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エスケープの向こう側  作者: 奏多悠香


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27 俺のイタズラ


「この日付、このホテル、このチャペル、この時間、誓いのキス…運命のイタズラだと思っただろ?」


 真吾がにやりと笑う。


「それ、運命のイタズラじゃなくて、俺のイタズラ」


 結局何が起こっているのかよくわからないまま結婚式を終えると、披露宴が待っていた。両親も茜も伊織も、しれっと列席者に連なっていた。連絡がつかないはずだ。

 僕が知らない内に僕の結婚式と披露宴の準備が整えられていたなんて、変な気分だ。披露宴には片瀬夫妻もいて、贅沢なことに鳥飼守が会場のカメラマンを務めてくれた。

 そしてスピーチの壇に上がった真吾がさっきのセリフを言ったのだ。


 ――俺のイタズラ。


 真吾はそう言うと、マイクを掴んでスタンドから抜き取り、僕ら新郎新婦の席のすぐ近くまでやって来た。そして、語りだした。


「ご両家の皆さん。本日は、本当におめでとうございます。

 ご両家への挨拶や結納、婚約…色んなことをすっ飛ばしての本日と相成りましたが、この二人の幸せな様子を見ていたら、それもまぁいいかと、思っていただけたのではないでしょうか。

 ここに来るまでには、長い長い道のりがありました。

 新郎の貴俊くんは、私の従兄であり、親友でもあります。

 幼いころから知っている私だからこそ言わせてもらいますが、貴俊くんは…チキンです」


 会場がどっと沸く。


「そんなチキンは、この二年間、恋に臆病になっていました。二年前の九月十五日に起こったエスケープ事件がきっかけです」


 片瀬夫妻が顔を伏せるのが見えた。


「新郎のご友人の中にこの出来事を知らない人はいないでしょう。二年前とほとんど同じ顔触れですからね。しかし、新婦のご親戚やご友人はご存知ないと思いますから、簡単に説明させていただきます。

 二年前、この貴俊くんは誓いのキスの直前に花嫁を掻っ攫われ、バージンロードに一人取り残されました。ちょうどこの会場の、先ほど二人が式を挙げた場所で」


 結婚披露宴で話すこととしてはアウトなんじゃないかと思うが、どうせ最初から新郎不在のまま準備されたくらいだ。細かいことは誰も気にしないらしい。

 美咲も笑って聞いている。


「まぁ、たいていの人は臆病になるでしょう。貴俊くんがヘタレなのはもともとですが、あの事件以来、ヘタレ化に拍車がかかりました」


 ひどい言われ様だ。


「そして、事件から半年後、貴俊くんは美咲さんと出会います。

 初対面の時は貴俊くんがひどく酔っ払っていたために彼は何も覚えていないそうですが、私はよく覚えています。

 一目ぼれ、という言葉があります。

 この言葉にはどこか、外見だけに惹かれたようなニュアンスがあります。

彼の場合は、一見ぼれ、です。

 私が作った言葉です。

 初めて出会ったときに、本能的に『あ、この人好きだ。仲良くなれそうだ。』と思う人が、時々いませんか。

 同性異性を問わず、私にはいます。

 美咲さんは、貴俊くんにとって、まさにそれだったのだと思います。

 記憶もないほどに酔っ払っていて呂律も回らない様子だったのに、美咲さんに話しかけられたときだけしゃんと背筋を伸ばしていたのです」


 知らなかった。


「だから、私が頼んだんです。貴俊とメールしてやってくれないかと。美咲さんも貴俊くんの印象はよかったようで、快諾してくれました。こうして二人が食事に行くようになりました。

 本人が無意識らしいので指摘はしないでおきましたが、美咲さんとの食事の約束がある日は、貴俊くんは朝からずっとそわそわしていました。見ていてとても微笑ましかった。

 それから2か月ほどを経て、二人は付き合うことになりました。

 貴俊くんがヘタレでなければ、ここからは順調にいったはずでした。ところが、貴俊くんがヘタレだったせいで二人の間に思わぬ誤解が生じてしまいました。

 それからの貴俊くんの凹みっぷりといったら、尋常なものではありませんでした。『みさき』という言葉を聞いてはぴくりと反応し、月をみておいしそうと言い出す始末……私は本気で心配していました。

 私は陰ながら彼を『卵』だと思っていました。殻に閉じこもったまま出てこない、卵。

 殻の名は、『物分かり』。

 貴俊くんは、物分かりが良すぎました。

 2年前の事件の後、きっと苦しかったはずです。家族や友人、たくさんの人の前で自分の花嫁を掻っ攫われたのですから。あ…これはもちろん、当事者を責める意図ではありません。2年前のことはもうすべて解決済みで、さらわれた花嫁とさらった男には、この1年間多大なご協力をいただきました」


 片瀬夫妻が立ち上がって貴俊に頭を下げる。深く、深く。貴俊も頭を下げた。2年間のことはもうすっかり色褪せて、セピア色の記憶の中にそっと横たわっている。片瀬夫妻がゆっくりと座り直すのを見届けてから、真吾はまた語りだした。


「……普通なら怒り狂うでしょう。しかし、貴俊くんはそうしなかった。すべての感情を自分の中で消化し、二人を祝福して応援しました。お二人が結婚できるようにと花嫁のご両親の説得にまで当たりました。

 貴俊くんは自覚していないのでしょうが、貴俊くんには癖があります。幼いころからの癖です。私がイタズラをしたのに、貴俊くんまで巻き込まれて叱られたとき。私がそそのかしたせいでお年玉を没収されたとき。そんなときいつも、貴俊くんは小さくはばたいていました」


 羽ばたく? 僕、そんなことしてたっけ?

 真吾は僕の方に視線をちらりと投げてから、右手を目の前に突き出し、それを握ったり開いたりして見せる。


「理不尽な目に遭ったときや怒りが募った時、貴俊くんはこうして手をグーパーします。二年前のあのときも、一年前に美咲さんを失ったときも、貴俊くんはこうしていました。そうして感情を逃がして表に出すことなく、『物分かり』の殻に自ら閉じこもっていたのです。物分かりがいいのは素晴らしいことですが、貴俊くんにはもう少しわがままになって欲しかった。

 卵の中のヒヨコを出したいが、だからと言って殻をかち割るわけにはいかない。私たち周りの人間にできることは、卵をそっと温めることだけです。中から自分で殻を割って、出てきてもらわなくてはならなかった。ゆで卵になってしまう前に。その仕上げが、今日の式です。貴俊くんは『物分かり』の殻をぶち破って、美咲さんを取り戻そうと必死でした。ついでに『常識』とか『良識』とかの殻もぶち破ってしまったような気もしますが、まぁ、いいでしょう。私の卵温め作戦は大成功です。

 式場の皆さまやご列席の皆様には、全面的にご協力をいただき、誠にありがとうございました。こんなふざけた企画に式場のスタッフの皆様が乗ってくださったのも、ひとえに2年前のエスケープ事件のおかげです。あの日以来、今日のこの日まで、式場のスタッフの方々は心から貴俊くんの幸せを祈ってくださっていたそうであります。同時に、あの日以来式場の警備は一層強化されまして、花嫁を掻っ攫う不届き者が出ないように万全の対策が練られています。今日は、貴俊くんが美咲さんのもとにたどり着けるように警備を特別に緩めてもらったのです。ですから、花嫁をさらうのは通常は不可能なのだということを、はっきりと申し上げておきます。これは式場から頼まれているのでね、絶対に言ってくれと。

 さて、話がそれましたが……今日のこの日、2年前に起こったことの真逆の状況に貴俊くんはきっと、悩んだはずです。

 それでも、貴俊くんは殻を破って飛び出してきました。史上最強に物わかりの悪い男になり、結婚式に乗り込んできたのです。美咲さんへの、愛ゆえに」


 そう言うと真吾は片手を上げた。


「さきほど私は貴俊くんを『チキン』と呼びました。それは、『臆病者』という意味の、あのスラングではありません。自ら分厚い殻を破って外に出てきて、ヒヨコが立派なチキンになったのです。

 皆さまそろそろ、腹の虫が暴れだす頃ではありませんか?今日のお料理は、チキンです。『地鶏のグリル オレンジソース グリッシーニ添え』、殻から出てきた貴俊くんをどうぞ味わってください。ゆで卵を使ったお料理も出てきます。もし殻を破り損なったら、貴俊くんがなっていたであろう姿です。そちらもどうぞお楽しみください」


 そう言って恭しく右手を宙に上げ、それを振り下ろしながら大げさにお辞儀をする。


「美咲さん、本当におめでとう。貴俊は、俺が知る限り最も不器用で、最も誠実な男だ。嘘もつかない。何かあったら、必ず直接尋ねてやってほしい。まっすぐな答えが返ってくるはずだ。

 それから貴俊、お前は一生俺に足を向けて寝るな。俺はお前のために駆けずり回って、一生その代償を背負うことになったんだぞ」


 会場のどこかから「ちょっと! その言い方!」という声が響いたが、僕には何のことかわからない。


 隣から美咲がそっと教えてくれた。


「きっとハルカのことです。あの二人、付き合ってるって。それも真剣に」

「えっ」

「一生の代償ってことは、ハルカと一生を共にする決意をしたってことでしょうか?」


 美咲が嬉しそうに笑う。

 何が何だかわからないが、美咲が幸せなら何でもいい。


「会いたかった」


 僕は一番最初に告げるべき言葉を、やっと口にした。


「うん、私も」

「誤解って、何だったの? もう、解けてるの?」

「真吾さんがちゃんと全部説明してくださったから。でも、後でちゃんと話したいです。貴俊さんの口から、ちゃんと聞きたい。二年前のことも、これまでのことも」

「何でも話すよ。答えられないことなんか、何もないから」

「はい」

「ほらそこ! 新郎新婦! 二人の世界に入るのやめろ! 俺のスピーチはまだ終わってねぇ!」


 怒号が飛んで、ようやく自分がどこにいるかを思い出したのだった。




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