6 義父になるはずだった人
玲子のご両親から会いたいと連絡があったのはその次の週の金曜だった。
ちょうど美咲ちゃんとご飯を食べる約束をしていたが、玲子のご両親を優先することにした。話の内容が気になってどうせ美咲とのディナーを楽しめないのが目に見えていたから。
「わざわざご足労いただいてすまないね、貴俊くん」
義理の息子になるはずだった僕を、義父になるはずだった人はそう呼ぶ。
そりゃあそうだ、義理の息子を苗字では呼ばないだろう。
結婚を決めてから何度か打ち合わせのためにお邪魔した玲子の実家。
重厚感のあるイギリスの古い屋敷のような家だった。
「いいえ。会社に近いし、僕もこの方が都合がよかったですから……それで、お話とは?」
義父になるはずだった人は一度深く深く息を吐き出した。
「実は玲子が結婚してね。先日無事に結婚式も終わった。その報告を、と思って」
「そうでしたか」
僕は穏やかな気持ちでそれを聞いた。
その話だろうと思っていた。
「玲子さんご本人から2か月ほど前に、短いお手紙をいただきまして。結婚をするとだけは聞いていたものですから。式も無事に終わってよかったですね」
別に嫌味のつもりなど全くなかったのだが、最後の一言は不用意だったかもしれない。
目の前に座る玲子の両親が縮こまったような気がして、僕の方もいたたまれない気持ちになる。
「それで、あのマンションだが」
あのマンションとは、今も僕が住んでいる場所。新居になるはずだった、マンションのことだ。
あそこは、不動産関連の会社を経営するこの人の紹介で購入したものだ。
「その……あそこに住み続けたいというならもちろんそのままでいいのだが、もし引っ越したいとか思っているのなら、あのマンションは私たちが引き取らせてもらおうと思ってね。引っ越し先も、通勤に便利ないい条件の物件を私が責任をもって見つけよう。引っ越し費用なども私たちが負担するし……その……もし、引っ越したいなら、だが」
これは予想していなかった展開で、僕は少し戸惑った。
「ありがたいお話ですが、ご心配には及びません。あそこをどうするかは全然決まっていません。ただ、もう十分に謝罪の言葉はいただきましたし、これ以上お世話になるわけにはいきません。玲子さんも結婚式が無事に済んで新しい生活をスタートされるのですから、僕のことは本当にもう捨て置いてくださって構いません」
「しかし……」
「本当に、お二人には感謝しているんです。あの結婚式の費用も結局全部負担をしていただいて、申し訳ないとも思っています」
「そんな。あれは当然です。娘が勝手なことをしたんですから」
義母になるはずだった人が初めて口をはさむ。
そのあまりにも深刻な様子に、僕は思わず笑ってしまった。
二人して世界の終りみたいな顔をして。
「顔を上げてください。そんなに気を遣われてはこちらも困ってしまいます。もう大人ですから、ここから先のことは自分で解決します」
僕が笑ったのがよほど意外だったのか、二人とも気まずそうに目を伏せる。
「そうか。それでその……これは……本当に、余計なこととわかっているが、最後にひとつだけ、いいかな」
「なんでしょう」
「我々夫婦は、本当に心から君の幸せを願っている。そのために我々にできることがあったら、何でもするよ。君は本当にまっすぐで優しい人物だ。玲子もずっとそう言っていた。君には何の非もない。だからどうか、幸せになってほしい」
僕は静かにうなずいた。
「ありがとうございます。何かあったら、よろしくお願いします」
その何か、は、きっと永遠にない。
それは互いにわかっている。
僕がここを訪れることも、この人たちとこうして話をすることも、おそらくもうないだろう。
それでも別れ際には、「また」とあいさつを交わす。
それはまるで、儀式のようなものだった。
――これでやっと終わったのか。
僕は帰りの電車の中で美咲ちゃんにメールを書いた。
〈件名:おつかれさま〉
〈本文:今日は急にキャンセルしてしまってごめん。明日の土曜は空いているかな? 急だけど、もし空いていたら今日の埋め合わせも兼ねてドライブにでも行きませんか。〉
そこまで書いて送信しようとしたが、少し考えてから一文付け足した。
〈P.S. 深刻な空気が流れていると思わず笑っちゃうって前に美咲ちゃんが言ってたの、今日ちょっとわかったよ。全然笑う場面じゃないところで笑ってしまった。〉
――我々夫婦は、本当に心から君の幸せを願っている。
義父になるはずだった人の声が疲れた頭に響きわたる。
あの言葉の意味は。
僕が幸せな結婚をするまで、きっと彼らは罪悪感に苛まれ続けるのだ。
僕が幸せな結婚をしたときに初めて、彼らは贖罪という名の呪縛から解放されるのだろう。
――お前には幸せになって欲しいんだ。
真吾の言葉がかぶさる。
そろそろ本気で次の幸せを見つけないと、きっと僕の周りが窒息死してしまう。
僕はケータイの着信を知らせる振動を感じながら、明日こそ美咲ちゃんと話しをしてみよう、と思った。




