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今日は弓ですか刃物ですか?

たっぷりと甘いチョコをあなたへ

作者: 東雲 さち

読んで下さってありがとうございます☆

 あ、しまった。レーズンがないわ。


 後は型にいれて、焼くだけになったパウンドケーキを前に、ごそごそと食糧庫を漁るが見当たらない。


 おとつい作ったパンに全部入れちゃったかな。


 入れなくても十分美味しいが、これを食べさせようと思っている人は、無類のレーズン好きなのだ。出来れば喜んで欲しいし。


「お母さん、ちょっと足りないもの買って来るわ。何かいるものある?」


 服を売っている店の方にいる母に尋ねると、特にないというので、リーゼロッテはケーキが乾かないように急いで街に繰り出した。


「今日はなんだか人が多いわね」


 レーズンとくるみと干したクランベリーを買って、街中を眺めると少しいつもと雰囲気が違うようだった。買い物にいくにしては早い時間だし、お昼ご飯を食べるのには少し遅い時間だ。歩いている人が多いような気がした。


 グルリと見回していると知り合いの顔を見つけて、リーゼロッテは駆け出した。


「キース! どうしたのこんな時間に」 


 道を挟んで駆けつけると、男は驚いたようにリーゼロッテを見つめた。幼馴染のキース・ハイル・バックスだった。


「リーゼ……。君こんなところで、なにしているの?」

「何って、お買い物よ」


 袋を見せると、キースは少し苛立ったように、リーゼロッテの手を掴んだ。


「早く帰りなさい。本当は送っていきたんだけど」


 その時、初めてキースの横に立つ女性に気がついた。長い金の髪を無造作に後ろで纏めているが、立ち姿がとても美しい人だった。


「あの、キース……」


 二人の繋がれていた手がさりげなく離されたのは、気のせいでなければ女性の方からだった。リーゼロッテに気を遣ったのかもしれない。


「キース、送っていってあげたほうがいい。荷物も多いし」


 ね、と微笑む彼女はリーゼロッテのほうを見て、優しくそう言った。


「リーゼ、早く帰りなさい」


 家が近いから大丈夫ですと、彼女に告げるキースは、早くリーゼロッテをここから遠ざけたいようだった。


「大丈夫です。本当にそこなので――」


 リーゼロッテは何故だか居た堪れなくなって、踵を返すと慌てて元来た道を戻った。


「なにしてんだ!」


 いきなり走り出したリーゼロッテの後ろに人が歩いていたのだ。男は、ドン! とぶつかったリーゼロッテに威勢のいい怒鳴り声を上げた。

 声に驚いたリーゼロッテは、荷物を手から落としてしまった。


「ごめんなさい!」


 リーゼロッテが謝ると男は「気をつけろよ」とだけ言って、そのまま行ってしまった。


「リーゼ、だからいつも気をつけて歩くようにいってるだろう」


 呆れたようなキースの声に、たまらなくなって、リーゼロッテはキースの方を見ずに思わず叫んだ。


「キースがごちゃごちゃ言うからよ! もう、キースなんかお家に来ないで!」


 八つ当たりだとわかっていたから、余計に恥ずかしくて、リーゼロッテは荷物をそのままに走り去った。


「リーゼロッテ!」


 キースの戸惑ったような声が聞こえたが、リーゼロッテは止まれなかった。勢いで家に着くまで走って、台所に駆け込んだところで、俯いて座り込んでしまった。


「キースの馬鹿……」


 彼女の存在に気付いてから、ずっと涙を堪えていたのだ。後ろを向いた時には涙が溢れていたから人の存在なんか気がつかなかったのに、リーゼロッテを責めたキースを酷いと詰る。


 しばらく泣いたら、少しだけスッと気持ちが落ち着いた。


「無駄になっちゃった……」


 ケーキ型を覗き込んで、リーゼロッテは呟く。


 キースに喜んでもらおうと思って、作ったのに、家に来るなと言ってしまった。それに、レーズンも放ってきてしまった。


「キースの……ばか……」


 リーゼロッテは、キースの嫌いな甘いチョコレートのチップを山のように入れて、火をいれた。


 出来上がったケーキは、山のようにいれたチョコの匂いが凄かった。きっと夕飯を作る母親にも怒られるだろう。味見をすると、こげたチョコはほろ苦くて、リーゼロッテはもう一度泣いた。


 


 ケーキを食卓にだしたまま、リーゼロッテは眠った。あまりに泣きすぎて頭が痛くなったからだ。


「リーゼ、大丈夫?」


 母親が部屋を訪れて声をかけてくれたときも、リーゼロッテはシーツに包まって、顔をみせずに「大丈夫だけど、寝てるわ」と言った。いつも家の手伝いを進んでするリーゼロッテが夕飯の支度の手伝いに来ないから心配していた母も、いかにも泣いていたというような声のリーゼロッテに「そう、後で食事を運ぶわね」とだけ言って出て行った。


 リーゼロッテは決して一人で抱え込んで自滅するタイプでない事を知っているから、母親もそれほど心配はしなかったようだ。まぁ忙しいというのもあるのだろうけど。


 リーゼの家は、サラマイン王国、王都リスカスの一等地にエディソン洋装店という服を売る店をだしている。

 父は生地を求めてあちこちの国へ出かける商人だし、母はデザイナーで貴族のドレスなども手がけている。一番上の姉は男爵家に嫁いだ後も実家に出入りして手伝っているし、跡継ぎの兄も店の経営の幅を大きく広げている。

 今やその顧客に公爵夫人や伯爵夫人に王女様までいらっしゃるのだ。そんな忙しくなった家の中で、リーゼロッテだけが何も出来なかった。学校では勉強もそれなりに出来たし、人付き合いも苦手ではないが、家族の皆がもつようなカリスマ的なものが何もないのだ。


 毎日、学校へ行き、帰ってからは家事をする。家族の喜ぶお菓子を作り、母のデザインに勝手なアドバイスをする。母はいつも笑いながら、「リーゼがいてくれるから迷わずにすむわ」と言ってくれるが、それもただの慰めだとリーゼロッテは知っていた。


 こうやって寝台で鬱々としていると、なんだか自分が本当にちっぽけな存在に思えてくるから不思議だとリーゼロッテは思った。


「起きよう……」


 気合を入れて起き上がると、ドアが開いて兄のローランドがリーゼロッテの部屋に入ってきた。


「兄様! 淑女の部屋に無断で入るなんて……」


 まだ泣いていた顔のままだったから、リーゼロッテは思わず八つ当たりしてしまった。普段着る服のまま寝ていたから、皺だらけになっているのを上から下まで見て、ローランドは呟いた。


「淑女……」


 ローランドはポカンと口を開けて驚いていた。


「失礼よ!」


 くつくつと肩を震わせながら普段リーゼロッテが編み物をするテーブルに食事を置いた。


「淑女は、あんなケーキを作ったりしないと思うがな」


 あのケーキとは、チョコを入れすぎて正直苦くなっているだろう例のアレだろう。


「あ、あれは分量を間違ったのよ……」


 苦し紛れにそういうと、兄は嫌な笑いを浮かべた。


「分量ね~。可哀想にキースは真っ青になって食べていたぞ」


「キースが来てたの……?」


 リーゼロッテは、今一番聞きたくなかった名前を聞いて口篭る。


「荷物放り出してきただろう? 届けたついでに晩御飯でもどうだと誘ったんだ」


 キースは兄の学院時代の親友の一人だった。

 兄と同い年で、貴族ではないが準貴族と呼ばれる騎士の家に生まれた三男で、今は騎士団に所属している。

 兄とキースと伯爵家のハールの三人は身分も違うのに気安くよくつるんでいた。それほど似てない性格がたまたま合ったのだろう。ハールは今は忙しいようで、あまり家には来なかったが、キースはローランドがいなくてもこの家の食事が気に入っているようで入り浸っていた。


 だから、キースがご飯を食べていったこと事態は別段おかしいことではない。


 今日は金曜日だから、きっと来るだろうと思ってレーズンたっぷりのケーキを作ろうと思ったのだから。


「来たのね――」


 来ないでっていったのに……と、まるで自分の意思などどうでもいいと思われているようでリーゼロッテは項垂れた。


「で、お前の作った殺人的なケーキを丸々食べて、蒼白な顔で帰っていったよ」


「キースはチョコが嫌いなのわかっているのに食べさせたの?」


 作った自分がいうのもなんだが、あれはチョコが好きな人間でも辛いだろうと思ったので非難した。


「というかあれしか食わせてない。お前を泣かしたあいつに母さんが食事をさせるわけがないだろう。わかってたからか、キースもなにも言わずに全部食べてたぞ」


「なっ! なんで泣かせたってわかるのよ!」


 叫んでから、ローランドの誘導に引っかかったと気付いた。目線を彷徨わせたリーゼロッテの頭を撫でてからローランドは溜息を吐いた。


「お前がそんな風に泣くなんて、キース以外のことがあるわけないだろう?」


 どうやら自分の恋心は家族全員にバレていたらしいと、リーゼロッテはその時初めて気がついた。


「だって……キースは悪くないのよ……。私、キースに恋人がいるなんて知らなかったから……だから、ちょっと驚いただけなの……」


「おい、お前、いつの間に恋人なんか作ったんだ? 俺の妹は遊びのつもりか?」


 リーゼロッテが聞いたことのない険しい声音の兄にもビックリしたが、その声に慌てるようにして出てきたキースに声もでないくらい驚いた。息を飲んでから、リーゼロッテは叫んだ。


「帰ったって……!」


「ああ、お前は本当に可愛いな。――後は自分でいい訳しろ」


 リーゼロッテは呆気にとられながら、リーゼロッテの頭を撫でて、キースの肩をトンと殴ってから出て行く兄を見送った。


「リーゼ……」


「……っ! 私はキースのせいで泣いたりなんかしてないんだから!」


 なんていうことだろう、失恋のその日になんで告白まがいのことをしてしまっているのだろう。ダラダラとリーゼロッテの背中を汗が流れた。


「リーゼ、俺に恋人なんかいないよ」

 

 キースは大人の余裕だろうか、リーゼロッテに優しくそう言った。


 馬鹿にされている――。


 リーゼロッテは恐慌のあまりそこにあったクッションをキースに向かって投げつけた。キースは避けれるだろうにそれを顔面で受け止めた。


「嘘よ! だって手を繋いでたわ……。私のこと邪魔にして……うっ……」


 これ以上情けない思いなんてしたくないのに、キースは酷いとリーゼロッテは尚もクッションを投げつけた。


 三つしか置いていなかったのを後悔した。投げ終わるとリーゼロッテは膝を抱えてしゃがみこんだ。


「もう、キースなんて知らない!」


 どうしたらこの気持ちを押さえられるのかリーゼロッテにはわからなかった。


 しゃくり上げる声も、まだ残っていたのかと呆れるほどに流れる涙も何もかもが嫌になった。


「リーゼ、泣かないで。ごめん、昼間は仕事だったんだ。あの人は上司で、二人でおとり捜査をしていたんだよ。でも言えなくて――」


 そりゃ仕事中に「今おとり捜査してます」なんて言えないだろう。


「うそ……。綺麗な人だったわ――。握っていた手を私のために離してくれた優しそうな人で……キースはあの人のことが好きなんだわ。二人はいつも仕事が終わったら一緒に帰るのよ。そして、夕暮れの街でキスして、一緒に公園に行くのよ。あの人はドレスを着たらきっと美しいわ。私が編んだレースを飾ったドレスがとても似合いそう……」


 リーゼロッテは確かに昼間見た人を思いだしたのだが、何故かその後の妄想が止まらなかった。


「やっぱりリーゼもペギーの妹なんだね……」


 キースは少しだけ戸惑ったようにリーゼロッテにそう言った。


 姉のマルガレーテは昔から学院の男達から恐れられていた。学院を舞台にした男同士の恋愛物語を書きまくっていたからだ。『カールとガートランド』はその代表作で、主人公のカールは、兄の親友のハールだったし、ガートランドは兄のローランドのことだった。あまりにあまりな内容だっただけにローランドは今もマルガレーテに怒っているくらいだ。


 その姉と似ていると言われて、リーゼロッテは激しく動揺した。


 真っ赤で滂沱の涙が流れたその顔をキースは冷たく大きな手で包んだ。涙をそっと指で拭ってくれる優しい仕草にキースへの恋心は涙のように止まることを知らない。


「俺はリーゼが好きだよ。家族のために頑張ってる君も、俺のためにお菓子を焼いてくれる君も、誰にも渡したくないんだ」


 嘘だ……といいたかったが声にならなかった。


「んっ……」


 キースが膝をつき、自分を胸に抱いて口付けをしているのだと、その時初めて気付いた。


 初めてのキスの味は、ほろ苦いチョコの味がした(焦げ臭いともいう)。


「やっと言えた……」


 ホッとしたように微笑むキースの顔にリーゼロッテは違う意味で赤くなった。


 可愛い――。


 そんな事を言ったらきっとキースは気分を害するだろうとリーゼロッテは賢明にも誘惑に耐えた。


「リーゼ、いや……リーゼロッテ嬢、俺と結婚を前提にお付き合いしてくれませんか?」


 リーゼロッテを立ち上がらせて、キースは膝を折った。見上げるリーゼロッテの顔に笑みかけながら、そう言って手の甲にキスをした。


 夢かと思った。大好きなキースが、夢にまで見たプロポーズをしてくれている。


 頷き、「喜んで」と答えようとリーゼロッテは口を開いた。


「あなたがそういうなら仕方ないわね!」


 リーゼロッテは自分の頬をはたいてやりたくなった。もういっそ、頷くだけで良かったんじゃないかとも思った。


 少しだけ驚いたようなキースの顔を、気まずくて見ることが出来なかった。


「リーゼはやっぱり可愛い」


 立ち上がってそう言ったキースが満面の笑みに崩れていたから、全部忘れてしまおうとリーゼロッテは今日一日を振り返ってそう決めた。


 扉の外で話を聞いていたローランドは、親友と妹の会話に頭を抱えながら、静かに怒り狂っていた母のもとに報告するために階段を下りていくのだった。

私にしては軽い小話のような話ですが、お気に召していただけるとうれしいです。

ツンデレになっていたでしょうか?(笑)。

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