LV116
昨日は夜遅くまでボギーと一緒に、お菓子のスケッチノートを覗きつつアレコレとお土産の菓子について相談をした。
もっとも、俺が目星をつけてる菓子はすでにイメージがあったのでとくに頭を悩ませる必要はなかったのに、ボギー様は頬杖をつきながらスケッチノートを覗き見して「あたしもドーナッツじゃなくて、新しいの作れないかな~」なんて、無茶なことをのたもうたので、話がこじれた。
……ヤル気に満ちた笑顔に水を差すのはどうかと思うが、ボギー様のおっちょこちょい具合を舐めるワケにはいかない。
その自らのドジッ娘ぶりをいかんなく発揮して、寮の備品から、私物に至るまでこの数か月で壊した物の数は計り知れない。
おそらくは余り強くないであろう、姫様の大事な大事なお腹までも壊されでもしたら、私の信用どころか首までもが空を飛びきりきり舞いにして地に堕ちる。物理的に。
「甘い物だけを持ってくのはどうかしら、ほらほらこっちのベーグルサンドなんていいんじゃない? 簡単でかわいらしくてバリエーションも豊富よ!」
と、俺は比較的に簡単に作れるベーグルサンドがおススメ! と、ノルマ達成までもう後がないショップ店員が如く哀願めいた口調で頼んだら「あたしはもっと難しいのでも作れます~」と、歯牙にもかけやしない。
……どの口が言うか。という思いを笑顔で糊塗してなおも必死押ししたら、ボギーたんは心変わりしたように、悪戯っぽく笑った。
「わかったわよ。そのベーグルサンドってのでいいから。確かに、あたしがフレイよりも美味しいお菓子を持って行ったら、フレイの立場がなくなっちゃうもんね!」
……ナハハハッ、その冗談はワロリーヌ。
相談が長引いたおかげで、翌朝は起きるのが辛かった……
ただでさえ遅くに寝た上、コボルト退治の疲れが思いのほか堪えていて、身体がバッキバキ。真夏の太陽が腫れぼったい目を焼いてくるが、頭が霞みがかかったように意識の方が虚ろだ。
……あぁ、今日ぐらいは休みたいなぁ朝稽古。ラジオ体操なら皆勤賞は頂けるだろうに、貰えるのは木剣型の判子って、有難くもないわ。
と、俺様は呪怨の念を吐きつつも、公園に赴けば「お、おはよう!」なんて快活な声が出迎えられた。俯いた顔を上げれば、そこにはシャナンの他にジャンとニコラが木剣を肩に担いでいた。
「おう、遅かったな。待ちくたびれたぜ?」
「…………いや、なんで貴方たちがいるんですか?」
「今日からぼくらもシャナンと一緒に稽古をしようと思ったんだ」
「昨日のことでシャナンとニコラの三人で話し合った。というか、ほとんどオレとニコラがシャナンにあんなコボルト如きに後れを取ったままだなんて、恥ずかしいから稽古をつけてくれって、お願いしたんだけな!」
ジャンはニヤッと犬歯を見せるように笑顔をしていたが、すぐに表情を一転してしゅんとした。
「……だから、その、ちゃんと感謝もしないで怒鳴って悪かった。ろくに知り合いでもないのに、助けてくれて感謝してるよ。この借りは必ず返すからさ」
ジャンはしおらしく頭を下げた。
……やけに素直だなぁ。
やや、最近は威丈高な貴族様としか知り合ってもないんで、こうも腰を低く出られると、私としてもちと戸惑う。下級貴族の方にも、やけにプライドが高いのがいるけど、ふたりはそんなプライドはないみたい。
まぁ、いまさら私に格好つけても、女子にみっともない姿を晒したって思いもあるのか、ジャンや二コラ君にとっても妙に肩肘を張るものがないってことかしらね。
べつに、私としてはべつに恩にきせるつもりはないんですけどねぇ。借りを返すというのが、お互いにとって付き合いやすいというなら、あえて断るのも失礼だよね。
「ふたりの気持ちはたいへんよくわかりました。では、早速そのご厚意に甘えるようでなんですが……昨日の、わたしの醜態についてはだれにも他言はせぬようお願いします」
「……醜態?」
「そうです」
と、私は重々しく頷いた。
袖でオノコの涙を拭ってみせるなど、53万という圧倒的な父性を持つ、紳士がやるべき所作ではなかった。だから、その記憶を永久に消去せしめて、一切合切を忘れるように、いいわね?
「……べつに他言をする気は元からないけど」
「それじゃオレらの気が……」
「貴方たちに拒否権はない。わたしの命令に従う! ……貴方たちも、わたしの前で腰を抜かしてた。と、バラされたくはないでしょう?」
「「……は、ハイ」」
……ふぅ。よろしい。口封じのためには、その口を縫い付ける消すことも厭わぬつもりだったが、この調子ならば大丈夫でしょう。
取りあえず、俺たちが日ごろからやってるメニューを、ふたりにも習わすことにした。
まずは素振り1000回始め!
と、ヤル気たっぷりなふたりは「楽勝~」と、出だしからぶんぶかと振り回し、100を越える前から、すでに息が切れかけた……だらしんねぇな男子。
そんなふたりを尻目に、俺とシャナンはあっさり終えたが、ふたりは目を軽く回しつつ、剣筋がひょろひょろでも、なんとか剣を振り続けてる……いや、コボルト退治に行く前に、このぐらいの体力をつけてから逝っとけっての。
そんなふたりを尻目に、俺とシャナンは打ち合い稽古に励んだ。
「っ!? ハァァアア……また、負けたぁ!?」
「……ふぅ。そろそろ、休憩するか」
シャナンの呼びかけに答えられないぐらい、もう身体が悲鳴を挙げてる。
今日も実戦さながら、鋭い剣先を流しては打ち込み、と、かれこれ一時間の激しい打ち合い稽古をしたが、身体中から気持ち悪いほどに汗が吹き出している。
……向こうの芝生でグロッキーなグロッキーなふたりにいいとこ見せよう、と張り切り過ぎたかな。
「……凄っげぇなふたりとも」
「ぼくらはフォークも持てないぐらい、腕が上がらないのに」
「いえいえ、これぐらい毎日やってることですよ」
俺が先輩面して、ぬふふん、と得意げにしたら、ソレを聞いた二コラは「……毎日」と、がくっと顎が外れたように気落ちしたが、ジャンの方はぷるぷると震えていたかと思うと、「ぬぉおお! 負けてたまるか、コンチクショウ!」急にやけっぱちになったように立ち上がった。
「二コラ! このまま引き下がれねぇだろ、もう一回オレと稽古だ!」
「……いや、悪いけどもう体力の限界で。後はジャンひとりで――」
「うっせぇ! オマエには漢のプライドがないのかよ!?」
と、嫌がる二コラの腕を無理くり掴んで、剣を構えて打ち込みに入った。
……いや、こんな暑いんだから、あまり無理をしないでもいいのに。熱中症には気を付けて~と、軽やかに手を振って、ふたりのへなへななチャンバラを見やった。
「ジャンは妙にヤル気を出してるな。昨日も寮に帰ってからも、やけにテンションが高くって困ったよ」
「……ふーん。漢のプライドってやつですか?」
芝生に寝転がりつつボヤいてるシャナンに、突っ込めば「そんなもんだろ」と、頷いた。そうですか。しかし、そんな薄く切ったサラミの如くペラペラなものを守っても、得るものなんて、自己満足しかない、と私は記憶してますが。
「で、話しは変わるんですが、昨日のトーマス様のお話しはどーでしたか?」
「…………」
と、話しをガラッと、入れ替えたらシャナンは黙して語らず。
おーい! 聞こえてマスか~! と、顔を覗くようにしたら、邪険そうに「……なんで、そんなことを聞くんだよ」と、のたもうた。
「なんでって。そりゃ必要でしょう。シャナン様の身の上のことですが、わたしも女王陛下に目をつけられてますし。陛下や姫様の真意がどこにあるかは、理解はできませんけど、シャナン様のご意志は確認できるでしょ。その身の振り方によっては、村のことからなにまで大きく変わるんですからね」
例えば、テオドアかエミリアのような三侯爵家の娘と婚姻関係を結ぶのか。
はたまたクリス様の王家に婿入りするのか。
すべては、シャナンの意志――とまではいかないにしても、その選択には顔も素性も知らない多くの貴族たちが関心を持ってる。私もシャナンがどうしたい、と思ってるのか、知っておけば、その望みに叶うよう努めるのもやぶさかではない。
……まぁ、テオドアが好きだー! と、叫ばれたら、その時には三行半を突き付けますがね。
と、俺が筋立ててそう説明したのだが「……それはそうだが」と、やけに渋ったように口が重たい。
「昨日トーマス様との内緒の相談をされたんでしょ。全てを語れなんて野暮は言いませんが、このまま周りを淑女の皆様方に囲まれていたら、妙な醜聞が立てられてもふしぎはないでしょう」
「……それはトーマスさんとも話した。僕の周りに来る女子は父様の”英雄の血”が目的なんだってな」
「……まぁ、なかにはそれだけじゃない方もいるかもしれませんけどね」
「ヘンなフォローするなよ」
と、シャナンはとくに傷ついた様子でもなくさらっと流した。
……この顔からして、気にしてないかな? でも、周りの人間が下心満載で来られるって、気づかされると結構ショックだと思うけど。
「あの~、もしも、彼女らが不快だというなら、わたしもいままで以上、間に入るように取り計らいますよ。まあそれでも対処療法的にしかならないと思いますが」
「……いや、それは有難いが、」
「べつに構いはしませんよ。主の補佐は侍従のお仕事でございますからね」
と、俺が胸を張って言えば、シャナンは軽く苦笑をして「いや、構わないよ。オマエの方に全部のしわ寄せがいったら、また面倒なことが起きそうだ」と、笑った。
面倒なことってなんですかソレ、私はゆず湯に浸かったカピバラさんのように平和的で温厚なのに……トラブルの方が寄ってくんのが悪いのだ!
「ンで、トーマス様のアドバイスは如何でした? なにか有効そうなのがあります?」
「……いや、その先に適当な婚約相手を発表してはどうか、という意見が、な」
「適当な婚約?」
「そうだ。相手とそういう話で擦り合わせておいて発表をする。その後、姫様の一件が片付くまで……その婚約者のフリをしてもらってだな、その後に破談をすればいいとそうすれば周りからも騒がれないし、すり寄ってくる女子も減るだろうって」
……ふーん。偽装婚約ってやつか。
なるほどな~。それは名案だと思うけど、しかし、何故にに早口で言うてるのかね?
「で、その案はいい線をいってるでしょうけど、やるのですか?」
「……いや、その、適当な相手がいなくって。この偽装のフリをする相手は、貴族が絶対条件だ……た、例えば、侍女を相手にしたら、それこそ、あからさま過ぎてバレるから」
「あぁ、それはそうですよね」
自分に仕えてる侍女と婚約したって、適当な理由をつけて婚約破棄することは簡単だものね。
それが、貴族同士ならば正当な理由もなく婚約破棄などできようはずもない。相手の名誉を著しく傷つけることになるし、破棄された方の後々の婚姻にも響くだろうから、大きな責任問題となるだろう。
「僕にその偽装の婚約になってくれる、仲の良い貴族がいないか、と聞かれたんだが、そんな相手はいるワケもないからな……」
だろうね。
そもそも、クォーター村にいた頃から、貴族との付き合いは没交渉だったんでしょう?それにこの学院で仲の良い女子を見つけたとしても、その取引は難しいんじゃない?
仮に、そういう話に応じてくれたとしても、向こうに一物ある女子だったら「婚約破棄なんて認めない!」と、裏切られたが最後、ローウェル家の名に傷がつくもの。
「残念ですね。わたしかボギーが貴族でしたならば、その案に乗れたのに」
ン~、結局、いままで通りに、並み居る淑女様たちの壁になるしかないってワケか。やれやれ、トーマスさんもほんと頼りがいがないなぁ……って、なんですか、シャナン様?さっきから、黙って人の顔をジロジロって?
「べ、べつになんでもない! ……と、とにかくだな、僕はテオドア嬢もクリス様にも、とくに思うところなんてなにもないんだ! だから、その……オマエが妙な気を回さなくとも、そのまま傍にいてくれればいいから」
と、シャナンは急に立ち上がると、ジャンや二コラに向かって「ほら、ふたりとも僕が稽古をつけてやる、かかってこい!」と、怒った風に叫んだ。
……急にどうしたんだ、あの態度。




