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三話

極度の緊張から開放され、その場に座り込んだ亜衣に学校医が上から声をかける。


「藤川さんごめん、わけがわからないんだけど」

「せんせーーーー」


情けない声を上げ、唯一ともいえる、頼るべき大人に縋り付く。

誰かに言いたくて、でも誰にも言えなかった不可思議な現象を、堰を切ったかのように学校医へと訴えかける。話しながらも、それが現実のものとは本人ですら思えない。

あちこちへと話が飛び、まるで要領が得ない亜衣の話に学校医は最後まで根気よく耳を傾ける。粘り強く亜衣の話をまとめ、整理しながらも訝しげに首をかしげるほかはない。亜衣だとて冷静に第三者的立場で聞けば、彼女よりももっとひどい態度をとっているだろう。

ただ亜衣の方はといえば、話を聞いてもらえる、ただそれだけですっかりと精神的に安心してしまっていた。さらには、今まで落ち着かなかった体調がみるみる回復してくる感覚さえ覚えてくる。

それほど軟弱ではない、と思っていた本人だが、得体が知れない恐怖、という精神的ストレスは侮れなかったようだ。

ある日担任が摩り替わり、自分以外誰もそのことに気がついていない、などという不可思議な現象が起こればそれもしかたがないのかもしれない。

中途半端におかしなことに、担任が入れ替わるのは朝のホームルームだけで、その後は若ハゲが教鞭をとっていたのだからさらに混乱する。しかもクラスメートたちは誰一人としてパニックを起こしていないのだから。


「と、言うわけなんです」

「んーーーーーー、まああなたの言うことを信じないわけじゃないけど」

「そうですよね、信じられないですよね、やっぱり」

「常識で考えて」

「病院、いったほうがいいですか?」


腕組みをして考えあぐねている学校医は、小さく頭を振り、亜衣がそういう意味でおかしいわけではない、といった意味の態度をとる。


「確かに人間離れしていた、ような気もするけれど」

「でも、実体あるんですよ、あれ」


押さえつけられた両手首を見せながら、亜衣が訴える。

彼女の手首にははっきりと手の跡がつけられており、あれが夢や幻ではなかったことを示している。


「いっそ幽霊だったらいいんですけどねぇ」

「まあ、夏だし」

「ええ、夏ですし」


エアコンが効いた室内にはいるものの、窓の外はその暑さを示すかのような風景が見受けられる。暑さを思い出すかのように、二人で視線を外へと向ける。


「あれが、まあ、その、藤川さんが言った通り、だとして。信じられないけど」

「信じられないことに本当のことです、信じたくないけど」

「ものすごく執着されてたような気がするけど、心当たり、ある?とりあえず変態の線で」


亜衣の言葉が真実であろうとなかろうと、この保健室に変質者が堂々と入り込んだことは事実だ。おまけに亜衣のことを知っていることも本当だ。そのあたりから何か妥当な解決策、いや、両者が腑に落ちる、答え、を探し出そうとするところはさすがに学校医も、ただうろたえるだけの少女ではないところなのかもしれない。


「あるといえば、あるような」


亜衣は、必死になって思い出しながら、あれと出会った最初の場所について話しはじめる。

そもそも今から考えれば、あの場所、が、すでにおかしなところに存在していたことにうっかり気がついてしまう。

駅前の繁華街の、いくら閉店した店舗の裏であろうとも、あのような空間があそこに存在するはずはないのだから。


「んーーーーーーーーーーーー」

「まあ、信じられないかもしれないですけど、本当です、嫌というほど嘘だといいと思いますけど」

「いや、信じないというか、信じられないというか」

「ええ、私が先生の立場でもそう言うと思います」


やはり、一度眼科かさもなければ心療内科にでもかかろうか、と、いっそ病気であったほうがましだ、と、そんなことすら考えてしまう。


「じゃあさ、そこ試しにもう一回行ってみる?」

「そこ?」

「その神社みたいなとこ」

「ええ!」


顔をしかめ、亜衣が拒否の姿勢を示す。

これ以上あれ、とかかわるのはごめんだと、心底思っているのだから。


「いやさ、なんか原因はそこって感じがするんだよね、やっぱり。まあそういう不思議な話を聞かないでもないしさ」

「エーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

「ずっと付きまとわれたい、っていうんなら別だけど」

「それはない」


心配そうな学校医と、不遜な笑みを残していった変態と、面倒ごとは嫌だな、という自分の気持ち。

それら全てを秤にかけ、亜衣はようやく重い腰を上げ、確かめにいくことに決めた。

できれば、こんなことは今日これきりにして欲しい、と、信じてもいない神様に祈りながら。




「ここ、なんですけど」

「うーーーーん」


あの日確かに通り抜けた先に緑が見えたその路地は、何の変哲もない路地でしかなかった。

何度確認しても、どれだけ目を凝らしてみても、薄汚い小道に変化はない。


「とりあえず、通ってみる?」

「そーですねー、とりあえず」


学校医の後ろをのろのろと続いて歩く。

打ち捨てられたごみをよけながら、狭い道を歩く女二人の図は、これがもう少し人通りが多い時間ならば、さぞ人々に奇異に映ることだろう。


「やっぱ、夢でもみたんですかねぇ」

「だけど、あれは現実でしょ?」


自分が経験したことを、半分以上信じられなくなった亜衣は、全てを夢で片付けたくなり始めている。

子供のころからどちらかというと面倒くさがりやで、諦めの妙によかった彼女らしい心情の変化だ。


「うわ!」


突如立ち止まった学校医に、足元ばかりを気にしていた亜衣がぶつかる。


「どうしたんすか?急に」

「いや」

「え?」

「悪い、藤川さん、あなたの言うこと、信じる」


学校医が人差し指を指し示す方向に、あの日見た神社が渾然と姿を現した。

振り返れば、そこには汚い路地がある。

もう一度進路方向を向けば、そこには、うっそうとした森と、どこまでも続く田園風景、そして、好奇心にかられ足を踏み入れてしまった神社が、確かに存在した。


「私、結構ここ長いけど、こんなとこ初めて来た」

「……あったんだ、やっぱり」


少し嬉しそうに歩みを進める大人と、渋々その後ろをくっついていく少女。

この風景になじまない二人は、あの日亜衣がそうしたように、鳥居をくぐりぬけ、長い石段を一歩一歩登り始める。


「これで最後、っと」


笑いそうになる膝を叩きながら、ようやく登りつめた二人には、亜衣があの日に見た風景が飛び込んできた。

しかし、あの日のような少女の姿はなく、一段とその境内を寂しげにみせていた。


「ここであった、と」

「はい」

「社務所はあるんだ」

「ええ、あの日は女の人がいました」


学校医の袖を掴みながら、二人でのろのろと移動する。

やはり、人気はなく、ただ木々だけがざわめいている。


「あれ?なんか張り紙が」


きっちりと閉じられた社務所の扉に、半紙に筆で書かれた綺麗な文字が並んでいる。


「えっと、『愛想がつきた。西に行く、なお』って書いてあるけど」

「これってなんか」

「なんか、ねぇ」


筆で丁寧に書かれた文字は時代めいてはいるが、内容ははっきりといえば女性が男性に三行半をつきつけるときのそれだ。どう考えても、このなお、という人とこの手紙を見せたい男が痴話げんかをしているとしかおもえない。


「だーーーー、あいつ」

「うわああああああああああ」


二人の後ろから突然声がかかり、二人は一斉に、手をとりあって数メートル駆け出した。


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