23 走れ貴俊
走りながら、手当たり次第に電話を掛けた。
どいつもこいつも、こんなときに限ってつかまらない。
僕を止めてくれる人がいない。
真吾。
伊織。
茜。
父さん。
母さん。
軽蔑するだろうか。
いやきっと、わかってくれるだろう。
わかってくれるまで、何度でも頭を下げよう。
美咲のご両親にも。
相手の男にも。
土下座でも、何でもしよう。
「メロスの頭は、からっぽだ。何一つ考えていない。ただ、わけのわからぬ大きな力にひきずられて走った」
走りながら、なぜか脳裏に『走れメロス』の一節が浮かんだ。
いつだったか茜が家で音読の練習をしていた。
僕の頭はからっぽではない。
美咲のことでいっぱいだ。
ただ、わけのわからぬ大きな力にひきずられているのは、僕もメロスもおんなじだ。
道行く人にぶつかりそうになり、謝罪の言葉を口にしながらも振り返らずに走り続けた。高層ビルが立ち並ぶ、堅いコンクリートの道の上を革靴で走る。
視界にとらえたホテルを見上げ、胸が一層締め付けられた。
どうか、間に合ってくれ。
「それでは誓いのキスを――」
係員の静止を振り切ってチャペルの扉にかじりついたとき、中から神父の声が聞こえてきた。
なんで、この会場で、この日に、しかも、誓いのキスなんだ。
運命のイタズラか。
頼む。
間に合ってくれ。
僕は重い扉をぐいと開いて会場に飛び込んだ。
列席者なんて目に入らない。花嫁の隣にたたずむ男すら、目に入らない。今自分が何をしているのかもわからない。しんと静まり返った空間に僕の荒れた息遣いだけが響く。
僕の目に映るのは、純白の花嫁衣装にその身を包まれた美咲だけだった。
三崎でもミサ吉でも宗谷岬でも加賀美沙希でも、木佐でもSakeでもノサップでもない、本物の「みさき」だった。
赤い道は、あの日よりずっと長く感じられる。
美咲は驚いたような表情をしていた。
目が、丸い。
でもそこに非難や拒絶の色はない。
――片瀬さん、あの日、あなたはこんな感じだったんだな。
血が沸くような感覚。
頭の中で鼓動が響く。
「美咲っ」
走りすぎて息も絶え絶えで、叫んだはずの声はしゃがれた咳のようになってチャペルの高い天井に吸い込まれて行く。
みさきの細い手首を掴む。そっと、しかし力強く。
そして、目で請う。
――僕と一緒に来てくれないか
美咲がうなずいた、気がした。
その瞬間に美咲をぐいと引き寄せて、元来た道を戻ろうと体を反転させる。
そのとき。
ぐん、と体を後ろに引かれる。あまりの勢いに口から内蔵が飛びだすんじゃないかと思った。美咲の手を取ったのと反対側の腕を掴まれていた。美咲もつられて後ろに引かれ、倒れそうになったところを列席者の誰かが支えてくれた。美咲の友人だろうか。
「おい、花嫁をどこへやる気だ」
低い声が背後から聞こえてくる。
振りほどこうにも、力が強すぎてほどけない。
――失敗するのか。
何て間抜けなんだ。
二年前より、もっと間抜けだ。
片瀬さん、僕はあなたみたいにうまくはやれないみたいだ。




