19 見つからない理由
「はぁっ? なんで連絡とれないんだよ」
真吾はグラスを握りつぶしそうな剣幕で言った。そして携帯を取り出すと、珍しくあわてたようにどこかへ電話を掛ける。しばらく耳に当てていたが、ややあって「ちっ」と舌打ちをした。
「ダメだ。ハルカちゃんも繋がらない」
予想はしていたことだ。職場にかけても取り次がせないほど徹底して僕を拒絶しているのだ。当然、真吾からハルカちゃんへ連絡がいくことも予測し、先回りしたのだろう。
「ごめん真吾。僕のせいでハルカちゃんと連絡とれなくなったんだと思う」
「逆の方が可能性ありそうだけどな」
僕が顔を上げると、真吾は苦笑いしながらホールドアップの姿勢をとった。
「怖い顔すんなって。今回は完全にシロだよ。ハルカちゃんとはマジで何もないんだ。こないだ家に遊びに来たのも、映画のDVD観ただけだしな」
「そっか。でも正直、僕も心当たりが何もないんだ。唐突で……」
ショットグラスのジンを煽ってから口の中にライムを絞る。
喉にひりひりと焼けつくような痛みが走った。
別に被虐趣味はないが、なぜかその痛みに僕は安堵を覚えた。
まだ生きてる。
「お前ねえ、そういうことはもっと早く言えよ。連絡取れなくなってから2週間て。待ちすぎだろう。何も理由がないわけない。なんかあるんだよ」
険しい顔でそう言ってから、真吾はふと思い出したように身を乗り出す。
「そういえばお前さぁ、俺んちに泊まりに来てた間、家に誰泊めてたんだ」
それが関係あるとは思えなかったが、ここまで来て隠してもしょうがない。
「玲子」
「はあっ?」
普段からハスキーな真吾の声がひっくり返る。
「でも、それこそ何もなかったよ。ただ家を貸して、旦那との仲直りを手伝っただけ」
「お前、バカじゃねぇの。何……」
真吾は震えていた。
「どこまでお人よしなんだよ。仲直りを手伝うって、家を貸すって、奴らに! お前、自分が何されたかわかってんのか。おぼえてんのか。馬鹿じゃねぇの。あんな奴らに……っ! 何考えてんだよ。何もなかったとかそういう問題じゃねぇよ。お前、よくそんなこと平気で……お人よしにもほどがあるだろっ……」
頭の回転が速く、言いたいことをズバッという真吾が動転してうまく言葉をつなげられずにいる。その様子を見て初めて、自分がしたことが普通ではなかったのだと悟った。
「二人の間に誤解があったんだ。些細なことだよ。それで、玲子が家を飛び出したんだって。あの結婚式以来実家との関係もあんまりよくなかったみたいで、そこにきて旦那と仲違いしたなんて誰にも言えなかったんだと思う。おまけに財布も持ってなくてさ。ほかに行く当てがなかったから家に来た。さすがに同じ空間で過ごすのはよくないと思ったから、僕はすぐに真吾の家に行った。そのあと玲子と二人きりで会ったのは次の日に事情を聴きに行った一時間くらいだけだ。あとは旦那に連絡をとって事情を聞いて、うちの住所を教えて玲子に会いに行かせて……」
肩をすくめ、両掌を天井に向けてみせる。
「一件落着」
なるべく軽く聞こえるようにそう言うと、真吾は思いっきり息を吸い込んでから音を立ててそれを吐き出した。
「イッケンラクチャク。じゃねぇんだよ」
僕の声色を真似てそう言った真吾の声にはもう怒りはなく、呆れたような、それでいて悲しいような、何とも言えない感情が織り交ざっている感じがした。
「美咲ちゃんが、玲子ちゃんと鉢合わせた可能性とかは?」
「それなら玲子がそう言うはずだ。何も言ってなかったし、それはない」
「他になんかないのか。お前、俺にもう隠し事ないだろうな」
「何もないよ。ああ、玲子のこと、まだ美咲に話せてなかった。引っ越しが終わってやっと話そうと決意したところだったんだ」
「あー、それはまぁ、気持ちわかるからなぁ。何とも言えないけど。どこかからそれが漏れて耳に入った可能性っていうのもなさそうだよな。とにかく、ちょっとでもいいから何か思い出せ。糸口になるような。些細なことでいい。美咲ちゃんの様子が変だと思ったことはなかったか」
「うーん。特に何もなかったと思うけど……何かあったとしても、些細なことだったらいちいち覚えてないからなぁ」
「何もないのに音信不通にはならねぇだろ。でもお前、あんまり人を怒らせるようなことする性質でもないしなぁ。人の気持ちにも敏感な方だろう。恋愛マニュアルの具現化ジェントルマンだしなぁ。やっぱ何か誤解でもあるんじゃねぇか?」
なるほどね、と僕は頷いた。
「ナルホドネ、じゃねぇって」
真吾はもう上半身をまっすぐに支えていられないと言ったようにゆらゆらと頭を振り、死んだ魚のような目で言った。
「どうするんだよ。このままだと一生連絡取れないぞ。いいのか」
その声の険しさが僕への心配からきているということはよくわかっている。僕は手を握りしめ、そして開いた。その動作を何度も何度も繰り返す。手の甲を見つめると、筋の動きにしたがって静脈がぴくぴくと動くのが見えた。人の体は不思議だ。心がどんなに辛くても、さぼらず怠けずちゃんと働いてくれる。
「……よくは……ないけど、完全に拒絶されてるんだ。もうあとは家の前で待ち伏せするとか会社の前で待ち伏せするとか、ストーカーじみたことしか思い浮かばないよ」
真吾があまりにも死にそうな様子なので、僕はつい背筋を伸ばしてしゃんとしようとしてしまう。人間ってのは不思議なものだ。
「いいんじゃねぇか」
「いや、ストーカーにはなりたくないよ。迷惑だし、何より犯罪だ」
「一回会いに行くだけだよ。執拗にやったらストーカーだろうけど、一回だけなら大丈夫だろ。迷惑だって言われたら二度としなきゃいい」
「うーん」
「お前もお利口ちゃんばっかやってないで、たまにはそんくらいしてみろよ。まぁ、そうしたいくらい好きだったら、の話だけどな」
僕はライムの残りカスにかぶりつきながらもごもごと言った。顔がゆがんだのはライムの酸っぱさのせいか、心の痛みのせいか。
そうしたいくらい好きだったら、か。
そんなのとっくに超えてる。
そんなレベルじゃないんだ。
だから、自分が突拍子もない行動に出そうでこわいんだ。
「理性で押さえつけてなければ、今頃とっくに美咲の家に押しかけてるよ。そうしないために余計なことを考える暇がないくらい仕事詰め込んで、こうしてお前を飲みに誘ってるんだ」
「へえ、お前が、ねぇ」
真吾は珍獣でも見つけたような目つきで僕をじろじろと観察したあと、「それにしてもひっでぇクマだな。会いに行く前に寝ろよ、その顔で話しかけられたら男の俺でも怯える」と言い放った。
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しかし結局、僕の待ち伏せ作戦は実行されることなく終わった。
ほどなくしてハルカちゃんから真吾に一通、メールが送られてきたのだ。
〈美咲はお見合いしたの。すごく幸せそうに過ごしてる。これ以上煩わせるようなことしないでって、彼に伝えて。〉




