【一日目・2】
「着替えおわった?」
「はい。大丈夫です」
メイドの声が聞こえると、少年は扉を開けた。その部屋はそれほど大きくないが、中央にテーブルと椅子があっても狭くは感じない。暖炉があるので火を使っていた調理場よりも暖かかった。テーブルの上には燭台でロウソクが燃えていた。
部屋に入ってきた少年の手に湯気をたてる鍋があるのを見て、ネミールは歓声をあげた。
「やった! 温かいスープ!」
満面の笑顔で鍋をキラキラと目を光らせて見ている。メイドは頭を下げて感謝する。
「ありがとうございます」
「こんなものしかないのけど、口に合うかな」
「そんなことないです! すごくおいしそうです!」
そう言うネミールに小さく笑いながら、目の前の器に鍋のスープを入れる。それを見つめる彼女は、今にもよだれを垂らしそうだ。メイドと自分の器にもスープを入れて席に着く。少女とメイドはすでに着席していた。
「どうぞ」
ネミールは一心不乱にスープをかきこむ。貴族のお嬢様とは思えない食べっぷりだ。メイドはというと姿勢正しく静かに食事をしていた。こちらのほうがよほど貴族らしい。
メイドはメイド服を着ていなかった。粗末な服とスカート。穴などは空いていないが、ところどころ違う布でつぎあてがされていた。少し体より服が小さい。それはネミールのほうも同じで、こちらは服が大きい。服の袖とスカートは何度か折られている。
この服は彼女達の持ち物ではなく、少年の家にあった物だ。吹雪の中歩いてきた二人の服は、雪で水浸しなっていた。そこで少年が服を貸したのだった。脱いだ服は部屋の角に張られた縄に吊るされている。
着替える間、少年は調理場にいた。今いる部屋の隣が調理場で、壁で仕切られている。
「おいしいー! あたたまるー!」
ネミールはスープを頬張りながら、うっとりと目を閉じる。メイドのほうも安堵の息を、ほうと漏らす。濡れた服を着替え、温かい食事で落ち着いたのだろう。
「すいません、おかわりをいただいても?」
「遠慮しないで食べてよ」
「だそうですよ、お嬢様」
「やったー!」
瞬く間にスープはなくなり空となる。
「あーおいしかった!」
「貴族が食べるような料理じゃないと思うけど」
「たしかに味付けも具も劣っていますが、空腹は最高の調味料です。本来ならお嬢様が食べるようなものではありませんが、致し方ありません」
「それ、完全に馬鹿にしてる気がするけど」
「もう、そんなこと言わないのアイリーン。おいしかったでしょ」
頬を膨らませて怒るネミール。その幼い子供のような態度を見て、メイドはだらりと相好を崩す。眉毛も目も口元も、いっせいに垂れ下がる。
「すみませんお嬢様。怒った顔も愛らしい」
「なんで私が怒ったらいつも笑うのよアイリーンは。ごめんなさい。えっと……」
「まだ名前言ってないよね。僕はエイン。きみはネミールで、メイド? がアイリーン?」
「申し送れました。私の名前はアイリーン。お嬢様のメイドです。そして……」
「改めまして、私はネミール・エル・トイ。ボラス王国エル地方領主トイ家の娘です。このたびは私達を助けてくださってありがとうございます」
そう言うと少女は深々と頭を下げた。メイドも同様だ。
「それだけど、本当にきみはここの領主様のお嬢様? 僕って領主様の町まで言ったことが無いから全然わからなくて」
「証拠はこれです。このペンダントに刻まれているのは私の家の紋章。この紋章を持てるのはその家の者だけ、なんだけど……」
最初は貴族の威厳がある言葉遣いと雰囲気だったのだが、最後は崩れて子供っぽいものとなる。ペンダントを胸元から出して見せても、エインが首を傾げるだけだったからだ。
「ごめん。領主様の名前は知ってるけど、紋章なんて見たこと無いし。ただそのペンダントが高価だってことはわかるよ。光ってるし、それって宝石?」
「うん、そう。他に証拠になりそうなものは……」
「ありませんね。脱いだ服はそれなりに高価なものですが、お嬢様が領主様の娘だという証拠にはなりませんね」
助けを求めてネミールはアイリーンへ顔を向けたが、その言葉でがっくりと肩を落とす。その姿を見たアイリーンは目を輝かせる。
「ああ、お嬢様。落ち込んだ姿も綺麗です」
肩を落としたネミールを見ながら、エインは彼女が本物だと半ば信じていた。
雪にまみれひどい顔をしていたときはわからなかったが、身を整えたその姿はメイドが言うほど大げさなものではないけれど、十分美しい。小ぶりな顔に配置された目鼻口はどれも整っている。吹雪で多少崩れているが、背中まである長い金髪は美しく手入れがされていた。着ていた服もかなり上等だ。それを見てエインは少なくとも彼女が高貴な身分であると理解する。
「信じるよ。たぶん本当だと思うし」
「えっ! 本当に」
勢いよく顔を上げたネミールにエインは頷く。
「悪い人じゃなさそうだしね」
「よかったー」
「お嬢様の美しさは世界共通なのです」
なぜかメイドが胸をはって自慢げだ。
「そういえば、家にいるのはエイン一人なの? 家族の人は?」
「……一年前にじいちゃんが死んでから一人」
「ごめんなさい」
笑顔だったネミールの顔が一瞬で泣きそうな表情へ変わった。
「辛いこと聞いてごめんなさい……」
「いいよ。気にしてないし」
「そうです。お嬢様がこんな者のことで落ち込むことはありません。あやまってください」
「え、僕? あの、ごめん」
「そんな、私が……」
二人が交互に謝るのが何度か続き、やっと落ち着く。
「そうだ、二人はどうしてここに来たの? ずいぶん領主様の町からも、他の村からも離れてるけど」
「それは……」
ネミールは不安げな、アイリーンは感情があまり感じられない無表情となって黙る。エインも黙って待つと、静かにネミールが口を開いた。
「それは一昨日……北から緊急の早馬で騎士の人がやってきて……その人は、すごく恐ろしいことが起こったと言ったの。帝国が、イヴュル帝国が攻めてきたって……」