18 音信不通
――おかしい。何かが、おかしい。
会社のデスクに座って頭を抱える。
メールを待って何度もセンター問い合わせをするが、新着メールはない。
電話をかけてもつながらない。
引っ越しから一週間。
あのメールを最後に美咲との連絡が途絶えていた。
怒らせるようなことをしただろうかと自分の行動を思い返してみるが、特に何もなかったように思う。それに、最後のメールまでは至って普通だったのだ。最後のメールにも特に失礼なことは書いていなかったはずだ。
自分が送ったメールを何度も何度も読み返し、そこに理由を探した。ぼろいアパートに遊びにおいでと言ったのがまずかったのだろうか。ぼろい、というところがダメだったのか。アパート、というところがダメだったのか。それとも遊びにおいで、というのがダメだったのか。
ぼろい家になんて来たくなかったか。アパートよりマンションがよかったか。男の家に来ることに抵抗があったのか。
だがどれも、すべての連絡を絶たなければならないほどの怒りには繋がらないように思えた。
仕事に集中している間は美咲のことを考えずに済むので、僕はひたすら仕事に打ち込んだ。
何とも都合のいいことに会社の近くに引っ越していたおかげで、仕事に打ち込むには最高の環境だった。朝の六時に出勤して、夜中十二時に会社を出る。普通なら誰かほかの人にまかせる雑務まで自分でこなしたおかげで、コピーをとるスキルとホチキスを打つスキルが格段に上がった。コピー機の紙の補充なんて新人のとき以来だ。部署のみんなにコーヒーを淹れて差し出したら、気持ち悪がられた。
その生活を三日続けたら家に帰るのも億劫になって、会社に泊まるようになった。守衛さんに頼んで宿直室のシャワーを借り、あとはデスクに突っ伏して仮眠をとる。
携帯だけは片時も離さなかった。この小さな携帯以外に彼女と僕をつなぐものが何もないことが、歯痒くて悔しくて仕方なかった。
これまでにこんな恋愛をしたことはない。
玲子はお見合いだったから、実家同士がつながっていて容易に連絡を取ることができた。
玲子の前に付き合ったのは学生時代の友人だ。共通の友人も多く、連絡手段もたくさんあった。
だが美咲と自分の間には、何もない。
それがひどくこわかった。
唯一、真吾とハルカちゃんというルートがあるが、できればこういう話を真吾にしたくなかった。これ以上自分の恋愛で人に心配をかけたくない。
それから一週間が経つと、もう僕はいてもたってもいられなくなった。
夜はほとんど眠れない。食べる努力はしていたが、何を食べても味がわからなくて、食事もどんどんテキトーになっていった。携帯が鳴るとがばりと携帯に飛びつき、彼女からの連絡ではないことがわかって落胆する。その繰り返しだった。
そのうち何か事件に巻き込まれたのではないかという思いがむくむくと湧いてきて、耐えられなくなった僕はついに美咲の会社に電話をかけた。
前にもらっていた名刺の電話番号に電話をかけると女性が出たので、名乗ってから「実藤美咲さんをお願いします」と告げると、『少々お待ちください』と言われた。
と、いうことは。美咲の身に何かあったというわけではなさそうだ。
僕はほっと胸をなでおろしつつ、電話口でじりじりと美咲を待つ。
明るい電子音の保留メロディーが鳴り響き、曲が4周した頃になってやっと、人の気配が戻ってきた。
しかし、電話口にいたのは最初に電話に出た人だった。
あっさりと「申し訳ございません。実藤はただいま席を外しています」と告げられる。不在の確認にそんなに時間が掛かるわけがない。
――そうか。これが、答えか。
そらで歌えそうになるほど繰り返し保留音を聞いた僕に届けられたのは、完全なる拒絶。
それでも、美咲は無事だった。
最悪のシナリオではなかったんだ。贅沢は言うまい。
美咲に何かあって連絡が取れないよりは、ずっといい。
とっくに通話の切れた電話の受話器をずっと握りしめたまま、僕は痛いほどぎゅっと目を瞑っていた。
わかっていたんだ。美咲に何かあったなら、ハルカちゃん真吾ルートで必ず耳に入るだろうと。それがないということは、おそらくただ、僕に連絡をしたくないだけだろうと。
それでも、「連絡をしてこない」ことと、「連絡を受けさえしない」ことは、全く違う。
美咲のは、後者だ。
完全な、拒絶。
「今日、飲み、付き合ってくれないか」
自分が蒼白な顔をしているのが鏡を見なくてもわかる。真吾はパソコンからいったん顔を上げてから、少し顎をしゃくるようにして言った。
「付き合ってやるよ。でもまだちょいかかるから、その間お前そこのソファーで寝てろ。死にそうな顔してるぞ。そのまま飲んだらマジで死ぬぞ」
未来の後継者として既に役付きの取締役である真吾には専用のオフィスが与えられ、中には応接用のソファーセットが置かれていた。
「ああ」
Yes、という意味で言ったのではない。ため息がふいにこぼれたのだ。
僕はソファーに倒れ込むように腰かけ、両手の親指の付け根で目頭をぐっと抑えた。
閉じた瞼の裏に白い星がちかちかと瞬く。
「無事でよかった」
無意識に飛び出した言葉は自分に対する言い訳のようで、それが何とも情けなかった。




