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LV118

 鉄板の上にきつねの襟巻のように捏ねたベーグルのタネをいくつも並べて、温度調節を済ませていたオーブンに投じた。

 すぐ後ろで一部始終を見てたはずのボギーが、もうのぞき窓に齧りつき「早く焼けないかな~」なんて楽しそうに頭を揺らしてオーブンの前に齧りついている。

 さっきまで「パン作りとほとんど変わらないじゃないの!」って、ぷりぷりと怒ってたのに、作り始めて楽しくなって、完成が待ち遠しいみたい。

 フラフラと揺れてるボギーの栗色の頭を眺めていれば、次第にオーブンから芳しい香りが……あぁ、美味そうな匂い。すでに私の口は、ベーグルのモチッとした食感でいっぱいだ。


「フレイちゃん涎が垂れてきちゃってるよ」

「ぬぐ……って、出てませんよ!?」


 トーマスさんに鋭く手刀を抜いたが、あえなく受け止められた……クッ、腐っても英雄か!


「まぁまあ。軽い冗談でそう睨まないでよ。フレイちゃんたちはあれが焼きあがったら、これから王城に届けに行くんでしょ。よければ家の馬車を使っていきな」

「あら、そこまでしていただくなんて……ありがとうございます」

「水臭いなぁ。俺とキミとの仲じゃないか」


 ……その笑顔、写真に収めたいほどに空々しいですね。

 一服しようか、と、ポットから注いでくれたお茶を受け取ると、トーマスさんはオーブンを覗いてるボギーをチラ見して、声を落とした。


「……正直、俺としては王城には近づいてほしくないんだけどね。あんな魑魅魍魎が渦巻く世界に、ふたりが妙な巻き込まれ方をしたら、って思うと保護者としてキミらのご両親に申し訳ないっつうのか」

「そうですか? ……でも、ご心配してもらってなんですけど、わたしにそこまでの利用価値なんかありますかね」

「……フレイちゃんは、女王陛下のこと高く評価しすぎだよ。口を酸っぱく言うけど。辺境伯の一件で、女王陛下に恩義なんか感じることなんてないからね。向こうさんにははなっから情なんてのは通じないんだか。フレイちゃんが陛下専属の料理人に命じられたってことは、貴族の間では既知の事柄なの、たぶん陛下が流したのさ」

「ハッ? な、何故そんな」

「フレイちゃんのこと、いわゆる自分の部下扱いってことよ。タイヘンだぜ? 他の貴族どもは疑心暗鬼で「……アイツはなにを陛下に吹き込みに行った」って、痛くもない腹を探られるかもしんないんだ。だから、ヘタなこと喋らないようにね」

「……は、ハァ」


 なるほど。

 自分のいまの立ち位置って、周りからはそんな感じに受け止められてるのね。

 ……しかし、私はいつぞやから転生主の地位から転落して、密偵にまで格下げされたのでしょうかね。と、悶々としていたら、トーマスさんはズルズルとお茶を啜って、深々と溜息をついた。


「頭痛い話しだよなぁ。陛下は勇者に入れ込みすぎだ! っとか、貴族間でも妙な嫉妬の抱き方をされちゃって。ウチの兄貴なんざ「ラザイエフ家は関係ないのにさんざんに絡まれて迷惑したぞ」とか、俺に愚痴ってきたし」

「あらら、タイヘンでございますねぇ」

「だから他人事じゃないってのよ。キミの最新の噂が「陛下の周りでうろつく小娘がゆくはクィーンガードの地位にまで与るつもりか」なんて、言われてんだぜ」


 なんて、トーマスさんが、ジト目でそう愚痴っておられる。ふーん、私も噂のタネって、凄いっすね。ンでも、クィーンガードってのはあの、スゲー無口なエルフの護衛さんの仕事ですよね。なんか下っ端な仕事しかしてないじゃないのよ。


「……あのね、クィーンガードは、王家に仕えるエアル国の庇護者にして、陛下直属の護衛なのよ。その地位に与れるのは名誉に決まってるじゃない。その権限は大臣並みで、国の政策から独立した調査権限まであるっていう大物で、たった数人しか席がないの」

「え、それって普通に大物?」

「当然でしょうが」


 ……あんな使いッパだと思ってたエルフさんが、スッゲェ大物だとは。てかそんな大物の出迎えを受けてた俺って、そりゃ注目されるよね……。


「しかし、いくらなんでも、わたしがそんな立場にって脈絡ないのでは?」

「いますぐに、ってことじゃもちろんないさ。通常クィーンガードは、その王に一代限りに仕える身って決まってるからね。代替わりすれば総とっかえで、なり代わる。次代の王――つまりクリス様の代に取り立てられるって噂な。キミは学業優秀だし、剣術もできるし、その上姫様とも懇意だ。その上シャナンが王配にでもなれば、クリス姫との仲をも取り持つ立場になれる――と、ほらね? 想像をたくましくさせれば、些細な事柄でも理屈が立っちゃうのよ」


 ……むぅ。嫉妬心がなせる業ってことか。怖ろしいことですが、その、なに? クィーンガードという責務や、大物という地位には悪くはないかもね……グフフッ、痛て。ちょ、いきなり乙女の額にデコピンってなによ!


「キミが調子に乗ってるからでしょ。あくまでそういう噂が持ち上がってる、って話し!それと女王陛下が、その地位をキミにやるかは別問題なの! わかった!?」

「……ハイ」

「ったく、言った傍からこれだもの……いいかい。キミみたいな名も知らない娘が、だれもが垂涎の地位に取り立てられるって噂になってんのよ。妙な嫉妬心に駆られた連中に、ちょっかい出されるとも限らないんだ。なにかおかしいな。と、感じたら躊躇せずに俺にすぐ言うんだよ。いいね?」


「……わかりました」と、しょんぼり素直に頷いたのだが、トーマスさんの顔がまだ晴れない。アレ、どったの? と、訊ねたら、いや、と軽く首を横に振った。


「キミが遠くに行っちゃいそうで、なにか心配なんだよ」

「なんですかそれ?」


 遠くへ行くって縁起でもないことを……

 でも、私からしたらすでに遠くへはきてるつもりなんだよね。前世の記憶を取り戻した時から。

 しかし、元はただの田舎娘が、勇者様と肩を並べたり、一緒に村を駆けずり回ったり、また辺境伯をとっちめに王都くんだりまでやってきて、その上、陛下の密偵やらコボルト退治なんて、やるとは思わなんだけど。

 ……なんだか、不愉快な目やさんざんなことしかあってないけど、それであっても来てよかったな。って思えるのはきっと、自分を受け入れてくれるプリシス先輩やクリス様やアルマがいてくれるんだから。

 トーマスさんのご心配わかるけど、俺としたら陛下との出会いも、悪いものとはしたくはない。

 それにこんな出会いがあったって、考えれば遠くに来たこともそんなに悪くはないかな。


「そんな心配をなさらなくても、わたしが帰ってくる居場所はあります。どんなに時間がかかっても、遅くなっても必ず帰ってまいる場所がね」


 笑って言えば、トーマスさんは軽くだけど、ようやくいつもの調子に笑ってくれた。と、「ねぇ、焼けたんじゃなーい?」と、ボギーが慌てたような声がして、見ればオーブンに前のめりで忙しく手招きしている。俺はほら、と促すトーマスさんにカップを預けて「いま、行きますから!」と、ボギーの元へと急いで駆け寄った。

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