8 下地作り/交流
俺が正式に盗賊入りを表明したその場から、盗のレクチャーと下準備が始まった。
盗賊業を始めるにあたってまず決める必要があったのは、差しあたっての俺の仮業である。
勿論得意とするやり方や対象にもよりはするが、基本的に本格派とよばれる盗賊達の仕事はまず金持ちらしい人物の家に入り込み、その情報を得るところから始まる。
集めるべき標的の情報は多く、大まかな財産の置場を必須として、人が少なくなる日時や就寝の時間帯など暮らす人々の生活習慣、採用している防犯の種類や配置、用心棒の数とシフト……など、簡単に調べられることばかりではない。
相手にそれと悟られることなくそういった材料を入手するためには、足繁くその家に通いつつ、何度も自然に接触をとる必要がでてくるだろう。
よって、仮業はその情報収集に利用できるよう、商人や貴族の家に頻繁に入り込める仕事であるのがベター、というよりほぼマストである。
クメイト達が勧めてきた仮業の候補は、大別すると3種類だった。
一つ目のとりあえず確実というか成功率が高い方法が、メイドや料理人などの下働きとして貴族や金持ちの家に雇われてしまうこと。
一度決まってしまえばそれこそ毎日何の疑いもなく家に入れるわけだから、情報の集めやすさに関しては他の追随を許さない。住込みならそれこそ四六時中である。
この手法のデメリットとしては、一件ずつしか標的に近づけないのに加え比較的長い期間潜伏しなければならないこと。盗む直前に雇われて事件の後はいさよなら、では自分が犯人ですと言っているようなものだからな。
それでもハマった時の成功率の高さと安全性から、盗賊にとって厳冬の時代である今でもこの手法の人気は極めて高いのだそうだ。
行動を共にする仲間の中では、リッシュのやり口がこれに該当する。
リッシュは馬鹿っぽい見た目と言動に反して家事全般が得意であるため、メイドとしての潜入は容易らしい。更に彼女の場合、身体を使って強引に売り込んだり、深い情報を聞き出せるためガードが堅い商人や貴族が相手でも失敗したことがないとか何とか。いやん、ハレンチ!
しかし俺の場合、男ということで需要が若干限られることもあり今都合のよい求人があるわけでもなく、修行の時間もとりにくくなるためこの方法は没。
まあ俺としては本業に支障をきたすため元から無理なので却って助かった。
ちなみにこのやり方に限らず準備段階に時間をかける盗賊は、その時間に起因する収入のばらつきを補い、期間ごとの実入りを平均化するために徒党を組む。
例えば、前回自分の仕込みを使って仕事をホストしたとき募った協力者たるゲスト達に報酬を分配した代わりに、今度はゲストとして他が仕込んだ仕掛けの仕事に協力し分け前をもらう、といった具合だ。
単独でやる場合に比べ一回の利益は減るものの、回数がこなせるため万一仕込みが不発だった場合でもリカバリが効きやすいし、協力者がいることで成功率が上がるとともにやり方の幅が広がるというわけだ。
なかなか考えてるね。
続いて二つ目に挙げられた定番が歩きながらの物売り、金持ち貴族御用達品の突撃訪問販売である。
販売の需要があるのは食物、酒、女、煙草、クスリに剣、奴隷、春本、etc.……、まあ割と色々である。
このやり方の特徴は、さっきの場合と逆に多くの標的への仕込みを並列で進行できる代わり、各個への情報収集は難しくなること。
だからこちらもそれなりに時間はかかる。
「本格派とは仕込みへの時間を惜しまず、寧ろ楽しむものなのだ!」
とはクメイトを通して聞いたじいさんの言葉である。
クメイトはこの手法を選択しており、彼の場合は煙草クスリの販売の他、元手のかからぬマッサージを売り歩いている。しかも超絶テクをもっているため様々な家に頻繁に呼ばれる上、長時間滞在可能で時にはもてなされ泊められることさえあるらしい。
流石長年の業、なんか弱気なことを言っていたが本人は伊達にこの道で生き残っていないのである。
ちなみに他にも彼はピッキングやスニーキングの技術に優れ、盗みの際に必要となるほとんどの分担をこなすことができる。
戦闘力は皆無だが、後に一緒に行動したときに見た足の闘気をコントロールしての瞬動はかなりのもので、逆になんの武道も修めずこれほどの闘気操作を使うことに戦慄さえ感じる。
正にベテランの風格を感じさせる、凄腕の本格派盗賊だ。
この方法は俺でもできないことはないが、標的と信頼関係を築き話を引き出すには俺は少し若すぎるらしい。更にちょっと俺の年齢でかかわるのが不適切な、特殊な趣向の商品を扱う方が顧客と共通点を作った際取り入りやすいため、今の段階だとそれほどお勧めはできないということだ。
それらを踏まえ、最後に挙げられたのが食事処やカジノなど酒を飲む場で網を張り待つタイプ。
接待しておだてつつ酒でベロベロに酔わせ、普段話さないようなことまで話させてしまったりする方法だった。場合によっては酔った客を送って行ったり、強制的に忘れ物させて屋敷へ届け強引に接点をつくるというのもアリ。
スタートが受動的なので今一つ計画が立てにくいとのことではあるが、個人的には悪くないように思う。
ボウセンは既に現役を引退しておりあまり積極的ではないが、この手法で皆の盗サポートをしていると言えなくもない。
彼の場合は客が買ったクスリを店内の飲食スペースで吸わせ、気持ちよくなったところに更に酒を振る舞うことでそれこそ我を失わせ全てを吐かせるとか何とか。
ちょっと怖い。それ本当に身体は大丈夫なのか? 血は流れなくてもそのうち死人が出そうなんですけど……。
この方法だと事前に騎士団の方から拠点の候補として提示されていた店がそのまま使えて俺が楽なので、この店ならすぐに入り込めそうなんだけどと話を振ってみると、かなり好感触だった。
例の店は個室でガードが甘くなるし、金持ちの利用も多い。ちょっと細工をすれば個室を締め切っての内緒話も盗み聞きできるだろうとのこと。
あと、おまけに、
「ソラ坊はかわいい顔してますからね。それならちょっと気をみせりゃ、旦那の出張で体を持て余した女や男色の変態貴族に気に入られて、すぐに屋敷へも入り込めますよ!」
……とはクメイトの談。
どうやら俺は貞操をかけてを盗しないとならないらしい。
相手は傷つけなけりゃ、俺の心に消えない傷をつけるのはいいっていうのかよ……。
ついでに俺の呼び方は長い交渉によりソラ坊(リッシュは普通にソラ)に決まった。
クメイト達は呼びにくそうだが、只の七光りで若様とか呼ばれるのは俺が許せないので頑張って承知させた。
本名そのままなのはいいのかと思ったが、とっさのときに混ざったりして怪しくなるだけだと言われた。
そんなもんかね。
「じゃ、今日は申し訳ないですがこれで失礼いたしますよ。
ここんとこ女房がずっと調子悪くて物売りの他に世話もしてやらなくちゃあいけないもんで……。
じゃ若……じゃなかった、ソラ坊、これからお願いいたしやすね。
近いうちに連絡いれますんで、一からゆっくり勉強していきやしょう。
俺が指導なんで恐縮ですが全力で務めさしてもらいますんで」
と、こうして何とか俺の仮業の目途が立ったところでクメイトがこう発言し、俺と盗賊達の初めての顔合わせは終了となった。
無事コンタクトをとることに成功し、仮業も用意があったところに落ち着いた。
初日としてはまずまず無難にこなすことができたと言えるだろう。
しかし店に入ったら怪しまれないようフロアへ出て接待しながら情報収集もしないといけないな。
ああいう店にくるような貴族は調子のってるやつが多くて時々殺したくなるがしかたない、我慢しよう。
でも本気で変態貴族に襲われたらどうしよう……。
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それから俺は何度もクメイト達と会い、知り合いの盗賊達が集まる盗賊宿を廻って顔を売ったり、王都での立ち回り方のレクチャーを受けたりした。
彼らにとっては無駄でしかない時間だろうに、クメイト達は嫌な顔ひとつせず丁寧に、時には盗賊業に関係のないことまで教えてくれる。
俺に対して全く義理がないであろうリッシュだって、都合がつく時間を見つけては俺達の年代が話して違和感のない人気の話題等の話術、俺の店にくる貴族で狙い目の相手などの情報を教えてくれる。
おかげさまで俺の仕事は密偵も盗賊もそれなりには順調な推移だ。俺達が狙う相手は他の盗賊達も当然目をつけており、そこにマークをつけておけばアルス達の仕事にも役立つのだから。
このやり方で一件、接点の全くない邪道を行う強盗一味を捕えるのに貢献することができた。
初日に知り合った俺の事をじいさんから聞かされている彼らだけでなく、クメイトの紹介で知り合った本格派の盗賊達も大抵が俺の世話を焼こうとしてくれ、腕も信用できないだろうに自分の仕事を手伝えと言ってくれる。
中には救えないような奴もいるにはいるが、基本彼らは身内に対して面倒見がよく、優しいのだ。
そんな連中と接しているとどうしても、一体何故コイツ等は盗賊などやっているんだ、と考えずにはいられない、が。
理由なんか考えるまでもない。つきつめれば生活が苦しいからに決まっている。
国が抱えている多くの騎士の給料を賄うため、この国の税金は高い。
貴族や騎士から貴族街で彼ら相手の商売を続けるのに賄賂を要求されることも多いという。
平民が高度な魔術による治療を受けるには、多額の謝礼がいる。
ここは世界最大の国の王都だが、それでも庶民の暮らしは決して楽とはいえない。
だが、出費がそれだけであるのなら、しっかりとした仮業をもち、金遣いが荒いわけでもないクメイトなどは暮らしに困ったりなどしないはずだ。
そんな彼らでも未だに盗みの道から手を引けないのは、義理のためだ。
一度助けられたことがあるから、今度はそいつの助けになるために盗を作り出そうとする。
難儀している仲間がいれば、何とか工面して金を貸してやる。例え相手がギャンブルにのめり込んで、全く帰ってくる見込みのない金だったとしても。
一度、自分に金が必要な時、助けられたという理由だけで。
そんなことを繰り返しているうち、自分一人ならどうとでも生きていける者でも盗賊から抜け出せなくなっていく。
正直いって、これは愚かだと思う。クメイト達には面倒を見てくれたことを感謝しており、それ以上に謀って申し訳ないと思っているが、それにしてもだ。
堅気でも生きていける力を持った人間が、自分の限度を超えて救いの手を広げすぎた結果危険な盗みを続けなければならず、自分やその家族の暮らしまで怪しくしている。
いくらなんでもお人好しが過ぎる。
一般論だが無条件に与える救いなど、相手のためにもならないのではないか。
だが、俺がこう思うのは生まれた時から金に困ったことがなく、金がないときの苦しさや心細さを味わったことがないからなのだろうとも思う。
俺は盗賊をやるには、これまでの人生が恵まれすぎている。
そんな奴が心から彼らと同調し完全に溶け込むことなどできはしまい。これ以上の情報収集には難儀しそうだ……。
そこまで考えて、俺も甘さでは負けていないことに思い至った。
俺が未だに邪道派と接点をもてていないのは、邪道に興味があるようなことを言い出してクメイトやリッシュ達に幻滅されたくないからだ。
つながりができて優しくしてくれた、いつか売り渡すべき人間に嫌われたくないと新たな情報の入手を遅らせているなんて、甘いという以外になにがあるというのだろう。
自分の性格も顧みずこの仕事を安請け合いしたことを早くも若干後悔しながらも、俺は今日も盗賊修行のためにアジトへと向かうのだった。