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LV?? ヒューイ

「……全部、無駄だったのかな」


 ぼくがやろうとしていたことは。

 中庭では、またレオナールが人を集めて、フレイを糾弾しようとしている「オマエも当事者だろう!」と誘われたが、ぼくは拒否した。

 彼はぼくをだれだ、と思っているのだろう?

 なに、言ってんだよ、オマエは伯爵家の子息でヒューイ・ラングストン。だろうって、洟で笑うだろうか。けど、その答えは不正確だ。ぼくにはもうひとつのヒューイ・マクシミリアンという名があったのだ。



 自分に授けられた名前を剥奪された日のことをいまでもよく覚えている。

 それは、ぼくの8歳の誕生日。

 いつも厳めしい顔の父さんが重々しい口調でぼくの新しい名前を告げたのだ。


「オマエは今日からヒューイ・ラングストンだ。ヒューイ・マクシミリアンの名は捨てなさい」


「……なんで?」という、憤った疑問をぶつけるより先に、ぼくは意に反して「ハイ」と、言葉が継いでいた。


「よろしい。明日にも迎えが来るだろう。それまでに家を出る準備を整えておきなさい。持って行きたい物があれば、遠慮なくいいなさい」

「わかりました」


 父さんは軽く頷くと、椅子をキィと鳴らしてぼくから目を逸らした。ぼくはなにも感じないようにして、父さんの部屋の戸を静かに閉めた。


「準備をしないと」と、思いながらも、ぼくは薄暗い自室のベッドサイドに立てかけてた絵画を手に、身体が動けなかった。

 それは、ひとりの女性が椅子に腰かけこちらを振り仰いでる――絵だ。

 そこに座る彼女は、ぼくのもうひとりの肉親である母さん。

 しかし、それは顔の半分を描いただけで、素描のままに終わっている。絵画の完成よりも前に母さんが死んでしまったから。

 半分で途切れてしまった顔が、どういう表情を浮かべているのか。その瞳の色も、髪も、その表情さえもよくわからない。

 ならば、ぼくが自由に想像してもいいはずなのに、なぜか父さんのように悲しい気配を隠した笑顔にしか、映らない。

 ――ぼくが母さんの命を奪ってしまったから。




 軽い抱擁とともに、ラングストン家の新しい両親は、ぼくのことを暖かく迎え入れてくれた。

 ふたりとも、ぼくにはお爺さんといった方が年齢に近い方だけど、ハキハキとして元気な人たちだ。直々に案内されたお屋敷は、さすがは伯爵家という代物で、もらった自室なんて前よりも比べ物にならないぐらい清潔で、ベッドなんかはひとりで持て余す程に広い。

 その生活は快適そのもので、専属でついてくれる侍女たちに毎朝、服を着替えさせられ、たっぷり用意された朝食を取り、午前中は一流の家庭教師とレッスン。午後からは、王都近郊だというのに、広々とした馬場で乗馬や剣を学んだ。

 そのしごきは泣きそうになる程、ツライものばかり。落馬したり、解答を間違えれば手をこっぴどく打たれた。

 それでも、毎日を必死で喰らいついたのは、ぼくにはもう帰る場所なんてどこにもないと知ってたからだ。自分に課された仕事、それはこの家を継いで、ラングストン家の次期当主として相応しい人物になることだ。

 それ以外の目的なんかは、いまのぼくには目に映ることはない。



 必死な毎日を送りながら、やがてぼくは学院へと入学をした。

 とくべつ心を動かすような出来事ではなかったが、自由な時間だけは増えた。それでも、気を緩めずに勉強や鍛錬を続けた。

 周りを囲む生徒たちは、ぼくにしきりに話しかけたそうにしてるのは、きっとラングストン伯爵の家柄だからだろう。

 ぼくは彼らに悪感情を持たれないように”優等生”を演じた。

 囲んでる子供たちの中には、ありありと「養子風情」という嘲りの表情が満ちていて、そのお付き合いは息苦しくもあるが、ラングストン家の次期当主としてはこの程度のことはこなさないといけない。

 まぁ、付き合うに相応しい人か否か、クルトワがさりげなく捌いてくれて助かったけど。 彼は入学を機に、ぼくについたお目付け役で、とても変わってるけど、優秀は優秀だ。……とても、相手をするには神経が磨り減るけれども。



 ぼくはひとりになりたくて、人気のない離れへと続く渡り廊下に向かった。

 そこには先客がいて、大人しそうな男子生徒が座り込み、熱心にスケッチブックに絵を描いていた。

 興味を惹かれて、そこの石段に立てかけられた絵を眺めていたら――ふと、ひとつの絵に吸い込まれるように目を惹かれた。


「……これ、は」

「ン? それ全部、うちの一回生だよ」

「本当に、こんな人がいるんだ」


 似てる。と、思った。彼女は描きかけの母さんに。

 長らく埋め合わせの足りなかったパズルのピースが、ようやく埋められたというように胸がドクドクと高鳴った。

 ぼくがまじまじと絵を見つめて感嘆すると、彼は少し照れたように、


「……そっか。友達からフレイはこんな笑顔をしてないって怒られたけどね」

「そうなんだ」

「うん、だから納得のいく出来栄えじゃないんだけど、いまのとこフレイの人気が高いから仕方なく……でも、正直買うならこっちの姫様にして欲しいな。こっちは普通に一番人気だよ?」

「……いや、こっちが欲しい」


 ぼくは彼に強引にお金を押し付けて、自室に彼女の絵を持ちかえった。

 目敏いクルトワが「たかが侍女に懸想されるのは、如何かと存じます」なんて、厭味を言われるけど、ぼくは無視した。

 二枚の絵を見比べるとやっぱり似ていた。その輪郭と醸し出す雰囲気が。

 でも、他の人が見たって、似てないよ。と、首をかしげるだろう。それでも、ぼくにはまざまざと、重なって見えた「こうあったらいいのに」と願いつつも、想い描けなかった母さんに。

 本物のフレイと偶然出会った時、ぼくはすぐに心が惹かれた。

 ぼくはフレイの育った村の話しや、怒りっぽい侍女の友達に、お菓子の話し。それを話してくれる彼女はとても楽し気で、宝石のように豊かに変わる表情を眺めてるだけで、ぼくは満足だった。


 クルトワに邪魔をされて、ろくに会えない日々だったけど、サマーパーティーの席では、なんとか、彼の目から逃れて彼女を捜した。

 周りの男子が「おい、アレッ!」と、騒いでた方向を振り向けば、そこには青いドレスに身を包んだフレイがいた。

 いつもの何倍もキレイな彼女に、男子たちが感嘆の溜息を漏らし「だれが、踊りに誘うのか」と妙ないがみ合いをしていたが、肝心のフレイは料理を盛った皿で両手が塞がっているので、だ~れも誘えないのだ。

 それが可笑しくてつい声を掛けると、フレイは「あら、ヒューイ様」と晴れやかな笑顔をしていた。

 ぼくは、久しぶりの彼女と会えたことに高揚していたけれど、彼女から差し出されたペンダントに、頭が真っ白になった。


「……どうして、これを?」

「えぇ、貴方のお父上様の忘れ物で」


 と、彼女はなんの気なしにそう言った。ぼくは、魂が凍りついたように、指先が動かなかった。

 ……父さんがいつも肌身離さずに持っていたのに。

 どうして、これが?

 と、ぼくは強く憤ったけど、すべてを悟った。

 ……ぼくがやろうとしていたことは。全部、無駄だったんだって。



 中庭では、またレオナールが人を集めて、フレイを糾弾しようとしている「オマエも当事者だろう!」と誘われたが、ぼくは拒否した。

 彼はぼくをだれだ、と思っているのだろう?

 なに、言ってんだよ、オマエは伯爵家の子息でヒューイ・ラングストン。だろうって、洟で笑うだろうか。けど、その答えは不正確だ。ぼくにはもうひとつのヒューイ・マクシミリアンという名があったのだ。


 でも、それももう無意味だ――




「……らしくもなく、溜息をついてなーにしてんですか?」

「フレイ?」


 と、顔を仰ぐと、逆光に目を眇めたようにフレイが近寄ってきた。

 ……いつの間にいたんだろうこの娘。


「いや、校舎中を駈けずり回って探していたのに、てんでいないんだもの。それが公園で呑気に寝ころんでた……って、思ったら、俯いていまにも死にそうな程、暗~い顔をしてるじゃないの。話しかけづらいったらないですよ」

「……ハハッ、そっか。ゴメン」

「いいえ。いつも話を聞いて貰ってましたからね、悩みがあるんだったらわたしが聞きますけどどうです? フレイさんのお悩み相談ってのは」

「……いいよ。べつに」

「遠慮しないで。鬱々と貯めていたって解決もしないんだし、話してみれば楽になることもあるでしょう」

「じゃあ、ぼくの代わりに母さんを生き返らせてくれる?」

「……ハァ?」


 フレイは眉をにゅっとひそめた。ぼくはそれに笑うと「冗談ですか?」と、怒った風に言う。


「いや、大マジメだよ。さっきからずっと考えてたんだ。ぼくは養子に出されたのって、なんのためだったんだろうとか、どうして元の父さんがあれだけ、大事にしていた母さんとの記憶をあっさり捨てたんだろうって」

「……捨てたんじゃなくて、忘れ物であって」

「ぼくには同じことだよ。知ってる? 母さんは流行り病で亡くなったというけど、正確な事実は違う。ぼくを産んだせいで母さんは身体が弱ってた、そこに流行り病に侵された。つまり、母さんと引き換えに、ぼくが産まれた。つまり、父さんから母さんを奪ったのはぼくなんだ」

「…………」

「だから、ぼくは父さんに恨まれてるって思ってた。顔も見たくないから、養子に出されたんだって。でも、それは仕方ないから……ただ認めて欲しかった、許しが欲しかったんだ。たとえ、ぼくがマクシミリアンの名を継げなくても、ぼくの子供が後を継いで、その務めを果たせれば……新しい家族ができれば、父さんも喜んでくれるはずだと思ってたのに!」


 全部、無駄だったんだ。

 父さんは、母さんのこともすべてあっけなく忘れるなんて、だったらぼくのことなんか、最初っから目にも入ってなかったんだ。


「――目を開けろッ!」

「痛ッ!?」


 掴まれた頬の痛みに、な、なにを!? と、文句を募ろうとした矢先、フレイの怒った瞳がすぐそばにあった。


「……今更、ふざけたことを抜かすな!」

「でも、全部がむ――」


 と、抗弁しかけたら「阿呆」と、また手を挙げてきたので、ぼくは身を縮めた。


「無駄だ。とか、言ったらひっぱたくぞ。貴方の名前はなんだ?」

「ぼくの、名?」

「そう」


 ……ヒューイ・……なんだろう?


「……わからない」

「なに寝ぼけてるんだ! ヒューイ、だろ? 後に続く家名なんて関係ない。ご両親から貰った大切な名だ」


 必死にまくしたてる彼女の瞳に、うつろなぼくの顔が映っていた。

 どうして、彼女がこんなに怒るんだろう?


「……名前が、どうしたっていうのさ?」

「どうした? そりゃこっちの台詞だ! 貴方はわたしにまで怒ったのはなんだってんだ。貴方の父さんが、ミルディンのオッサンがペンダントを粗略に扱ったことに憤ったろ? あんなに大事にしてた、愛されてたものが。って」

「…………うん」

「なら、ふて腐れるなよ。ちゃんと直視して聞いて確かめろよ。なにか? ペンダントまで失くしたら、それまで他の大事にしてきたものまで、無価値になるってか? ンなわけないでしょ、ヒューイが大切に思ってた家族をちゃんと信じろよ!」

「信じる?」

「そう、ほら。立て!」


 フレイは襟首を掴みあげると、照れくさそうにそっぽを向いた。


「貴方はちゃんと愛されている」


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