LV111
爪をやすりで研ぎつつ「またね~」と、気怠げに告げる受付のお姉さんに会釈して外に出た。
……格好良いなぁ、あのはすっぱなお姉さん。あれぐらいの傑物じゃなきゃ冒険者ギルドの受け付けも務まらないのねきっと。
なんて、俺が感心しきりでギルドを振り返ってたら、アイゼンは開いた依頼の紙切れを懐にしまい、
「こっちだ」
と、顎でしゃくってズンズカと歩いていく……またかよ。俺は借り物競争の借り物じゃないんだけど。
「いい加減歩きながらでいいですから、ご説明をいただけません? さっきのお姉さんじゃありませんが、これは他ならぬ我が主の事柄なんです。貴方にだけ責任を預けるようなことはできません。よければ、いったいどういう経緯でシャナン様のことをお知りになったんです?」
「…………」
だんまりかよ。
って、俺は睨みつけたが、垣間見えた横顔は人相が悪いが、とくに強い拒絶反応もない。……もしかして思ったんだが、この人の普通の顔が仏頂面な悪人顔に見えるのかしらん。それとも、これは勝手に質問しろってこと?
「……前に、シャナン様は貴方を付け回してたことがありましたけど、それはもしかして、貴方から冒険者ギルドとかの情報を聞き出そうとしてた、とか?」
「……正解だ」
と、アイゼンは低い囁き声とともに頭を頷かせた。
……やっぱりか。
「アイツのしつこさは大概だな。オレなんぞに冒険者ギルドへの登録方法を、それもわざわざ学院のなかでも外と関わらず付きまといやがって。いったい、なにかと思ったぜ。よくよく聞き出せば、単にてめぇが冒険者になりたいってんだからな……ったく、おかげでいい迷惑だ」
「……すみませぬ」
……我が主のことながら申し訳ございません。俺も一度はつきまとわれたけど、そのウザったさは身に染みております、ハイ。と、俺は俯き加減にぺこぺことエア謝罪をしながら「それで」と、話を元に戻した。
「いったい何故アイゼン様までもが、冒険者なんてやっておられるのですか?」
「それがオマエになんの関係がある?」
「関係ありませんですハイ!」
……怖っ。
あぁん、とねめつけるようにしないでよぉ。ソッチは普通に顔を向けただけだろうけど、威圧感が半端ないって。さすがヤンキーよ。
「し、しかし、そんな冒険者やってま~す、みたいに、スッパリ素直に認めちゃってよろしいのですか……てっきり誤魔化されるかと思ってたのに」
「今頃隠してもおせぇだろ。こんな副業をやってるのはオレだけじゃねぇ。金に困ってる貧乏貴族は、この時期にせっせと小金を貯めこもうと、街でバイトしてんだからな」
「……マジですか?」
お貴族様が、涙ぐましくお金を稼いでらっしゃるのですか?
生活するにはだれだってお金が必要なんだけど、聞きたくもない裏事情ですねソレは。……でも、貴方って一応、勇者パーティのご子息様で、しかも上級貴族様なんでしょう? 学院でも高級なコンドミニアムにネコミミ先輩と一緒に暮らしてるのに、その上さらに、金が必要だ。ってなんの冗談すか?
と、疑惑の視線を向けてはみたが「それ以上は答えねえ」とばかりに、アイゼンは黙然とした。
……答えたくもない事情がおありなのですね。ま、いいけどさぁ。
にしても、シャナンの阿呆が。勇者から冒険者に転職~って、ふざけてんのかっての。金のためとかならまだ理解できるが、いきなり、魔物退治にってどういう料簡をしてんのよ、ホントマジ!
まさか、テオドアがマジウザいから憂さ晴らしに、って荒れる少年のようになられたら手を付けられないんだがなぁ。前みたいに村に縛られたくない、とか言い出さなきゃいいけど。ったく、あの阿呆主人がっ!?
「あほうしゅじん?」
「あ、ちょ、なに人の心の声を聴いてるんですかっ!?」
「……いや、口に出してんだろ」
えぇ? そんなことないよぉ。空耳じゃない~? と、誤魔化し笑いをしたが、胡散臭いものを見る目で見られた。チッ、このヤンキーはねちっこい性格をしておる。
王都近郊は、国の食料生産の有に半数は賄うという、国内でも有数の田園地帯である。そこにある村の数は大小含めて百近い数に上る。
シャナンが受けた依頼は、その百に上る村のひとつつだ。王都の玄関にあたる大門から、ものの一時間でたどり着く距離で、豊かな森に面した小さな村だ。
村長に話を訪ねに伺えば、昼頃に三人の少年がやってきて、すでにコボルトの出る森へと入っていったらしい。
「ホッホ、最近はお若い冒険者が多いのぅ。無駄足を踏ませて悪いことをしましたなぁ。せっかくだし、お茶でも飲んでいきなさい」
「いえ、お構いなしに」
村長の誘いを断って、さぁ行きましょう! と、アイゼンを振り仰いだが、姿がない。
振り返れば、サッサと教えられた森の方へ向かってる。
――っておい、待てやし! 人を置いてくなっての!! と、俺は憤然とアイゼンに喰ってかかったが「オマエはそこの爺様と茶でも飲んでろ」と、にべなく言った。
「こんなとこにまで来てンな呑気なことできるわけないでしょ! わたしも行きます」
「……はぁ」
アイゼンは、空を振り仰いで額を手で覆うと「いいか」と子供に言い聞かすように口を開いた。
「オマエがいたら邪魔なんだよ。森にはコボルトが出るってんだ。足手まといがいたら、無事に帰せるものも帰せなくなる」
「失敬ですね。わたしも普通に戦えるっての!」
「で、獲物は?」
…………。
「そ、そういう貴方こそ丸腰じゃないですか!?」
ビシッ! と、指摘してやれば、アイゼンはただ「阿呆が」と胡乱な目つきと捨て台詞を置いて、森へと分け入っていく。ちょ、待てしぃ! 俺も付いてくったら行くのッ!
俺もアイゼンの後を追って、茂みをかき分けて行く。
そこは猟師も入る比較的穏やかな森だという話しだが、魔物の生息地であることは変わりない。王都近郊は環境保護のため、森林の伐採を禁じられている。そのせいで、近年では減少していた魔物の生息地にもなり、最近では人里に下りてきて、畑を荒らす被害が続出しているんだとか。
困った村人たちは、収穫で忙しくなる前のいまの時期に、少しでも魔物を減らそうと、この時期に一斉に冒険者ギルドへと仕事が舞い込んでくるそうだ。
(……なんか、話を聞いた限りじゃ、里山に出た猪退治に出かける。って感じだけど)
アイゼンの身のこなし方からは、そんな牧歌的な遠足ではないのがよくわかる。
闇雲に森に入ってシャナンに追いつけるのか疑問だったが、アイゼンには近づいているという確信があるようで、時折、身体をかがめて足跡や周囲に目を配って歩く姿は熟練したスカウトのようだ……ホントに伊達じゃなく冒険者をやってるのね。
だが、突如として挙がった悲鳴だけは、耳の遠い俺でも聞き逃さなかった。
「いまのはっ!?」
「おい、てめぇはそこで待ってろ!」
俺は瞬間的に走り出しかけたが、その肩を掴まれた。
ンなわけいくかっての! と、俺はそれを振り切って、悲鳴の上がった方角に駆けだすと、後ろから悪態が飛んできた。
構わず前方の木々のシルエットを抜けて「シャナン!」と、声を挙げかけたが、違った。そこにいたのは、獰猛な唸り声をあげるコボルトとへたり込んでいるふたりの少年だ。
チッ! 人違いかよ!?
と、苛立ちのままに、近くにあった木切れを拾い上げた。
すると、コボルト共は吠え声をあげて、尻餅をついてる少年たちから集団のターゲットをこちらへと移った。
……幸い、見た限りじゃ転んでるふたりにも怪我はないな。ホント間一髪だったのかこっちに気配が逸れて、飛びかかる寸前ってなとこで止まった様子だ。
まぁ、ピンチはこっちなんだけどね……
見える範囲で、敵の数はざっと8匹。コボルトは成体したやつらでも子供より少し背丈のある程度だが、その剥き出しの犬歯と鋭い爪は、人を喰い殺すには十分な凶器だ。
……だが、落ち着いてれば、対処できない連中じゃない。
ジョセフでもシャナンでもなくただの犬っころだ。
獲物がないのが痛いが、なんとか体捌きで――
「ば、バカッ、逃げろよ!」
と、その時、尻餅をついてたそばかす顔の少年がこっちに向かって叫んだ。
最悪だ。
叫びに呼応する形で、一匹のコボルトが空に向かって吠え声を挙げた。それに触発されたように二匹が涎を滴らせてこちらに跳躍してくる。
瞬間的に身を固め、先に飛びかかってきた一匹へと木切れを突き出す――と、そいつは、がるるっ、と木切れを捉まえた。
俺は即座にそれを手放し、くるり、とコマのように回り、後ろ足蹴りを放つ。
すると、顎をクリーンヒット。強烈な手ごたえと、バキッと木切れの折れる音ともに、コボルトはすっ飛び、木へと衝突して動きを止めた。
それに、怯んだのかもう一匹はギョッと、足を止めて思い直したように身を引いてく。
フッ、楽勝!
と、快哉を叫ぶと、その逃げた一匹に命じた仲間のコボルトが「ガウッ、ガウッ!」と、叱責するように吠えたてた。
――が、閃光のようななにかが俺の横を掠めたと思いきや、その一匹がビクンと身をよじらせ、即座に音もなく倒れた。
……い、いまの魔術?
と、振り返ると、アイゼンが涼しい顔のまま「てめぇらの相手はこっちだ」と、気勢を発すると、リーダーが倒れて呆けたように固まったコボルトに向け、懐の中から取り出した斧を振り下ろす。
ザシュッ――
悲鳴が上がる間もなく、甘ったるい木々の匂いに混じり、むせかえるような鉄の臭気が広がる。舌の上がぐうっと持ちあがる嫌な感触に、俺は思わず口元を抑えた。
が、その間にも、仲間を殺され怒り狂ったように残りのコボルトがアイゼンへと一斉に踊りかかるが、実力差がダンチなのか、アイゼンは楽々とコボルトを切り伏せていく。
……手助けしたいがこれじゃ迂闊に近寄るのも危険か。
「おい、そこのふたりこのスキに! 早くッ!」
「あ、あぁ」
俺は倒れこんで呆けていた少年たちに向かって手招きした。
と、アイゼンに向かっていたコボルトの一匹が、後ろ背を向けた茶髪の少年に向かっていく――
「くそっ!」
少年にコボルトの牙が届く間際に――ギャンッ! と、俺はその腹に蹴りの一撃を見舞った。地を転がるそいつを見据えつつ、少年を「早く!」と、急かして俺の後ろに下がらせる。
よし、上手くいった! と、歓喜した瞬間、口から血を垂らしながら、コボルトが起き上がった……しつっこい!
と、舌打ちしながら、草の根元に転がしたままの剣に気づいて、それを拾い上げに飛びかかった――が、そこに、黒い眼に並々と怒りと殺意を宿したコボルトが、その四足を駆使して距離を詰めてくる!
――間に合えっ!? と、祈りながら、柄にかけた手を振り上げた。
鮮血の色が弾けた。
いま、俺にあぎとをつけようとしたコボルトの瞳から、スゥと音もなく色が抜けていき、やがて力をなくして身を横たえた。
「おいっ、無事かっ?」と、アイゼンが形相をかえて、重たくなったコボルトから抜け出してくれた。俺もただこくこく、と頷いたら、アイゼンはふぅ、と息を抜いた。
「脅かすんじゃねぇよ……だが、よくやったな」
と、アイゼンにポンと肩を叩かれて、俺はようやく終わったんだと力が抜けてきた。




