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LV126

 ――廊下の暗がりから現れたヒューイはだったが、その表情はまるで病人のように暗い。陰り始めた残暑の日差しに晒された顔色は蒼白のままだ。

「……いったい、どういうことですヒューイ?」と、俺は思わず問いかけたが、いつもはにかんで笑っていた笑顔は消え、俯き気味に落とした視線は、俺を拒絶するように合わしてはくれない。

 ヒューイ! と手を伸ばしかけると、ケタケタと喉の奥を震わせるような笑い声をして、偉そうに腕を組んだレオナールが立ちふさがった。


「オマエにかけられた嫌疑がいくつにも上っていてな、後ろのヒューイ・ラングストンもオマエに疑いを持ったうちのひとりってわけだ」

「……ぼくは、聞きたいことがあるってだけだ。キミと一緒にしないでくれ」

「アァ~、そうだった。しかし、コイツに疑惑を持ってるのは同じだろ?」

「…………」

「だそうだ」


 と、レオナールは小鼻を鳴らし、細目をこっちへと戻した。

 ……疑惑って、言われても俺には意味不明なんだが。てか、なんでオマエらが一緒にいるんだよ。


「あぁ、そう……身に覚えもない話しに付き合わされるのは迷惑なんですが。要点を違えず、サラっと手短にお願いできません?」

「ハッ、まだ厚かましくもすっとぼける気か? ……貴様が我が家に伝わる秘伝のかすてらを盗んだことは父上から聞いたんだぞ! 盗人風情が卑しくも学院に籍を置きやがってこの恥知らずッ!」

「……ハァ?」


 おいおい、事実は真逆だろ。

 辺境伯の親父が俺を攫ってレシピをぶん取ろうとしたんでしょうが!


「その一件は女王陛下との面会の席で、すでに終わったことでしょう。それをまた持ち出すなんて、なんのつもりですか?」

「いけしゃあしゃあと! 貴様がいまこの場で罪を認めて謝罪をすれば、水に流すつもりだったが、あくまで白を切るつもりなら、俺が貴様の罪を洗いざらい並べてやる!」

「……どうにも穏やかではございませんね。ここではなんですから異論があるのでしたら、場所を移して――」

「――いいえ、ワタクシたちにも事の経緯を詳しく聞かせていただきたいわ」


 …………こいつは俺になんの恨みがあるんだろう?

 と、ディスティニーだと錯覚しちゃう程、ウンザリしながらも、一派を従えてきたやってきたテオドアを睨みやる。が、その後ろからでも、ジョシュア、それにヘンリック・ハミルトンに、エミリア……それと、アルマにクリス様までもが。って、なんでこんな場所にお歴々の皆様がゾロゾロと!?


 えぇ!? なにこの催し。こんなの偶然ってワケ、ないよね。

「あぁ、ギャラリーが多い方が良いと思ってな」

 て、レオナールの差し金かよ!

 ……をいをい、たかが侍女ひとりを吊るし上げるためにやるにしては随分と手が込んでるじゃないか。付き合うジョシュアたちも、大概に楽しそうだが……でも、娯楽を求めに、っていう他の野次馬たちとは違うか。

 狙ってるのはシャナンへの醜聞かしらね。ま、侍女の不始末なんて、恰好の攻撃材料だものね~。

 ……あ~、さんざん保護者面してたの、シャナンの足を引っ張るだなんて……!

 いいぜ。事の経緯を洗いざらい喋ったら、どっちに不利かなんてのは明らかだものな。


「わかりました。僕の方からご説明いたしましょう」

「ちょ、シャナン様!?」


 出鼻をくじかれた私は思わずシャナンの袖をガバッと掴んだ。


(……ちょっと待ってくださいよ! これはわたしの問題ですし、説明はわたしがやるのが筋ですって!)


 と、俺が追いすがるとシャナンは微かに微笑んだ。


(こんな時ぐらい主らしいことをさせてくれよ。絶対に言い負かされたりしないから)

(……でも!)

(大丈夫だから。信じてくれ)


 ……こいつ目が絶対に譲らない、って大書してるよ。

 ハァ。こうなったら、信じるしかないか。まぁ、こっちでは主様だものな。


(わ、わかりましたよ。でも、言い負かされたら蹴りますからね)


 てか、顔が近いんだよ!

 と、掴んだ袖を離して、蹴る素振りで送り出したら、余裕気にシャナンは肩をすくめた。そして、異様な雰囲気となった中庭を睥睨するよう胸を張った。


「――最初に申しあげておきますが、ローウェル家の嫡男として、断言いたしますが当家の侍女であるフレイは悪事をはたらく人間ではございません。そして、フレイに不名誉な嫌疑をかけられたことは遺憾なことであり、その潔白を証明するためにも、ことの経緯を僕の口から説明しましょう――」


 そして、シャナンは自分の見知った事実だけを滔々と述べていった。

 辺境伯が俺が屋敷へとカステラを盗みに入った――と主張した時期、

 それよりも先に、俺が陛下にカステラを進呈した事実とを合わせ見したり――と。

 いかに辺境伯の申し立てが意味不明か、っていう傍証をあげてった。


 大丈夫かな……って、ハラハラものだったが、その冷静な語りは俺と接する時のような子供っぽい印象が皆無で、人が変わったみたいに威厳に溢れている。

 猜疑心が渦巻いてた野次馬たちの顔も、やがてシャナンの言葉に引き込まれるように、頷いたりして、賛同を示す者までいた。やっぱ、カリスマ性は、勇者の血をひいてるだけあるね。きっと俺が説明してたらこんな好感触とは逆に、孤立してただけだろう。

 しかし、そんな周囲の生徒たちとは裏腹に、真逆に渋い顔をしたジョシュアだったり、ヘンリック・ハミルトンは、少しでもシャナンの落ち度を探ろうとしてのが、当てが外れたとばかりに失望で、つまらなそうな顔をしてたが。




「――以上が、僕の知り得る限りの事実です。重ねて申しますが、これでもってフレイが盗人呼ばわりされる謂れは一切ない……加えて、辺境伯のご子息がすでに決着した話を蒸し返されることは遺憾だと申し添えておく」


 痛烈な皮肉とともに、冷め切った一瞥を投げられたレオナールは、熟れたトマトよりも真っ赤にした顔を震わせ「それこそ言いがかりだっ!」と、立ち上がった。


「オレの父がウソを並べ立ててるという言い草は看過できない! 当家の品こそが本物のかすてらだ!?」

「ならばそちらの主張に頷けるような証拠をお示しください。ウチのフレイが陛下に進呈するよりも前に、かすてらが存在していたという証拠を」

「証拠はオレだ! オレが3歳の頃から、毎年にでも誕生日祝いに喰っていたんだ!」


 ……それは証拠とは言わないだろ。

 と、その場のだれしもが呆れたようだが、シャナンは「なるほど」と、頷けば細くした視線を周囲の生徒に向けた。


「そうですか。ではだれかこの場にレオナールの誕生日に参加したお方はおりませんか?その時にかすてらを見たお方は?」


 と、呼びかけたが、その場がシラーンと白けたように静まり返っただけだった。


「はははっ、わかった事実は彼には友達がいないってことでよろしいかな?」

「まったく話にならんな」


 ジョシュアが愉快気に手を叩き、ヘンリーが吐き捨てたら、レオナールはさらにいきり立って被りを振った。


「うるさい黙れ! オマエ如き侍女が、そんなかすてらなんて菓子を作れるワケがないんだ。それが一番の証拠になる――」

「そんなことございませんわ」


 と、声が上がったのに、レオナールはがん垂れたが、その身姿を確認してはギョッと、身を縮めた。

 クリス様は緊張したように頬を少しく上気させると、レオナールから視線を外して、他の生徒たちに訴えかけた。


「フレイ様のお菓子作りの技術は確かなものです。私には、かすてらとは違う物ですが、それに劣らぬ素敵なお菓子をいただきました。その出来映えは熟練の職人にも劣らぬ物だと、私は思います!」

「ハイです。アルマは死ぬかと思いましたでございますです」


 ……アルマに、クリス様まで!


「し、しかし、お言葉ですが、それじゃあそこの娘がかすてらの生みの親だという証拠にはならない――」

「オイオイ、それじゃあまた逆戻りだよ。かすてらという菓子が、今年に入ってタイヘンな評判になったのは、陛下の名において認められ、そのレシピが明らかになったからだ。それは耳聡い皆が存じてる。キミがそこの子猫ちゃんが不貞を働いて、キミの家からかすてらを盗んで陛下を謀ったと言うのだろう? ならば、その確固たる証拠を提出して欲しいな」


 呑気に片顎に手をついてるジョシュアが間延びした声で指摘したが、レオナールは二の句を告げることもできずに押し黙った。

「つまんない。ぼく帰るね」とふぁあ、と欠伸してエミリアが行って校舎に戻れば、その後にも何人もの生徒たちが続いてった。その姿に「待てよ!?」と、高みに立って糾弾したはずのレオナールが追いすがるように叫んだ。


「まだ話は終わってないぞ……! そ、そうだ。おいッ、ヒューイ! オマエの母親の形見のペンダントの件はどうしたんだ! こいつに、オレと同じように盗みを働いたんだろうッ!?」

「いや、ぼくはこんな糾弾するつもりは――」

「いいから、言えよ!」


 レオナールは無理やり輪の中心に押し出すと、ヒューイは迷ったように視線を迷わせていたが、やがて、俺をジッと見つめて言った。


「……フレイは前のパーティの席で、ぼくの生まれ親が持っていたペンダントを持ってたんだ。それは父さんが、彼女の宿屋に泊まった時に忘れた物だって……でも、おかしいんだよ! ぼくが見てた父さんは、いつもそれを大事にし……肌身離さずに持っていたんだ。母さんの、大事な形見だから。そんな忘れものとして置いてくるだなんて、ことありえないことだって!」

「……それはお気の毒ですことで。そうですわね。それだけ家族の思い出の詰まった物をどうして、ローウェル家の方の手にあるのか。疑う気持ちがわかりますわ」


 言葉とは裏腹に、テオドアは「どうなの?」と歪んだ笑顔を吊り上げてる。

 ……また要らん茶々を入れてきおってからに。と、歯噛みしてると、賛同者を得て心強くなったのか「そうだろ!」と、レオナールが愉悦に満ちた顔をした。


「オマエはオレの屋敷で鞭打ちされかかった時に、ミルディン卿に庇われていたよなぁ。あの時にもオマエはすでに知り合いであった。なら、卿が本当にオマエの宿に泊まっていて、そこに忘れ物をしたとしたら、そんな大事にしてる物なんだ。心当たりを探しまわるに違いない。だろ?」

「…………」


 チッ、こいつ余計なことを憶えてやがって……。

 ……確かに俺がオッサンに、ペンダントを貰ったのは、あの誘拐された夜のキャンプ地でだ。やましいことは一切こちらにはないんだけど、その貰った経緯を語ったとしても、信じてはもらえないだろうし、第一あんな気落ちしてるヒューイの前で、事実を明るみにして傷つけるマネできないし……。

 なにがなんでも、忘れ物をしたって言い張るっきゃないか。


「どうなんだよ、えぇ?」

「どうもこうもございません。ヒューイ様に語った内容がすべてでございます」

「ウソをつくな!」

「ウソもなにも、わたしが不逞を働き盗んだものならな、どうしてヒューイ様にお返しにあがったというのです? おかしいでしょう」

「……それは単に、ヒューイに見咎められて咄嗟に作った話だろう! それで、オマエは泣く泣く返すことにしたんだ!」


 作り話はオマエの誕生日プレゼントがカステラだった、て話だろうがッ!?

 ふざけた寝言ぬかして、キノコのふさと茎を引きちぎんぞっ!!



「ぼくは事実を知りたい」


 ヒューイ?

 ぽつりと、水面に投げた石のように、ヒューイは静かに言った。

 その声音はとても悲し気で、寂しそうで、胸が締め付けられそうな思いがした。


「……フレイをこんな風に悪者だとか、決めつけたりはしたくない。でも、ぼくは起こったことを知りたいだけなんだ。ねぇ、本当に、父さんは忘れてしまっただけなの? 本当にそれだけなの? ……僕は、そうは思えないんだ」



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