3 さねとうみさき
待ち合わせ場所に現れた女性は、真吾の持っていた写真より数段綺麗な人だった。
「すみません! お待たせしてしまって」
急いで来たのだろう。前髪が風になびいて一束立ち上がっている。
ぺこんと頭を下げたときにそれがひょこひょこと揺れるのが気になって、僕はほとんど無意識にそれに手を伸ばした。
「あ! すみません! 髪の毛、変になってました?」
そう言いながら慌てたように頭を押さえるしぐさが小動物のようで、思わず笑みがこぼれる。
「いや、こちらこそすみません。ちょっと気になってしまって」
「せっかく気合を入れておしゃれして来たのに、台無しですね。恥ずかしい」
そう言いながら俯く彼女を見て、僕はもしかしたら今夜、思っていたより楽しめるんじゃないかという期待を抱き始めていた。
「倉持さん…あ、真吾さんとは、従兄弟同士だっておっしゃってましたよね!」
彼女が予約してくれた店はこ洒落たイタリアンで、窯焼きのピザが美味いと話題の場所だった。
――ここ、来たことあるんだよな。玲子と。
式場のパンフレットを片手にあれこれ思い悩んだことが昨日のように思い出されて、胸がうずく。
「――さん! 倉持さん!」
目の前の女の子の呼びかける声にはっとする。
「ああ、すみません。ぼぉっとしてしまって」
「いいえ。お疲れですか?」
彼女はくすくすと笑う。
目をきゅっと細めて本当に楽しそうに笑うので、違和感に気づくのに少し時間がかかった。
――あれ? いま、倉持さんって言った?
呼び方は倉持に戻ったのだろうか。
「あの、たかとし、でいいですよ」
僕が言うと、彼女は目を真ん丸く見開いた。
さっきまで笑っていた表情とは打って変わって、きょろっと動く瞳にまたつい視線を惹き付けられる。
「あっごめんなさい。その、謝ろうと思ってたんです。メール、突然下の名前でお呼びして、失礼でしたよね? 倉持さんって言っちゃうと……その……真吾、さん……と区別がつかなくなっちゃうかと思って」
「そうだろうなって思ってました。だから、たかとし、でいいですよ」
彼女は頬を染めて俯いた。
この子はたぶん、僕を狙ってるとかそんな意味で下の名前で呼んだりするような子じゃない。さっき会った時から、そう思っていた。
「貴俊……さん。あ! 私のことも、美咲、でいいです」
「美咲さん」
「あ、さん付けはくすぐったいので、呼び捨てで」
彼女は当然のことのように軽く言うが、初対面の女性をファーストネームで呼び捨てにできるほど慣れてはいない。
――あ、初対面じゃないのか。
「じゃあ、美咲ちゃん、で。きっと僕の方が年上だから」
「あ、貴俊さんは二十九歳なんですよね? こないだおっしゃってたから覚えてますよ。わたし、二十五です」
「ああ、そうなんだ」
小動物のようなころんとした瞳が僕の顔を覗き込んだ。決して責めるつもりはないのだろうが、「こないだ年齢のこと話したけど覚えてないのかなぁ」という気持ちが透けて見える。
僕は観念して切り出した。
「実は……あの日、ものすごく酔っ払っていて。お恥ずかしいことなんだけど、全然覚えてないんだ」
「えっ」
パスタをフォークに巻きつけていた手が止まる。
「全然って、何も?」
僕は肩をすくめて見せる。
「真吾と二人で飲み始めたことは覚えてるんだけど、美咲ちゃんとそのお友達……ハルカちゃんって言うんだっけ? お二人に会ったことは全然覚えてないんだ。本当にごめんね、失礼な奴で」
美咲ちゃんは随分驚いたようでしばらく手を止めたままでこちらの顔をじっと見ていたが、ふとほころぶような笑顔を見せた。
「じゃあ、今日が初対面ってことですね。順序が違っちゃいましたけど、さねとうみさき、です。初めまして」
そう言ってフォークを置くと、テーブルの上で小さな手をこちらに伸ばしてくる。僕も慌ててフォークを置き、彼女の手を握った。
「くらもち、たかとしです。よろしくお願いします」
さっきまで普通に会話をしていた二人が突然はじめましての挨拶を始めたので、近隣のテーブルから視線が突き刺さったが、あまり気にならなかった。
どうしてだか、自分の手の中にある小さな手の温度が気になって仕方なかった。
つい半年ほど前、ここで結婚式の話に花を咲かせていた。その自分が、今ここでこうして女性と握手をしているなんて、誰が予測できただろう。
胸が痛むのをごまかすように、ぼくは小さな手をもう一度ぎゅっと握った。