9 会議の朝
朝の会議で顔を合わせた父の機嫌は最悪だった。
会議中も終始無口で自分の前の空間を睨みつけているので、プレゼンをしていた若い企画部の社員は頭からつま先まで震えあがっていた。
一方の僕はというと、睡眠不足が祟ってプレゼンの半分も頭に入ってこない。
会議が終わった後手元の資料をまとめて立ち上がると、案の定父から声がかかった。
「貴俊、茜の様子はどうだ。話は聞いたか」
普段からそれほど明るいタイプではないが、それにしてもこれは、と思うくらい暗い顔をしている。
「まぁ、軽く。遅かったから少し話しただけで寝かせたけど。今日はちゃんと学校まで送って行ったよ」
遅かったというか、超絶早かったというべきか。
深夜と早朝の区別はどこでつけるんだ。
三時くらいがそのラインか。
疲れ切った頭でそんなどうでもいいことを考えていたら、肩にポンと手が置かれた。
「茜、今お前の家にいんの?」
事情を知らない従兄の能天気なカットイン。
僕はそれを片手で遮った。
「真吾。割と深刻なんだ。悪いけどちょっと黙っててくれ」
父親のこの超絶不機嫌なオーラに気付いていないわけではなかろうに。
「鳥飼守、三十五歳。職業カメラマン。某私立大学卒業後、大手家電メーカーに就職。入社後の現場研修で家電量販店における店頭販売営業を経験し、そこで自社のデジタルカメラの売り上げをトップにのし上げる。製品の魅力を自ら体感して営業に生かそうと、普段から自社他社を問わず多くのカメラで無数の写真を撮り漁った。もともと趣味だった写真の腕を生かし、これも宣伝の一環になればと、自社のカメラで撮った写真で小さなフォトコンクールに応募。審査員全員一致で特別賞を受賞。その後も国内の賞で複数回入賞。着実にその名を知らしめていく。そんな中一枚の写真が世界的に有名な写真家デオ・ブロッキオの目に留まったことがきっかけでアメリカに呼ばれ、メーカーを退社し渡米。大学院に留学し、本格的に写真を学ぶ。最近は有名ブランドの広告に抜擢されるなど、up-and-comingなカメラマンとして世界中から熱い視線を浴びている」
真吾が突然すらすらと口にした言葉に、脳みそが追いつかない。
「鳥飼守。茜の彼氏だろ?」
「真吾、お前知ってたのか」
父親が驚いたように真吾を見やる。
「可愛い従妹のことだからねぇ。知ってたよ」
「なんで言わなかったんだよ」
「だって最近お前、忙しそうだったじゃん」
真吾は事も無げに言う。
「いや……それは……」
「それに俺もちゃんと知りたかったからさ。さっき言った経歴だけじゃなくて人となりとか、いろいろな。モデルの友達とかマスコミの奴とかに聞いてみたんだ」
やはり、交友関係の広さはダテではない。小学校から大学までずっと同じ環境で育ったはずなのに、どこでそんな人たちと知り合うのか。異業種交流会とかいう名目でたびたび顔を出しているらしい合コンが、その名通りの役割を果たしていたということなのか。
「どうだった」
父親が身を乗り出した。
「おじさんには残念な結果だと思うけど……」
そう言って真吾は一呼吸置く。
「まじで、いい奴らしい」
真吾はそういって両手を広げて見せたが、その言葉で僕の気持ちが安らぐことはなかった。
「いい奴だからって、いい男とは限らない。お前が一番よくわかってるはずだ」
「貴俊。お前それ、俺のことか。俺はいい男だろ」
「言い方を変える。いい奴だからって誠実とは限らない」
ストレートにお前は誠実じゃないと言ったようなものだが、真吾はそのことには反論しなかった。
「それが、女遊びをするようなタイプじゃないらしい。もともとカメラマンとしては異色の経歴だろ? メーカーの店頭営業の時から真面目で一本気で、人の三倍くらい努力をする男だったそうだ。アメリカに留学した後も、そのままカメラ一直線」
そう言ってから真吾は僕と父親の顔を交互に見つめ、ゆっくりと言った。
「その男が、最近天使に出会った」
「それが茜、か」
隣で父親が盛大なため息を吐くのが聞こえた。
茜が天使であることに異論はない。
「こんなにいい男でなければ俺が絶対八つ裂きにしてやろうと思ってたんだけどな。叩いても叩いても埃の出ない奴だった。ここまでくると逆につまんねぇよ」
真吾は茜を溺愛している。その真吾が認めるのだから、よほどの男なのだろう。
「そんでもまぁ、実際に会ってみないと人づての情報じゃあ見えないこともあるし」
真吾はにやりと笑った。
「来週の土曜のパーティーの招待状、こいつにも送っといたから。そんで、ちゃんと出席で返事がきてる。だから会場で会えるよ」
楽しみだな、と言って真吾は僕と父親の肩をたたき、会議室を颯爽と出て行った。
妹のことで真吾に遅れをとるなんて、兄としてどうなんだ。
まぁ、いいか。
それよりも問題はパーティーだ。
来週末のパーティー、絶対出ないと決めていたのにな。
父の方に目をやるとこれ以上ないほど眉間にしわを寄せた渋い表情が返ってきた。
「あれ以来……か」
父の苦々しげなつぶやきに、僕は思わず目を閉じた。
結婚式の直前に玲子を伴って参加して以来、十カ月ぶりのパーティー。
気が重すぎて地面にめりこみそうだ。