【三日目・3】
「雪がふりそうですな」
エル地方領第一騎士団団長は雲に覆われた空を見てぼやいた。
「二日目のように吹雪にならなければよいのですが」
城を出発してから四日目。今は小休止をしているところだ。
「早めに村へ到着したいところですね」
エル地方領騎士団総団長ネルゴットは、憂鬱な瞳で空を見上げた。
冬の雲は重く低い。まるで押しつぶされるようだ。そう感じるのは今の精神状態のせいかもしれない。
「なかなか帝国の賊とは出会いませんな」
すでにイヴュル王国との国境までかなり近い場所まで来ていた。それなのに相手の姿は見えない。偵察のための騎兵がまだ戻っていないので、近くにいるのかどうかもわからなかった。
「帝国の進行速度が遅い。またはこちらをすでに待ち構えている。そして、略奪に気を取られている……そのどれかでしょうね……」
ネルゴットと第一騎士団団長の表情が厳しいものになる。
進行速度が遅いのならばそれは朗報だ。待ち構えられていたとしても問題ない。相手は自分達の二倍の数がいるが、すでに覚悟は決まっている。それにネルゴットがいるのだ。負けるはずがないと信じている。しかし、略奪は問題だ。
昔から戦争と略奪は二つで一つのものだ。そしてこの略奪というのはたびたび暴走し、大規模な混乱を巻き起こす。かつて略奪を禁止したのにも関わらず、自軍が略奪をはじめそれを抑えられず、そこで反撃を許してしまい大敗してしまった故事がある。
敵が略奪している隙に反撃できたことは喜ばしい。だが、すでに自らの兵は殺され、人々の尊厳と財産は奪われているのだ。失われた物は戻らない。
重苦しい雰囲気を忘れるため、わざと騎士団団長は明るい声を出す。
「しかし砦を建設しておいて正解でしたな。おかげで素早く行動に移せました。領主様に先見の明があったおかげです」
「ええ。そうね」
イヴュル帝国との国境すぐ近くに監視用の砦を建設したのは、ルカールがエル地方領領主になり、ネルゴットと結婚してからだった。
砦といっても領主城のような岩を積み上げた壁があるような立派なものではなく、木の柵で囲んだ普通の家のようなものでしかない。常駐している騎士も十人程度だ。
そんなものでも建設を提案した当初は反対意見が多数だった。まずエル地方領は辺境で気候は厳しく、さらに農地に使える土地が少ない。地下資源があるわけでもないので財政は厳しく貧乏だった。何十年も攻めてこないイヴュル帝国に備えるより、もしものための備蓄食料のほうが大切だ。ほとんどの家臣たちはそう反対していた。
そこでルカールは北にある国からとある作物の種を手に入れた。それは白長芋という野菜で、寒く荒れた土地でも育てることができるというものだった。その野菜のおかげでエル地方領の財政は多少なりとも上向く。そういった成果もあり、ルカールは砦の建設の許可を取りつけたのだ。
「それでもルカールは、私もだけどイヴュル帝国が侵攻して来るなんて思っていなかったわ。万が一のために……だったのだけれど……」
まず二つの国の間には長大な大山脈がある。これを越えるのは容易ではなく、細い山道は大軍が進むには向かず、もしがけ崩れなどあった場合には大打撃どころか全滅の憂き目もあるのだ。
そしてボラス王国とイヴュル帝国には圧倒的な国力の差があった。イヴュル王国は武力主義のため周囲に敵しかおらず、それらの小国相手ならなんとか戦えているがボラス王国ほどの規模の国を相手にできるような国ではない。全兵力を使えば多少は善戦できるだろうが、その隙に背後から襲われて滅びてしまうだろう。
そんな状態なのでネルゴット達だけでなく、今回のことはボラス王国にとっても寝耳に水の出来事だったはずだ。おそらく報告はもうそろそろ王の耳にも届いているだろう。驚く王の顔が思い浮かぶ。
「さっさと片付けて、娘のところに戻りたいわ」
はあと白い息をはき、ネルゴットは娘がいるであろう城の方向へ目を向けた。実際はそこにネミールの姿は無かったのだが。
「ネミール様が魔法を使えれば一緒に戦えたのですけれど……」
思わずこぼれた騎士団団長の言葉に、ネルゴットは鋭い視線を向けた。自分が言った言葉に青褪め、騎士団団長は地面に跪いて頭を下げる。
「こ、これは失言を……!」
「……いいわ。頭を上げて。私は、ネミールが私みたいな魔法が使えなくてよかったと思っているわ。ろくでもない男達につきまとわれたりしなくていいもの……」
かつての自分を思い出し、ため息をつく。本当に鬱陶しいものだった。家柄や魔法という力、そして容姿に群がる醜い有象無象ども。そんな者しか周りにいなかったため、ルカールのような素朴で誠実な人柄に惹かれたのだった。
「ですがもう十四歳ですし、そろそろネミール様のお相手も探したほうがいいのでは?」
貴族の結婚というのはとにかく早い。遅くとも十七か十八には結婚しているのが普通だ。貴族の結婚は二人の思いより家同士の繋がりが重要視される。産まれた時から許婚が存在することも多い。
なので数年後にはネミールも結婚しているだろう。その相手探しは簡単に終わらない。年単位で根回しすることも少なくないのだ。
そういったことで何気なく話したのだろうが、それがネルゴットに起こした変化は劇的だった。
「ネルゴット、様……?」
思わず騎士団団長ともあろう男が、一歩気圧されている。ネルゴットから立ち上る殺気は彼の肌を粟立たせるほどだ。ネルゴットの周囲に陽炎を幻視する。
「まだよ……まだネミールは渡さないわ。いえ、誰にもやるもんですか。ネミールは私達と一緒に、ずっとずっと一緒に暮らすのよ……」
「で、では婿をもらえばいいではありませんか」
「そもそも誰がネミールに、あの妖精のように愛らしいあの子に誰がつり合うというの? いいえ、誰にも似合わない! ネミールは神聖な唯一のもの! 誰にも汚させたりしないわ!」
ネルゴットは親バカだった。ルカールも同様である。そしてアイリーンもネミールを崇拝している。こんな状態なのでネミールは箱入り娘として育てられた。ネミールは晩餐会などで領地の外に連れて行ってもらえないのは、自分にできそこないの娘などといった陰口を聞かせないためだと思っているが、ただ単に両親が過保護なためであった。
両親の親バカぶりは騎士団員全員が知っていることだったが、空気をかえようと思いつい言ってしまったのだ。そのことを深く後悔する騎士団団長。そのとき、休憩していた騎士達がわずかに騒がしくなった。偵察に行っていた騎兵が戻ってきたのだ。ネルゴットと騎士団団長の顔が真剣なものに変化する。
「報告!」
「はっ! この先の村まで敵イヴュル帝国の姿は見えませんでした! 安全かと思われます!」
「よし分かった。お前は休め。騎士団団長は各騎士団に連絡。出立準備。出立準備でき次第私に報告を」
「「「了解!」」」
第一から第三騎士団団長の声が唱和する。エル地方領には第四騎士団まであるが、今は城に待機していた。第四騎士団は城の守りを任されていた。もしもネルゴット達が負けてしまえば、彼らが最後の砦となるのだ。
「さて。おそらく明日が決戦となるわね。全く面倒なこと……」
空に雪が舞っていた。出立準備をする騎士達の動きが慌ただしくなる。もし移動中に吹雪になってしまえば立ち往生し、最悪の場合その中で夜営することになってしまう。できるならばそれは避けたい。
キビキビと動く騎士達とは反対に、やる気の無い様子で動く者たちがいた。傭兵だ。彼らは休憩が終わることに愚痴を言いながら、嫌々ながら出発準備を始める。
「ちくしょう寒いぜ。こんなことなら報酬に釣られて来るんじゃなかったぜ」
「ばーか。まあ、俺ももうそろそろ移動には疲れた。強行軍で小休止があるだけだからな。夜はちゃんと休めるだけマシだが」
「アホか。夜に移動したらこの季節死んじまうだろうが。しっかし早く帝国のクソやろうどもと戦いてえなあ。さっさとぶっ殺して帰りてえよ」
笑う傭兵達。そんな彼らとは違う笑みを浮かべる傭兵達の姿があった。
「おめでたい奴らだな。自分らが殺されるなんて知らないでよう」
「ははっ。俺達はあいつらなんかよりたんまり報酬もらえるんだぜ」
「ま、早く戦いたいっていうのは同意だな。さっさとあのバカどもぶっ殺して帰りてえよ」
彼らの目はギラギラとした欲望と殺意で光っていた。それはなぜか仲間である傭兵や騎士達、そしてネルゴットへと向けられていた。




