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エスケープの向こう側  作者: 奏多悠香


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29 誤解が解けるとき

 式の後、僕らは二人きりでゆっくりと話をした。


「……二重生活?」


 鼓膜を刺激したのがあまりにも聞きなれない言葉だったので、思わず僕は聞き返してしまった。


「そう。二重生活です」

「どういうこと?」

「初めは…本当に些細な心配だったんです。貴俊さんと電話で話をしているときに、後ろで女の人の声が聞こえて。お風呂がどうのこうのって。たぶん妹さんだろうとは思ったけど、その人の声が聞こえた途端に貴俊さんが小声になったから、ちょっと引っかかっちゃって」


 ――ああ、茜が家に居た時だ。僕が口を開こうとすると、美咲はわかってるから、という目で小さく数回うなずいた。僕もうなずき返す。


「それからちょっとして、私がお芝居を観に行った日があったでしょう?貴俊さんがお仕事で、有楽町の駅で待ち合わせして送ってもらった日。あの日、実は私、貴俊さんを見かけたんです。ホテルの前できれいな女の人と楽しそうに話してたところを。あれは伊織さんだったんですよね? 仕事関係のパーティーだったって、真吾さんからも伊織さんからも聞きました。でもその時は、ただお似合いだなぁとしか思えなくて。伊織さんはすらっとしてて貴俊さんと並ぶとバランスが良くて素敵だし、貴俊さんも伊織さんの腰に手を当ててて、その姿がすごく自然で……

 そのあと待ち合わせてタクシーに乗ったでしょう? 貴俊さんから薔薇の香りがして、たぶんあの綺麗な女の人の移り香だなって思ったらいたたまれなくて。でも貴俊さんは『退屈な仕事だった』って言うし。貴俊さんはすごく優しくて、嘘なんかつくような人に見えないから、余計によくわからなくて辛くなりました。そして二人で手をつないで歩いた後、貴俊さんがぎゅって抱きしめてくれた時に、貴俊さんが頭の上でため息をついたような気がして……ああ、あの綺麗な女の人と比べたら子供っぽいって思われたかなぁとか、そんなことを考えたり。

 でも食事に行ったりデートに行ったりするうちに不安は少しずつ小さくなっていきました。貴俊さんの笑顔に嘘があるとは思えなかったから。きっと大丈夫だって、自分に言い聞かせてました。 

 だけど、貴俊さんが住んでたあのマンション。あそこ、実は、私の結婚した友達が住んでるんです。十階の角部屋に。貴俊さんの部屋の三階上です。私はその子のお家に遊びに行ったことがあったから……貴俊さんが『ここの七階の角部屋に住んでる』って言ったときに、一人暮らしにしては随分と広いところに住んでるんだなぁと思ったんです。でも同じマンションに友達が暮らしてるって言ったら何となく気を遣っちゃって生活しづらくなるかなぁと思って貴俊さんには言わないことにしました。

 それで去年の九月にまたその友達の家に遊びに行った時に、偶然、エントランスのところで立ち話してるおばさんの噂話が耳に入っちゃって。『あそこの新婚さんでしょう? 七階の角部屋の。恐ろしくキレイな奥さんだったわよね。最近見ないけど』『奥さんお元気? って聞いたら、旦那さん意味深な顔で笑ってたわよ』とかって。角部屋って反対側の端っこにもあるし、別にそんなの気にするようなことじゃないって自分に言い聞かせたんだけど、どうしても気になっちゃって。だから、友達の家の帰りに階段で7階まで下りてみたんです。下りてどうするつもりだったのかよくわからないけど、何だかじっとしていられなくて。

 そしたら、角部屋の玄関の前で女の人と男の人が抱き合ってるのを見ちゃって。一瞬だったし、すぐに二人は部屋の中に入ったからよくわからなかったけど……綺麗な茶髪の長い髪で、パーマがかかってて、すらっと身長が高くて……あのお芝居の日に貴俊さんと一緒にいた女の人かなって思いました。男の人は、顔も見えなかったし確信はなかったけど、貴俊さんなんだろうなって思って。女の人の左手に指輪がはまってるのが見えて、ああ、貴俊さんは結婚してるんだって思いました。

 そのあと、ハルカ経由で七月十一日が貴俊さんの誕生日だったって知りました。私、誕生日すらも知らなかったんだなって思ったら切なくて。実家に帰ったって言ってたけど、奥さんと一緒にお祝いしたんだろうなって思いました。私が遊園地から帰ってから電話したとき、慌てて玄関から外に出るような音がしたことも思い出して、あれは私との電話を奥さんに聞かれたくないからだったんだなって。

 貴俊さんに聞いて本当のことを知るのも怖いくせに、諦めもつかなくて……貴俊さんとの連絡を切れずにいたら、貴俊さんが「引っ越した」って言うから、またわからなくなって色々ぐちゃぐちゃ考えていました。

 そこにハルカから電話がかかってきて。貴俊さんが結婚してるって言って泣き始めるから何かと思ったら、貴俊さんのお引越しの日にちょうどハルカは真吾さんのお家に居たみたいで、そこで偶然見つけちゃったんだそうです。DVDのケースの隙間に挟まってた貴俊さんの結婚式の招待状。真吾さんを問い質してもどうせ貴俊さんをかばうだろうから聞いても無駄だって思って招待状はそっと元に戻しておいたそうです。

 私は、招待状の話を聞いて貴俊さんは結婚してるんだって確信しました。それまで『何かの間違いかもしれない。』って自分に言い聞かせてたけど、そこまで証拠が揃っちゃったらもう信じるしかないなぁって思って。

 その後ハルカと話してたら、奥さんと暮らしてるマンションとは別にもうひとつアパートを借りて、二重生活をするつもりなんじゃないかって言い出して。マンションにいるときは、旦那さんとしての貴俊さん。アパートにいるときは、私の彼氏としての貴俊さん。そういう、二重生活。

 ハルカは貴俊さんと直接話した方がいいって言ってくれたんだけど、私にはその勇気はなかった。だって色々思い返してみたら、貴俊さんは私に好きって言ってくれたことはなかったし、キスもしたことなかったし。だから、二重生活っていうよりも全部私の勘違いだったのかもしれないって思ったんです。付き合おうって言ってくれたのは、食事とかに一緒に行こうっていう意味で、私がそれを勝手に勘違いしてたのかなって。手をつないだり抱きしめたりするのは、友達に対してもできる人はいるだろうし。

 そう思ったらすごく辛くて、メールも電話もできなくなりました。

 そのあと、職場に貴俊さんから電話がかかってきたときもどうしていいかわからなくて動揺して泣き出しちゃって。そうしたら同僚が気を利かせて席を外してることにしてくれたんです。

 それでその数日後、私のひどい様子を見かねたハルカが真吾さんにメールしてくれたました。お見合いしたからって。私、お見合いなんてしてないですけど」


 僕は美咲の話を目を閉じて聞いていた。手のひらの中には美咲の小さな手。向かい合って座る美咲の声は、記憶の中にあるよりも少し低かった。視覚を遮断しているせいか聴覚がいつもより研ぎ澄まされているようで、美咲が時折声を震わせるのを感じ取るたびに、僕はその小さな手をぎゅっと握りしめた。

 話し終わると、美咲は深呼吸をした。


「これが、私の大きな誤解です。ごめんなさい。勝手に誤解した挙句に連絡を絶つような真似をして。貴俊さんからしたら、わけがわからなかったですよね」


 僕は首を横に振る。


「僕の方こそ、ごめん。誤解させるようなことをしたのは僕だし、二年前のことや玲子が来たことをきちんと話しておかなかったのは、僕の責任だ。間抜けな男だって、思われたくなかったんだ。ちゃんと話してさえいれば、たぶんどの誤解も生じなかったはずだ。本当に、ごめん。それだけ疑わしい要素があったら僕だって誤解する」


 美咲の誤解を解いてくれたのは真吾だった。あれからすぐに、連絡を取れなくなったハルカちゃんに会いに会社に行き、土下座までしたらしい。

 理由を教えてくれ、そうしないと貴俊が前に進めないって。

 それでこの誤解の全容を聞き、真吾はそのすべてをひとつひとつ解いてくれた。伊織や片瀬夫妻にも協力をしてもらったそうだ。

 すべての誤解が解けた時、美咲は僕に連絡を取ろうとしてくれた。でも真吾が待ったをかけた。


「『これで美咲ちゃんから連絡をしてもとの関係に戻ったとしても、貴俊はずっと、いつか美咲ちゃんを失うかもしれない、そのときはそれを受け容れようって思いながら接すると思う。それじゃだめだ』って」


 これが真吾がスピーチで言っていた「自ら殻を割って出てきてほしい」というやつ。それで真吾は、半年以上を費やしてこの壮大なイタズラを仕掛けることにしたらしい。年末からちっとも僕の相手をしてくれないくらい忙しかったのは、このせいだったってわけだ。

 

 真吾には本当、足を向けて寝れないな。




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