LV14
「……ふぁ。疲っかれた」
朝の訓練がようやく終わるとその場に倒れこむように手をついた。
季節は夏の真っ盛りで開けっ放しな訓練場には、陽ざしがギンギンに照り付けて地べたは鉄板焼きみたいに暑い。
訓練場通いもなんだかんだでほぼ半年が過ぎた。新しいメニューも追加され、突き――シャナンが俺に喰らわせてきたやつ――から、より実戦的な打ち込みまでやらされてる。おかげで俺の身体は9歳にしてはずいぶんと引き締まってきた。
朝のロバ送迎がなくなって、徒歩で20分も歩かされるし、試しに腕に力をこめてみるとゆるい力瘤ができる程。ちょっと女子としてどうなの? って微妙なんだが、まあ、これでオスが近寄らなくなるのはよきことかな。
しかし、体力がつくのはいいけど、本音のところはエリーゼ様から魔術を教わりたいな~、なんて下心ありあり。でも、朝食までごちそうになってる身の上で、挙句に魔術まで教わろう、だなんて我ながら厚かましすぎるので自重してる。
そもそも、独力で生きる力を蓄えるべし、と決意したのに他人任せではいかんからなぁ。
魔術を独力で学ぶのも無理があるけど、調べた限りでは、魔術を学ぶのに一番ポピュラーな道は、王立魔術師学園に通うことらしい。それも入学金なりなんだりで金がかかるのがネックなんだが、ともあれ”商売”を軌道に乗せないとなにごとも繋がらないのだ。
俺は思索を打ち切ると、弾みをつけてよいしょっ、と起き上がる。
……うへぇ、シャツが汗でびっしょびしょだな。肌に張り付いて気持ち悪~。と、暑気払いに汲んであった水を頭からかぶると、気分だけはスッキリする。
また髪が伸びてきたなぁ。って、頭をぽりぽりかきつつ滴る水を払いのけつ、
「あの、シャナン様も水を飲みますか?」
「いらない」
以前にも増して冷淡だな。いや、俺も余計なお世話かなぁと思ったけどさ。顔といわず身体中から玉みたいな汗が滴ってて見苦しいんだよ。
「脱水症状になられたら困りますし、ひと口でもいいですから飲んでくださいよ」
「……訓練中は水を飲んではならないという決まりだ」
「そんな、非合理な決まりに従う由はありませんってば。ほら、適度な水分補給は身体には必要ですよ」
「しつっこいな。いらないって言ってるだろ」
ったく、意固地になりやがって。俺たちは素振りだけで免除なんだし、訓練中っていまは団員だけだろ? 融通がきかないというか、クソ真面目というか。
「水、ここに置いておきますからねー」と、水桶を目の前に置いても、やっぱ飲まないでやがる。世話が焼けんなぁ……って、なんで俺がここまで世話を焼かなきゃなんないんだよ。
シャナンの態度は以前と同じく素っ気なく、俺の不敬罪についても公言してもいないみたい。考えてみれば、村を見捨てるみたいな、外聞の悪いことを領主の息子が言っていたなんて大っぴらにできないものな。
頑固な石頭を放ってそのまま休んでいると、トーマスさんがのんびりとした足取りでやってきた。
「あ、おはようございますトーマス様」
「おう、おはよう。なに、その恰好? まさかホントにフレイちゃんも坊も朝っぱらから訓練なんかやらされてんの? クソ暑いのによくやるよね~」
トーマスさんは出会った時の革鎧からシャツ一枚と実にラフな格好。
ほんとに休暇に来たのなこの人。
「……坊はやめてください」
「なんだよ、前に会った時は嫌がりもしなかったのに。いっちょ前に大人ぶっちゃって」
と、シャナンの黒髪を乱暴にがしがしこねくり回してニヤニヤした。
ひとしきりからかい終わると「オマエ汗ぐらい拭けよな。手がすっげえ濡れたし」っと、手をぷらぷらさせた。
「わたしも言ったんですよ。水を飲んでくださいって。でもぜんっぜん聞いてはいただけないんですから」
「無駄に頑固だからなーこいつ。汗だらっだらなまんまなんて女子に嫌われちゃうぜ」
「べつに好かれようだなんて思っていません」
「お、余裕宣言とかマジで可愛くないな。フレイちゃんどうなのコイツの実際の評判は」
「それがまた凄いんですよ! 村の子供たちは”シャナン様カッコイイ!”って噂で」
「…………」
へー、マジですか奥さん? ってな具合に噂話にこうずるオバチャンみたいにこそこそするのを、苦々しいといったふうな顔でシャナンは黙っちった。こんだけからかわれれば開ける口もないだろう。
「ところで、トーマス様は訓練に参加されないんですか。自警団の人たちは「英雄様の槍さばきを生で見られる!」って朝から浮足立ってましたけど」
「やだよ、かったりぃ。暑いなかわざわざ訓練ってないっしょ」
「ですよね」
根本的に努力って言葉が嫌いそうだものな。なんかチャラ男っぽいし。
――ま、だからこういう話を切り出しやすいんだけどね。
「トーマス様。実は折り入ってお願いがあるんですが」
意味ありげにササッ、とトーマスさんに近寄った俺をシャナンが睨んできた。
それに素知らぬふりして、怪訝そうなトーマスさんに耳打ちをする。
「うん? なに、俺にできることならなんでも言ってよ」
「ありがとうございます。あの、実はですね我が家に代々伝わる料理のレシピを買って頂きたいのですが」
「レシピ? んなもの俺に買えってどういうことだよ?」
「トーマス様のご実家はラザイエフ商会でしょう」
ラザイエフ商会はエアル王国生まれの老舗の商会だ。
弱小の商会として生まれた当初は流通の仕事を請け負ってたそうだが、商会の始祖――冒険者ダンディリオン――が、海をわたった大陸から持ち込んだ香辛料で、商会の運命は変わった。いまじゃ、大型帆船をいくつも有し、運搬から食品の販売まで、国のほとんどの業種に参入する大財閥だ。
ラザイエフ商会は早くから貴族に列せられたそうだけど、政略結婚を繰り返して、政界にも強い影響力を持っている。その結びつきの深さから政商とも呼ばれているそう。
「あぁ、たしかに俺ん家はラザイエフの出自だけれどね……フレイちゃんなかなか目の付け所がいいね。ウチはなんでも即効お買い上げだから。もちろん、商売のタネになるものならって前提だけどね」
トーマスさんは苦笑しながら頭をかいた。頬がぴくぴくって揺れて苦笑を堪えてる感じだな。気持ちはわからんでもない。子供からこんな申し出を受けりゃ俺だって笑うよ。でも興味を示した”フリ”は続けてくれて「で、具体的にどんな料理なの?」と、先を促してくれた。
「……口で説明するのは難しいのですけど、いままでの物にない柔らかな味わいのお菓子といったところでしょうか」
「いままでにない、ねぇ……で、ざっと幾らぐらいの金額で買い上げて欲しいわけ?」
「ざっと5万Fol程ですかね」
「5万!?」
クールな目をしばたたかせた。
まあ、そうだろうね。5万Folといえば、うちの生活費の3年分は賄える大金だもの。
でも俺は本気だ。
それを示すために、俺はトーマスさんの探るような目を逸らさなかった。
「面白いじゃない」
と、その口角がニヤリと吊り上がった。
「その菓子がほんとに5万Folの価値があるっていうんなら、俺がお買い上げしてもいいよ。兄貴の伝手を頼るまでもなく、そのぐらいの金額なら俺にも融通はきくしね」
「では!」
「いやいや、気が早過ぎでしょ。いくら俺でも物を見せてもらわないうちに金は払えないからね」
「それはわかってます……では近日中にもお時間をいただければ、そのお品を持っていこうと思うんですが」
「あぁ、とくに俺の方では時間が空いてるし、いつでもいいからね。で・も。俺が買わないつっても恨まないでね?」
「ハイ!」
もちろんですって。
そっちこそ、お金がやっぱ足らないなんて言わないでくださいね?
ぐっ、と手を握ったのに、シャナンが微妙な顔をしていた。それに気づかないフリしてトーマスさんにぺこりとお辞儀して、サッサと訓練場を後にした。




