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LV1

 異世界転生、という言葉をご存じだろうか。


 それは、とある世界が滅亡の危機に瀕した時、神様やら巫女さんなんかが召喚の儀式を行い、遠い異世界の人間に世界の全責任をおっかぶせる――っていう例のアレ。


 それがなにって思われるでしょうけど、実は俺の身に起こってたらしい。

 いやー、こんなことってあるもんなんですね~。て、笑い事じゃないんだが。

 それにしては深刻さが足りなくない? って、思われるかもしらんけど、実際のとこ俺が転生したことに気づいたのがついさっきなもので、あんま実感がわいてこないのよ。

「君さー、それは夢だよ」って優しく肩を支えられたら、そうだよな。って笑い返してセピア色に溶けちゃいそうなぐらい、現実味が希薄なのな。んでも、それを夢だ。と単純に切り捨てられるほど、これまた状況は優しくない。


 たとえば漆喰塗りの薄暗い部屋。こんな狭っ苦しいとこに、俺は住んだ記憶が微塵もないってのに、なぜかしら壁にある傷や板のシミの場所まで覚えていたりする。

 しかも、部屋に転がってる藁で作られたお人形さんなんかが、妙に俺の琴線に触れてくるというか、粗末には扱えない感じがしてならない。



 まずは、俺が記憶を取り戻した切欠から説明していこう。

 俺は昨日、母さん(こちらの世界の)と一緒に出掛けた先に、暴れ馬に襲われたのだ。


「あぶない!」


 だれかの叫びが耳に届いた時、すでに俺たちの背に漆黒の影がたっていた。

 そっからの記憶は活動写真みたく細切れだ。

 転がるタライに音もなく落ちる洗濯物。

 悲鳴を上げて俺に覆いかぶさる母さん。

 迫りつつある馬の巨躯。

 規則的な蹄の旋律。


 死ぬ。


 そう確信した瞬間、俺の内なる力が溢れ――となればカッコ良いけど、現実は馬の方がすんでのとこで避けていき、俺はといえばその場に気絶した。

 ダッサ~と唾棄されて然るべきだが、その時の俺はただの9歳児であったということを考慮していただきたい。



 んで、目が覚めると失われていた記憶が戻っていたワケ。

 すでに過去の”俺”になっちまった最期と思しき瞬間もはっきり覚えている。

 それはバイト帰りの深夜。国道沿いを歩いてた俺に向かって眩い光が突っ込んで――って、これ以上は危ないわ。うん。俺の精神が先に進むな危険、ってストップをかけてくる。いわゆるフラッシュバックってやつだ。


 元の俺の身になにがあったかは大体、想像できっけど、どうして前世の記憶が戻ったのかは謎だ。おそらく、事故にあいかけたショックで前世の記憶が揺り戻された――とか、色々と仮説は考えつくが、どれも至って人間の論理を超越したものでしかない。

 深く考えても答えは出ないのだから、逆に二度目を貰えてラッキーじゃん? って考えた方が、精神衛生的にも良くない? 世の中なんでもプラス思考でいかんとつまんないしな。



 そんな楽観的に考えた俺が、唯一不安に思ったのは「この世界でもお菓子を作れれるんだろうか」だった。

 いや、前世の俺の実家が老舗の和菓子店で、俺も大学に通うかたわら菓子職人を目指して修行中の身だった。ウチの両親は、とてつもなく変わり者で、菓子に命を捧げてるといっても過言じゃない。

 来る日も来る日も、菓子、菓子、菓子、と菓子に埋めつくされ、小学生の頃なんてまれに菓子の餡を練らされるわ、店先に立たされたりした。菓子屋に休みなんてないんだよ。しかも、たま~に連れていってもらった家族旅行も行く先が、菓子どころで有名な関西しか行ったことないし……。

 そんな無慈悲な甘味のプロに、幼い頃から英才教育を施された結果、とくに反抗することもなく俺はすんなりと菓子職人になる決意をいつの間にかしていた。


 けど、俺が選んだ道はパティシエ。つまり洋菓子なんだけどな。

 そういうとこで親に反抗しワケじゃなく、受け手が思ってるほど和と洋との世界は意外なほどに近いもので、イメージされるような垣根はあんまりないのだ。ただあるとするなら、良い物を作りたいっていうお互いの対抗心ぐらいだろう。


 俺もそこそこの菓子は作れる腕前になっていたし”災難”にあっても、逆にいままでに培ってきたことが、無駄にならずにすんで良かった。と心底からホッとする。


 でも、いままでのように甘味に囲まれた生活――が、できるほど、こちらの世界は甘くはないみたい。


 それは周りを見渡せばわかるよな。

 ここは子供部屋だってのに清潔感の欠片も見当たんないよ。暗いし不衛生だし、木肌が剥き出しのベッドに、窓にはガラスの代わりに油布がへらへら揺れてるんだぜ。貧しいにしても限度があるわい。

 こちらの世界の文明レベルはたぶん中世ぐらいといったとこかな。たしか中世の乳幼児の死亡率って相当高いって聞いたことがある。ちょっとした風邪や傷でも命取りになりかねないし、健康には気を使わないと。またゾロ若死になんてゴメンだ。


 だけど、一番に驚いたのは魔物という異形の存在までいることだ。これはガチで前に村のなかを緑色をしたゴブリンが闊歩してたのを脳裏にしっかと焼き付いている。

 幸い、その時には怪我人はだれもいなかったようだけど、平和な世界には感じられない、ピリピリした緊張感を肌が覚えていた。



 ここまでネガティブ材料ばっかだけど、この異世界も捨てたもんじゃないぜ。って思えるのも、なんとビックリ”魔術”が存在しているのだ。

 俺もまさか、って思ったけど、それは確かだ。この明り取りもないような暗い部屋を明るくしてんのが、ベッド脇に置いてあった魔道具ってものだ。

 でっかい卵みたいなそれには、なんかルーン文字? っぽいのが刻まれてて、それに触れるとふわ~んとっていう表現がぴったりに、球に淡い光が灯る。

 起きてから驚きっぱなしだったけど、これは純粋に良い意味での驚きだったわ。

 この世界に来て初めて良かった、と思えた瞬間っての。


 それまでは、今世と前世との記憶がそれぞれ混在してて、あぁー! って頭をかきむしったね。逆に絹みたいなサラサラ髪にもっと落ち着かなくなったけれども。……前はもっとパサついてのにって思うとな。


 紅葉みたいに小っさな手をした俺と、20年の過去の記憶を持ったのが、いまの等身大の俺ってやつなんで。

 落ち込んだりハイになったり、色々語ってはきたけど、まあ腹括って生きてくしかない。

 以前の自分は失ったにしても、現在がある。


 そう。俺はなにも失ってはいない。

 ――と、この時はまだそう思っていたのだ。



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