LV119
ホゥ、と身体に溜まった熱を逃すようにボギーは吐息を漏らして、なにか早口に囁いた。すると、一瞬の輝きが手に溢れたかと思うと、その手には拳大の氷が生まれた。手に遊んでた氷を上気した額にコツンと当て「ハー、生き返る……」ととろけるような溜息を吐いてる。
そんな花のつぼみから女神様が生誕されたような光景に、私は居住まいを正してボギー様へと手を合わせた。
「…………女神のように美しくもお優しいボギー様。卑しいわたしにも一粒でも氷を分け与えてはくださいませんでしょうか?」
「やだ」
……グハッ!?
なんでですか。私のような卑屈な下民には、女神様が笑顔も冷たい氷も差し向けてくれないのね。そうよね、ボギーたんは氷の魔術師様だもん。心は冷徹よね。
ギンギラギンと晴天に輝く太陽は、望まれもしないのにうだる暑さを王都に提供してる。さっさと、日蔭か城内にでも入って涼みたいのだが、俺たちは王城の正門前にてかれこれ一時間は待ちぼうけ。
そんな、酷暑に晒されてるのはなにも俺たちだけでなく、王城に品を届けにきた出入りの商人から、はたまた文官までもが城門前で暑さに天を見上げては嘆いている。
「……あぁ、まだ掛かるのかなぁ。フレイってば。王城に来る前にちゃんと会議があるってことぐらい、確認しておいてよもう!」
「……いや、わたしだって重要な会議の日程なんて知る由もないですよ」
俺様がそう反駁してみたら「マジ使えねーわこいつ……」ってなふうにボギー様は目を剥いてくる……止めて、そんな目で見ないで。私だって陛下専属料理人の地位が、ここまで低いなんて思わなかったのよ。
「それよりお菓子は大丈夫? クリームが解けてなきゃいいけど」
「出がけに入れてくれたボギー様の氷のおかげでお菓子は平気。わたしの方が先に溶けちゃうかもしれないけど」
「そう、良かった」
……後半部分はサラッと無視ですか。そうですか。
しかし、いったい女神さまの奇跡を体現するには、いったいどれだけの卑屈レベルが必要なのでしょう? こんな往来にみちた場所で、氷ひとつのためにそこまでの冒険はしたくないけれど、喉からゾンビが出る程、氷は欲しい……あ、そうだわ。ねぇ、女神様。そのお手て冷たくありません? なんでしたら、私めが考案した新しいゲームがございます。ポッキーゲームじゃないけど、お互いのおでこか頬で氷を挟むっていう――
「イ・ヤ!」
ハイ、すみません。もう黙ります……。
俺が意識朦朧として大人しくしていると、やがて閉ざされた門扉の向こう側にある城内からざわめきが巻き起こった。そこに突っ立っていた兵士も慌ただしく「道を開けよ!」と、俺たちを制して、声を張り上げた。
閉じられていた正門が開かれ、そこから貴族らしい身なりの集団がワイワイ、とそぞろ歩いてきてる。兵士らは俺たちが通ってきた道の向こうに手旗で合図を送ると、向こうの方から馬車が城内へ走ってきていた。
どうやら、長い会議が終わり、それぞれに帰路へとつくために馬車を待つ次第らしい。ふぅ、ようやく俺たちも城に入れるみたいね。
「長かったですねー、身体の水分が半分は蒸発してますよ……」
「ほんと。フレイも今度来るときは、顔パスで入れるぐらいに偉くなってよ?」
「……無茶なことを」
なんて、私らが軽口を叩いてたら「おい、あれ賢者様だろ」と、出入りの商人らしい男らが仲間に囁いていた。
賢者、ってもしや勇者パーティの?
気になって視線の先を向けば、馬車を待つスロープの所に、銀髪をした男が立っていた。その渋い顔立ちからして、40歳は越えてるだろうが、雰囲気はやけに若々しい。彼は、貴族内でも慕われているのか、馬車を待つ間にも周りの貴族からしきりに話しかけられてるようだ。
賢者様のありがた~い、教えでも聞きかじってるのかしらん。と、ボーッと眺めてたら、ふと、賢者がこっちを向いた。
え?
「ケホッ、ゲホッ。……すっごい、馬車のせいで、埃が舞ってくるわね……って、どうかしたのフレイ?」
「……いえ、べつに」
……なんか賢者様が、一瞬、俺を見てニヤッとした気がしたんだが。
いや、自意識過剰、だよね。
やがて貴族たちが馬車とともに去ってすぐ、メイド服の格好をしたアルマがパタパタと走ってきた。
「すみませ~ん。先におやくそくをしてたのに、お待たせいたしましてです!」
「べつにいいですよ。久しぶりですね」
「ハイ。フレイ様も相変わらずなご様子で、なによりでございますです」
ニパッ、とアルマが笑った。いやぁ、パーティでは姿も見れなかったし、夏バテしてないかって心配したのよ。でも、元気そうで安心したわ。
「……ゴメンね。忙し時に押しかけちゃって」
「そんなことございませんですよ~。むしろ、日頃の姫様の習いごとのお時間がスパッと抜けてござりますので、皆さんと息抜きするお時間ができて良かったですです!」
……ほんと? アルマのことだから俺らに気遣って言ってやしないかね。
まぁ、お土産を持ってきて渡せず帰るなんて、辺境伯と同じ轍は踏みたくないし、厚かましくお邪魔しましょう。
陽気なアルマの案内を受けて姫様の自室へと入れば、机に向かっておられたクリス様が
パッと振り返った。俺が「姫様~!」と、一目散に駆け寄ると、クリス様は気恥ずかしそうに笑いつつ、俺の手を取った。
「姫様、お元気でしたか? 夏バテはしていらっしゃいませんか」
「えぇ。城を離れて避暑地で過ごしてましたから。フレイ様のように健康的に日焼けした方がいいかもしれませんわ」
お、そうですか? しかし、女性は色白お肌の方が嬉しいんじゃ――って、痛っ。な、なぁにボギー様。淑女の後ろ髪を引くなんて、私に未練がおありなの?
(……姫様相手に厚かましいでしょ! まずはちゃんとした挨拶をなさい!)
「えぇ? 挨拶ならしましたでしょ?」
(学院で習った挨拶っ! よりにもよって姫様に対して、あんな馴れ馴れしい態度はないでしょうがっ!?)
ボギー様が小声で怒鳴るという荒業をしてみせた……むぅ。いまさらでもやれっての?でも、逆にマヌケすぎる気がするんですが、と、おずおずとスカートの裾を掴もうか、と思ったが、今日の私の格好は一張羅代わりの制服なので、掴むものがないのよ。
いや、さすがに姫様の御前だし、オシャレしてかなきゃね。ってボギー様にも言われてたが、姫様の前に顔を出す服はこれっきゃなかったのだ。
……ドウシマショウ。と、固まっていたら「ふふっ、そんなに気になさらなくてもよろしいですよ。ボギーさんも普通にして」と、クリス様は愉快そうに笑って言った。
ほらね! と、姫様の招きに付き従い、フッフーンとボギーに勝ち誇れば、なにか凄く申しわけないとばかりに身を縮めたボギー様から、さりげに後ろ脛を蹴りつけられた……グッ、ちょっと裏表が激しくね?
姫様との久々の再会を祝すと、部屋からテラスにへと移った。
王城は街のどの建物よりも高くそびえてるだけあり、姫様の部屋からは眼下には米粒のような人や、街の景色が一望に収められる。ここで「フハハハッ!」と高笑いをして、世界を掌中に収めた大魔王ごっこをすれば、さぞかし心地よいことであろう。
俺たちは、心地よい風に吹かれつつ、姫様から訪れた避暑地の話しや、夏休みの過ごし方の話題に盛り上がった。
ボギー様はさっきのお返し、とばかりに、猫の額よりも小さな領地から天上へと繰り出そうとして、からくも墜落をしたとあるマヌケのハンモック化計画を姫様にバラして笑いを取っていたので、私も負け時と、踊りの練習で人の足を踏みつけ、借り物の靴をダメにしかけた、とあるドジッ娘たんの逸話紹介をした。
「そ、それはフレイのリードがヘタだったからでしょうっ!? ……あ、す、すみません大声を出して」
「フフッ、いえ、いいですけど。ふたりとも姉妹のように仲がよろしいんですね」
「…………ハイ。ほんとに手のかかる妹で」
と、ボギー様が眉をしょんぼりと下にしたら、姫様はプッ、と咳き込み顔を逸らしてしまった。あら、クリス様のお顔が赤いけど、笑いをこらえてるのかしらん。
しかし、私の方が妹扱いって納得できかねますね。なんなら、前世のを含めれば、私の方がボギー様よりはるかに年上ですことよ?
あ、そうだ。それよりも、そろそろ目的のお土産を渡さんとね。
と、俺はテラスにランチョンマットを敷いて、持ってきたかごから「これ、詰まらない物ですが」と、遠慮しつつ、ギザールモンブランとジャムを塗ったものだ。
「ハイ、先にいただいたドレスのお礼のお品でございます……」
俺は恭しく述べて、ギザールモンブランを差し出せば、うずうずと、お菓子をチラ見してた姫様は「わぁ」と、手を合わせ感激したように目を瞬かせた。
「素敵なお菓子? ……嬉しい。フレイ様のお料理をまた食べたいと、いうわたしの願いを憶えていてくださったのですね?」
「もちろんですとも、姫様への些少なりとも、お礼返しになればと作ってまいりました」
「些少だなんてそんな。とても嬉しいです! そうだ。ふたりとも早速、食べていってくださいね。アルマ、切り分ける用意を……アルマ?」
姫様が怪訝にアルマを振り返れば、アルマははエプロンの裾を摘みながら、申し訳なさそうに視線を落とした。
「……あの~、たいへん申し上げにくいことですが。……その~、姫様のお口に入る物は、すべて毒味係が味見してからでないと。そういう規則になっておりまし……」
「え、陛下専属の料理人、でも?」
「ソレは関係ございませんです……その~、いまから毒味係をお呼びするのもまだご時間が早くて……」
そっか姫様はVIPだもんね。下々の者が持ってきた菓子を、軽々しく口にすることは叶わないのか……しかし、殺生なルールだな。なにか、姫様が「忘れてましたわ、すみません」と、その顔を曇らせて縮こまっている。うわっ、こんな逆に気を遣わせたまま、帰れないよ。
「……アルマ、なんとかならないんですか?」
「あ、いえ、夕飯の後にならば、ちゃ~んと毒味役の方が、おりまするので、その時にはいただけますよ」
「……申しわけないですね。せっかく持ってきていただいて、私だけなんて」
「そんな、姫様があたしたちに謝ることなんてないです」
ボギーがぽつりと、言えば、その場に影が差したように沈黙が際立った。
マジか。
まだ俺は味見もしてないのに……ここでお別れだなんて悲しすぐるッ!? どうにか、ならんか。えぇい、考えよ……姫様も食べれて、俺も喰える秘策……ン?
「アルマが食べればいいんじゃないの毒味役として」
「は?」
俺はそのままボギーに目配せすると、意を汲んだのか明るい声音で「そうよね!」と、いってケーキを切り分けにかかった。
「だだ、ダメでございますよ! そんな勝手な!?」
「え~、なんで」
「なんでって、そーいーう規則でございーますー! アルマが勝手に御役目を務めてしまいましたら、そのお仕事をされてる方のお立場――」
「あ~ん」
「……あ~ん……って、ダメですって!」
あ、そ。じゃあ、姫様からお願いします。
「あ~ん」
「あ~、ングッ!?」
クリス様の甘い言葉に釣られて、アルマの口にケーキが押し込まれた。アルマはまだ抗議するみたいに「フヌヌッ!」と、騒がしくしたが、吐き出すのもなんなのか、口を動かして咀嚼してる。すると、八の字にした眉がきゅっと締まり、突然、睡魔が襲ってきたように目がトロ~ンとしだした。
「どうです。食べた感想。毒とか入ってましたか?」
「……ぉいひぃ」
「ン?」
「……をぉいひいでふぅ。……をても、甘くて柔らかで、むぐ。まるでベッドを食べてるみたいでした……」
ベッドって……比喩にしてもあんま美味そうじゃないんだが、ま、まぁ、モグモグって、頬を抑えてるお顔は、とても満足されてるようで安心いたしました……。じゃあ、クリス様の分を、こちらにどうぞ。
「ありがとうフレイ様」
「姫様~!」
「なぁにアルマ? もしかして、全部ひとりで食べるとか言うの?」
「あ、アルマはそんな卑しん坊ではございません!」
まだジタバタとしてるアルマを放っておいて、クリス様は小さく切り分けると、桜色のクリームをたっぷりにしたモンブランをひと口頬張った。
「アァっ!?」と、アルマが悲嘆の叫びを挙げると、姫様の頬が一瞬、ぴくりと固まった。
……あ、アレ。そのまま動きが止まってる。もしや、ギザールって口に合わなかった?庶民の味っていうぐらいだから、高貴な姫様は、やっぱあまり食さない、よね。
俺は洞窟のなかをおそるおそる覗くように、姫様の反応をお待ちしたら「美味しい」と、その顔に光が差したように微笑んでいた。
「とても、美味しいですコレ。前にいただいたかすてらの時と同じ。優しいというか……食べたことないのに、懐かしい感じがします」
「ほんとに!?」
お、お世辞とかじゃないよね、ね? ……あぁ、姫様がまた口に運んで、あんなに嬉しそうに……ハァ。よかった。お口に合わなかったら、俺の立つ瀬がないもの。でも、姫様の笑顔が見れて、なんだか胸のつかえが取れた気分。
俺も失敬してひと口いただけば、頬張ったと同時に広がるのはギザールの素朴な風味だ。なめらかなクリームに溶けたギザールはあれだけ、紫色という自己主張の強い色なのに、味はとても控えめだ。
乳脂たっぷりな、ともすれば重たくも感じるクリームを、どうしてこんななめらかな味わいに、と驚くような、雪のような口解けをして消える。スポンジ生地のほのかな甘味と、クリームの後味とが絶妙なバランスで持って絡みあっている。
「……初めて作ったのにこんだけ美味くいくなんて。プリシス先輩に感謝しませんとね」
「うん、先輩に市場に連れていってもらわなかったら、この味に出会えなかったもの」
うっとりとした表情で食してたボギーが、突然思い出したかのように「あ」と、声を挙げた。
「……あの、姫様! もしよければ、こちらのべーぐるも食べてくださいます? こちらはあたしが作りましたの」
「ホントに! もちろんいただきますわ」
「やった! さぁアルマ早く食べて!」
「……ちょ、ま、待ってくだ、毒味係はほか――フグッ!?」
ぼ、ボギーたん!? ベーグルみたいな噛みごたえのあるパンを、決して大きくないアルマたんのお口に詰めては……言わんこっちゃねぇー! 苦しんでるーっ!?
あ、アルマたん、息をしっかりして!?




