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4 広すぎる部屋

 それから何を話したのかもよく覚えていないが、イタリアンはおいしかったし、美咲ちゃんはくるくると表情の変わる可愛い子だった。

 電車で帰るという彼女を最寄駅まで送り届けてから帰途につく。

 オートロックのエントランスを抜けてエレベーターに乗り、七階の廊下の端のドアに鍵を差し込む。そして、取っ手をつかんで回した。

 がチャリという硬質な金属音を響かせてドアを開けると、暗闇が僕を出迎えた。そんなことはドアを開ける前からわかっていたというのに、さっきまで人と一緒にいたせいか、自分を迎え入れた広すぎる部屋はがらんとしてさびしい空間に思えた。


 ――ここも、そろそろ引っ越すべきか。


 元・花嫁の玲子と暮らすはずだったマンション。

 結婚式の衝撃的なエスケープのあと、いろいろとバタバタしてそのままになっていた。結婚まで一人暮らしをしていた部屋はすでに引き払った後だったし、新調した家具の運び入れなども済ませてあったため、とりあえずと思ってここに住んでいたのだ。その「とりあえず」が、ズルズルと今まで続いている。

 僕は着替えもせずにソファに座り、ぼんやりと部屋を見渡した。

 新居選びで初めてここを訪れた時、玲子は嬉しそうに笑って言った。


 ――台所が広くて、毎日ここでお料理するのが楽しみ。


 料理好きの玲子のために、大型の冷蔵庫を買い、二人にしては大きすぎる立派な食器棚を入れた。食器はすべて、二つずつ。


 ――子供が生まれたら買い足そうね!

 ――気が早いよ。


 そんな言葉まで交わしていた。

 なのに、たったの半年で声も思い出せなくなるなんて。脳内で再生される玲子の言葉は確かに記憶の中にあるはずなのに、僕の声で紡がれた。

 それもそうか、見合いから結婚式まで八カ月。

 結婚式から今まで六カ月。

 もうじき、一緒に過ごした時間を、その後の時間が超える。

 それはとても不思議な感覚だった。

 あの日永遠を誓ったはずの相手が今ここにいないこと。

 毎日彼女の選んだベッドで眠り、彼女が選んだグラスで水を飲み、彼女が選んだ洗濯機で服を洗うこと。

 この空間には玲子があふれているのに、本人がいない。本人がここで暮らすことはなかった。

 喉の奥に何か苦いものがにじむ。

 結局、これは未練というやつなのだろうか。

 苦さを呑み込もうと喉をならしたところで不意に携帯が鳴って、僕はポケットを探った。


〈件名:ごちそうさまでした!〉

〈本文:今日はありがとうございました! 今日もとても楽しかったです。ごちそうになってしまってすみませんでした。ありがとうございます。次回は必ず、私に出させてくださいね! それでは、おやすみなさい。 美咲〉


 きっちりしてるんだな。

 ふと、自分の口角が持ち上がっていることに気付く。

 次回は、か。

 今度は自分から誘ってみるのもいいかもしれない。


〈件名:こちらこそ〉

〈本文:こちらこそ、楽しい時間をありがとう。次回は、僕がおススメのすし割烹なんてどうですか。もしお嫌いでなければ。〉


 送ると、すぐに返事が来た。


〈件名:大好きです!〉

〈本文:おすし、大好きです! 誘っていただけるなんて思ってなくて、うれしくて一人でちょっとそわそわしてしまいました。とっても楽しみにしています。私の仕事は今の時期そんなに忙しくないので、貴俊さんのご都合のよい日をお知らせください。 美咲〉


 大好きです、というタイトルにピクリと反応してしまうあたり、自分は単純なのだろう。

 でも、悪くないかもしれない。

 仕事場と広すぎる自宅を行き来するだけの生活がもう半年も続いたのだ。たまに食事に出かけるのもいい。相手が、半年前の出来事を知らない人なら、なお良い。好奇の目で見られるのにも、同情の視線にも、心配する言葉にも、もううんざりしてきたところだから。

 そう思いながら、玲子の選んだボディーソープの香りに包まれて冷たいダブルベッドに潜り込んだ。


 ――なんだってボディーソープをあんなに、詰め替え用まで買い込んだんだよ、玲子。半年経っても、まだ君の香りだ。




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