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一話


1


 藤川亜衣はいたって普通の学生だ。

特に容姿が優れているわけでも、勉学が得意なわけでもない。運動神経はといえば、せいぜい自転車が乗れる程度で、ことさら自慢できるようなものはなにもない。

だが、それを別に悲観するわけでもないどちらかといえば能天気な性格は、今の世の中にぴったりだともいえる。どこでもいるような自分の人生はそれなりに楽しく、未来はばら色、とまではいかなくとも、そこそこ楽しそうな未来である、と単純に信じきっていた。

今日、この日、この時、この道を選ぶ、という愚考をおこさなければ。

そもそもの発端は、家へ帰る途中に、急に雨に降られたことにある。

慌ててシャッターが閉じられた店先に避難はしたものの、空はどんよりと曇り、雨脚は一向に衰えてはくれない。何気なく携帯を取り出すものの、連絡したところで家には誰もいない。

しょうがないな、と、ぽつりと呟きながら、亜衣は再び空を見上げる。

トモダチと携帯でやりとりをしながら、何気なく店と店の間、裏道に視線を落とす。

人一人ようやく通れるかどうか、といったその通路は、すでに使われなくなってから久しいごみバケツや空き瓶といった不法投棄されたごみがそこここに散らばっている。

そこまでは普通の光景だ。

地方都市、と言うほど大きくも無いが、村と言うほどちいさくもないこの町で、そのような道を見ないほうが珍しい。

だた、亜衣がついっと視線をさらにその先へとあげると、あまり日常では見ないであろう光景が彼女の両目に飛び込んできた。

うっそうとした森。

ひらひらとたなびく鮮やかな幾枚かの布。

まるでどこかのアニメーションにでてきたかのような、いかにも戦前の田舎にある緑豊かな田園風景、といったものが、亜衣の目の前に広がっていた。

ふらふらと、まるで催眠術にかかったかのようにその道へと吸い込まれる亜衣。

彼女は、この時、人として決して覗いてはならない領域へと足を踏み入れてしまった。




「あれ?」


携帯を片手に、ずかずかと足を進めた亜衣は、周囲を振り返って呟く。

突然現れた木々に目を凝らすと、小さな鳥居がかかっていることがわかる。


「こんなとこあったっけ?」


亜衣は生まれも育ちもこの町だ。

繁華街、など百メートルで終了してしまい、終電や終バスの時間を考えれば立派な田舎だと断言できる。

だが、一応県では人口が二番目に多いこともあり、それなりに大きな町だ、と住民たちは考えている節がある。もっとも、面積から言う人口密度は非常に低いのだが。

だからこそ、彼女が行く範囲は限られており、この商店街もどれほど通ったかはわからないほどだ。

そんな彼女がほんの数メートル歩いただけで、まるで知らない土地にたどり着いてしまったのだから、驚いたのも無理はない。


「おっかしいなぁ、っていうか、あの店の裏ってマンションじゃなかったっけ?」


昨今の開発ブームに乗り、ここらあたりにもおしゃれな店や、綺麗なマンションがたけのこのようにたった。それもここにきて急速にブレーキがかかったものの、それでも町の中心部、繁華街にあるこの店の裏に、このように自然豊かな土地が存在するはずもない。

あまり深く考えることがない彼女は、それでもさほど疑問に思わずにさくさくと足を進める。


「鳥居ってことは、神社?」


それほど信仰する人間がいるとは思えないものの、綺麗に掃き清められた石段を登る。

所々に立つ灯篭がかなりこの神社が歴史を有していることを示している。

どれほど登ったのかはわからなく、正直なところ亜衣が後悔しかけたころ、ようやく視界が広がった。

まっすぐと境内へ進む石畳に、左手前には社務所と思わしき建物が見える。

思ったとおり、神社そのものはとても小さなものだが、その歴史はどれほどだろう、と、こういうことにはあまり詳しくはない亜衣ですら感嘆のため息をついた。

とりあえず、ここまで来たからには賽銭でも、とかばんの中を探していた彼女に、急に声がかかる。

びっくりして固まったまま、彼女は声の方に視線を向ける。


「どうやって入りなさった?」


間抜け面をさらしながら、亜衣は声の主をまじまじと見詰める。

いや、瞬時にして見惚れた、と言い換えてもいいのかもしれない。

すさまじいほどの美貌、という言葉は言葉といて知ってはいた。テレビや映画で見る女優やモデルなどに散見されるそれだ。

だが、田舎生まれの田舎育ち、雑誌の片隅に小さく写るほどの美少女ですら、見たことがない、と表現されるような土地において、その言葉を向ける対象となるべき人は見当たるはずがない。

亜衣は、生まれて初めて、その、美貌、という言葉をしっくりと当てはめ、それさえもまだ足りない、というほどの人物に出会ってしまった。

それが今亜衣に声をかけた人物であり、ただ呆然として見入るしかない、というのも無理も無いことだ。


「早く帰った方がよい。後悔したくなければ」


やや古めかしい言葉遣いも、似合いである、といつのまにかため息がもれていた。

これほどレベルが違えば、妬みの気持ちすら生まれてこないのだろう、と、彼女の涼やかな目じりをうらやましげにみつめる。


「あの、すみません、ここ、はじめてで」

「……そうでしょう。常ならばこのようなことは起こらないのですが」


ようやく声が出た亜衣は、よくわからない会話を美少女と交わす。


「ここ、神様?」

「……ろくでもありませんが」


心なしか、彼女が鼻で笑ったような気がして、バッグに手を突っ込んだまま戸惑う。

緋色の袴に、真っ白な着物。

正月にお守りを売る女性たちが着ている装束、ぐらいしか亜衣は知らないものの、所謂巫女着というものだろうと判断する。それを着ているのだから、彼女はこの神社の関係者であり、まあ、大雑把に言えば信者ともいえるはずだ。その彼女からは、あまりここへの敬意が感じられないのは自分の気のせいなのか、と、首をかしげる。




「かわいい」


突然、首筋にぬめりとした感触を感じ、慌てて半歩横へ飛びのく。

反射的に右手で首筋を確認する。

粘性の高い虫がついたわけではない、とほっとしたのもつかのま、いつのまにか亜衣がいたその場所には、見知らぬ、だが一目見たら忘れられない人、が立っていた。

氷のようだ。

最初に亜衣が感じたのはそのイメージ。

目の前に人の姿をした何か、が立っているのに、それを人として認識することができない。

美少女と似合いの漆黒の髪に、切れ長の目、白磁のような肌は、とても人間のものとは思えない。

そう、人間だと思えないのだ。


「何?」


境内に足を踏み入れているのだから、関係者か通りすがりか、はたまた近所の人間か、そのどれも目の前の生物に当てはめることができないでいる亜衣は、とても居心地が悪い、と感じてしまう。

まるで現実感が伴わない、そのイキモノからの視線を直接浴びる結果となった亜衣は、石段を一足飛びに駆け足で逃げ出したい衝動にかられている。


「かわいい」


再び口を開いたそれは、いつのまにか亜衣に近づき、その右手でさりげなく首筋を撫でる。

ぞくり、とした感触が全身をはしり、苦手なナメクジに遭遇したときよりもはるかに強い嫌悪感に支配される。


「固まっちゃって」


石のように動けない亜衣を尻目に、イキモノの顔が徐々に近づく。


(人形みたいな人、だ)


生気を感じさせないほどの美貌が、亜衣の顔をとらえ、近づく。

なされるがまま動けない亜衣は、ただ恐ろしくて一度合ってしまった視線をはずすことすらできないでいる。

瞬間、影が走り、その綺麗な生き物が後ろへと飛び去る。

距離が離れた亜衣はようやく金縛りのような状態から抜け出し、とりあえず石段の方へと逃げ出す体制を整える。


「ちょ、まて」


あんなものがあんな風に風を切る、だなんて知らなかった。

少しだけ落ち着いた彼女が目にしたのは、美少女が手にしていた箒を見事に操りながら、綺麗なイキモノを追い回す姿だ。

映画のアクションシーンのように、美しく振り回された箒は、それが本来の用途であるかのように、的確にイキモノと格闘を繰り広げていく。

円を描き、斜めに空気を切り裂き、かのイキモノの咽喉へと繰り出される様は、とても美しく、これが見られたことだけで、今日ここへたどり着いたことに満足したほどだ。


「いいかげんになさいませ、と、申しておりますでしょ」

「おま、無表情でそんなもの振り回すのやめろ」

「やめてくださればこんなまねをすることはありません」


息も切らせずに、二人の舞踏のようなやり取りは続く。


「あら、巨乳!」


美少女が発するにはあまりにもな言葉が零れ落ち、綺麗なイキモノが指された方へと顔を向ける。

鈍い音と同時に、箒はそのものへと振り下ろされ、それはあっけなく昏倒した。


「あのう」

「気になさらぬよう、常のことですから」

「それよりも、今のうちに早くここを去りなされ」


たおやかに微笑まれ、亜衣は無意識で大きく頷く。

人間、美しいものには弱いのかもしれない。


「二度と迷いこまぬように」


その声を背に、亜衣は言われるまま石段を走り降りる。




これが、藤川亜衣の、ターニングポイント。

本人だけは、それを知らない。


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