2 たかとしのほう
〈件名:実藤美咲です。〉
〈本文:こんにちは。昨日は楽しいお話をたくさん、ありがとうございました。お礼を申し上げたくて、倉持さんにメールアドレスをお聞きしました。また機会があれば、お食事でもご一緒にいかがでしょうか。ご連絡お待ちしています。 美咲〉
結局真吾が勝手にメールアドレスを教えてしまい、昼過ぎに斉木さん特製のおじやを食べていたところへメールが届いた。
「おう、丁寧でいいメールじゃん。これで絵文字とかピカピカデコデコしてたら嫌だけど、この感じ、いいんじゃないの。お前好きそうじゃん」
従兄の評価は高い。
「顔も覚えてないのに、いいも何も」
「いい子そうだったよ。俺のタイプじゃねぇけど。控えめな感じで。あ、昨日写真撮ったけど見る?」
そう言いながらスマートフォンの画面をいじる真吾。
画面に貼り付けられていたのは、充血した眼によれよれのスーツ姿でだらしなく口を開けた自分の顔と、その隣で微笑む華奢な女性だった。
「この子が美咲ちゃん」
自分の醜態が見るに堪えなくて、女性に目が行かない。
「何だこれ。ひどいな」
「おいおい、それはさすがにないだろ。美人ってほどじゃないにせよ、普通にかわいい域だろ」
「ああ、違う違う、僕のことだよ。その人じゃなく」
「なんで自分見てんだよ。お前実はナルシストか。美咲ちゃん見ろって。いい子そうだろ? 連絡ちゃんとしろよ」
そう言っておじやを食べていた蓮華を僕の方に向けた真吾は、口角をひねるように上げてにやりと笑った。
「ま、お互い頑張ろうや。俺は昨日いたもう一人のハルカちゃんにしとくからさ」
プレイボーイは次なる獲物を見つけたらしい。
「真吾流の恋愛ゲームに巻き込むのはやめてくれよ」
そう言うと、真吾は盛大なため息をついた。
「お前、本当に昨日のこと何一つ覚えてねぇのな」
「うん?」
「いや、いいけどさ。たまには本能にしたがってみろって」
本能に従えば、間違いなくこのメールを無視することになる。
だが、これ以上不毛なやり取りを続ける気も起きなかったし、相手の女性に何の罪もない。メールを返さないのは失礼だと思い、なるべく丁寧な言葉で覚えてもいない昨日の礼を綴る。そして、〈機会があればご一緒しましょう〉というあからさまな社交辞令で結んだ。
これで、きっと返信はないだろう。
それでいい。
もうしばらく、そういうのはいい。
そう思ったのに。
〈件名:Re:Re:実藤美咲です。〉
〈本文:返信どうもありがとうございます。貴俊さんは週末もお仕事がお忙しいのでしょうか? もしお休みなら、金曜日にでもお食事ご一緒できませんか。素敵なレストランを見つけたので、ご都合がよければ予約しておきます。 美咲〉
従兄の家から自宅に戻ってのんびりと過ごしていた夕方、携帯が鳴った。
突然「貴俊さん」と呼ばれたことに驚いた。
たしかに「倉持」では僕も真吾も同じだから仕方がないのかもしれないが、それにしても二通目でまさか下の名前を呼ばれるとは。
ずいぶん積極的なようだな。
そう思ってそっとため息をついた。
「倉持」の名に寄ってくる人が、たまに居るのだ。そのほとんどは人好きのする派手な容姿で楽しい性格の真吾に向かうが、ごくたまに自分に寄ってくるものもあった。
真吾には手が届かないと思ったのか。
はたまた、昨夜一緒にいたという「ハルカちゃん」とやらが真吾を狙っているから自分は貴俊の方にしようと思ったのか。
――貴俊の方
同い年の従兄である倉持真吾とは、生まれた時からずっと一緒に過ごしてきた。小学校から大学まで同じエスカレーターの私立に通い、大学卒業後には実家の経営する会社にそろって入社した。
同い年で同じ性別の従兄弟となると親から比較されて苦い思いをしがちなところだが、僕の両親も真吾の両親も鷹揚な人たちで、二人を比較することは無かった。
真吾に言わせると「くそまじめ」な自分と、お調子者の真吾は性格がまるで違っていたし、勉強の好きだった僕と運動神経が化け物のようにいい真吾はあまり比べられる要素がなかったのも幸いしたのかもしれない。
それに、僕と真吾の立場は生まれた時から決まっていた。
真吾の父と僕の父はそれぞれ倉持家の長男と次男。つまり、真吾が宗家、僕が分家。
いつか真吾が倉持家を継ぎ、僕はそれを補佐する。そんな役割をなんとなく幼いころから自覚していた。
それに、人の上に立つ人間には、一種のカリスマのようなものがある。堅実な努力は向いていると思うが、そうしたカリスマ性が自分にないことには、早い段階で気付いていた。
そしてそこに何の不満も抱いたことはない。
だから僕らの関係は至って平穏だった。
だが、親や親せきが比べないからと言って周囲が皆それに倣うわけではない。
主に学校の先生や友人たちは、二人をとかく比較したがった。
「真吾の方」「貴俊の方」というのはその頃によく挙げられた言葉なのだ。
同じ倉持。従兄同士という関係。
なぜか脳裏によみがえった中学校の廊下にふと苦笑いを漏らし、軽く頭を振ってそれを遠くに追いやる。二十九にもなって、なにを感傷に浸っているのだろう。
――面倒だけど、とりあえず一度は食事に行くか。
広すぎるマンションの一室で、思いっきり伸びをした。