、もっぱらフルーツを干したものが常だ。


 頼み込んで訊いた限りだと、エリーゼ様の菓子のイメージの悪さばかりが伝わってきた。

 というのも、菓子というのは、高い値段の割に対して美味くもなく歯が折れそうなぐらいに堅い物――だそうだ。

 どうして? と、詳細を訊けば、どうもこちらの世界ではイースト菌やパン種を菓子の方面への応用もなく、ビスケットやクッキーといった焼き菓子の類がほとんど。その上、貴族たちは「贅を極めるのが食通」と砂糖をどっさり用いるので、甘みだけで歯痛が起きる程の量を用いるのだとか。


 清貧の思想で育ってきた巫女のエリーゼ様は、そのくどい甘味が好みに合わないのか、「私はあまり菓子は好まないんだけどね」と、浮かない顔をされて、俺のトーマスさんへの挑戦は無謀だ。って止められたんだけどね。

 でも、俺的にはそれを聞いて、有頂天で小躍りしたくなりましたよ。神風が俺に吹いている! ってね。皆の反応を見やるに、俺の企ては大成功だ!


「クライス様、どうでしょうか。カステラのお味は?」

「うむ……菓子といえば、くどい程に砂糖をきかせたものしか知らなかったが、これなら私もうまいと思える」

「だよな。この上のザラザラって砂糖を焦がしたもん? コレ香ばしくって味にいいアクセントを加えてると思うよ?」

「……ということは、トーマス様」


 もしかして、もしかすると? っと期待にソワソワして目顔で聞くと、トーマスさんはやに神妙ぶった顔が、急にニパッと輝かせて頷いた。


「うん。合格だよ。フレイちゃんの言葉に偽りなしだ。こんな菓子はいままでに味わったことのないスッゲー味だよ。ウチの商会が直々にこのレシピをお買い上げさせていただくことをお約束いたします」

「ホントですか!?」


 うぉおおっ、やったーっ!

 飛び上がって父さんの肩をぺちぺちと叩いたけど、父さんはへなへなと魂が抜けたように尻餅をついた。なんだよ、だらしんないなぁ? だから、大丈夫だって言ったのに!

 俺は気の抜けた父さんの代わりに、労ってくれている領主様たちひとりひとりに、丁寧にお礼を重ねった。滅多に褒めてくれないジョセフからも「美味かったぞ」という労いまでしてくれた。


「ありがとうございます。これも皆さんのおかげです!」

「こちらこそ、美味しいお菓子をありがとう」

「ハイ!」

「じゃあフレイちゃん、約束の金を持ってこなくちゃなんないんだけど、あいにく大金だし持ち合わせがちょっとね……だから、取りあえずの手付金ってことで、受け取ってよ」


 ハイ、どうも? うわっ、結構ずっしり……って、き、金貨が30枚も!?

 て、わわっ、えっと、たしか金貨一枚で1000Folって単位だから、手付金どころか半分の支払いじゃないか!? ちょ、こんな大金を普通に持ち歩いてんのかよこの人!?

 ……って、あかんあかん。正直に返すのが惜しいんですが。こんなの貰ったら人がダメになる。


「あの、トーマス様には申しわけございませんが、これは受け取れないです」

「え? なに、遠慮しないでいいって。

「いえ、お金は結構です」

「はぁ? いまさらにいってんの。それか量が多くて、不安だった?」

「そうじゃないんです。トーマス様からお金はいただけません。ウチのレシピは、そう、すべて”無料”でお譲りいたします」

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