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5 ワタルという男

 ――超えた、か。


 僕はぼんやりと手帳を見つめる。

 玲子と一緒に過ごした時間を、その後の時間が、超えた。



************************



「今日、飲みに行かないか」


 社内にある従兄の部屋を訪れると、珍しく従兄は不機嫌だった。


「ああ? お前から誘ってくるなんてどうしたんだよ」


 ハスキーな声が突き刺さる。


「今日、ちょうど……」

「なんだよ」

「まあいい。飲みたい日なんだ」

「日、ねぇ。なるほど」


 真吾は部屋の隅っこにかけられたカレンダーにちらと目をやり、下唇を噛んだ。


「しょうがねぇな」


 この従兄は敏い。

 気づいたのだろう、僕の女々しい感傷に。


「んでお前、美咲ちゃんとは? 飯にはちょいちょい行ってるみたいじゃん」


 行きつけのバーのカウンターでブランデーを片手に真吾が問う。

 僕は無言でうなずいた。

 初めて食事に行ってからほぼ一カ月、週に一度か二度のペースで食事に行っていた。

 彼女はよく食べ、よく笑う。一緒に食事をしていて気持ちのいい子だった。

 それに毎回きっちりとお礼のメールをくれる。礼儀正しくて、それでいて堅苦しくない。絶妙なバランス感覚の持ち主だった。


「食事には行ってるけど、進展はなしって感じだな。その顔は」


 僕はそれにもうなずきだけを返した。


「お前、それでいいの?」

「なにが?」

「付き合ってるわけでもないんだろ?」

「ああ、うん」

「ずっとそのままでいるつもりかよ。いい歳こいて、失恋くらいでさぁ」


 失恋、というのだろうか。

 恋愛結婚で、花嫁を掻っ攫われたら失恋だろう。

 だが、僕の場合は見合いだ。

 愛情がなかったとは言わないが、それはむしろ、これから育てていく予定だったものだ。

 それでも、やっぱり、失恋か。

 花嫁を失ったのだから、失嫁。

 我ながらセンスのない造語だな。

 だめだ、考えるのはよそう。

 口の中に広がった芳醇なブランデーの香りが急に苦みを帯びてきたような気がして、僕はあわてて思考を止めた。


「真吾こそ、どうなの。ハルカちゃんって子と。美咲ちゃんと会ってても、よく二人の話が話題に上るよ」

「あー……」


 従兄の中途半端な返事に、僕はため息をついた。


「付き合ってるんじゃないの?」

「いや、付き合ってはない」


 この従兄は、こういうところがまるでいいかげんなのだ。


「頻繁に会ってるんだろう。向こうはお前と付き合ってると思ってるんじゃないのか? 中途半端なことするなよ」


 へーい、と気の抜けた返事が返ってくる。

 でも、半ばあきらめていた。

 中学生で初めての彼女ができて以来、この男の恋愛に対するスタンスは揺るがない。

 来るもの拒まず、去る者追わず。

 それは来るものが複数でも変わらない。

 同時並行でいろんな女の子とデートをしてはトラブルの種になっていた。

 それでも本人は「え? 浮気? そんなことしたことないよ。ただ誘われたから飯に行っただけで」とあっけらかんと言ってのけるのだから、始末が悪い。

 エスカレーター式で小学校からずっとつながっている学校だったから、大学に入るころには真吾のプレボーイっぷりは皆の知るところになっていた。それでもなぜか、この従兄には寄ってくるのだ。次から次へと。


「ハルカちゃんに美咲ちゃんとお前の話を聞きたくてさ。それで、まぁちょこちょこ食事に行ったりとかな」

「おい、人のせいにするのはやめろよ。話なら別に隠す気はないから僕から聞けばいい。そんな形で人を利用するな」


 ハルカちゃんがどんな子だかわからないが、美咲の話を聞く限り真吾が相手にするような遊び慣れたタイプではなさそうだった。


「お前の一方的な話じゃわかんないこともあるんだよ」

「真吾はいつからオセッカイオバサンになったんだよ」

「お前が花嫁を掻っ攫われたあの日からだ」


 そう言われると言い返す言葉が見つからなくて、僕はブランデーのグラスを空けた。


「あれから親戚もみんなお前に見合いの話は持っていけねぇし、結構心配してんだぜ。わかってんだろ。見合いはこりごりだっていう気持ちもわかるけど、お前には幸せになってほしいんだ」

「ほっとけよ。今でも十分に幸せだから」


 そう言って酒の追加を頼む。

 この従兄と飲むと、どうも酒のペースが速過ぎてダメだ。

 ゆるり、頭の芯が揺らぐ。

 飲みたくて飲んで、酔いたくて酔っている。

 それなのに、気分はよくない。


「お、ワタル、こっちこっち!」


 不意にバーの奥の席から上がった声に、思わず身を固くした。

 声に導かれるようにしてドアから入ってきた人物に目をやると、左手を挙げておー久しぶりーっと答えていた。

 左手の薬指には、指輪。


 ――ワタル。


 その人物から、目を離せなくなった。

 一瞬だったので顔は覚えていないが、確かちょうどこれくらいの背格好だった気がする。


「おい」


 横から小突かれてそちらに顔を戻した。


「お前なぁ。ワタルって、この世界に何人いると思ってるんだよ。これからワタルって奴と出会う度にそうやって左手の薬指確認して、もしかしてあの子を連れ去った男かもって思うのか」


 思考を完全に読まれている。


「いや……あれくらいの背格好だった気がして」

「お前ね……あれ、平均身長だろう。あんな背格好の奴ごろごろいるって」


 僕ははっきりきっぱり思いっきり、ため息をついた。


「頭でわかってはいてもね。簡単じゃない」


 そう言った僕の脳裏には、はにかんだように笑う美咲ちゃんの顔がはりついていた。




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