半分あげる
弟がまた泣いている。
あいつがうちに来てからさんざんだ。私がどんなに頑張っても弟の方ばかりが注目される。何を言っても両親の二言目は「お姉ちゃんなんだから」に変わってしまった。
今だって弟は、私が宿題を終えておやつを食べようとした瞬間に泣き出した。見計らっていたに違いない。きっと、私の邪魔をする為に生まれてきたのだ。
──あんなヤツ、うちに来なければよかったのに。
そう思いながらも、まだ口もつけてないすあまを手に持ったまま様子を見に行く。
お母さんはさっき「寝付いたから買い物に行ってくるわ。起きたらちょっと見ていてあげてね」と出かけて行った。家には私と弟の二人きりで、だからお母さんが帰って来た時に弟が泣いていたら、きっとまた私の責任になる。
げんなりしながら襖を開けて、ベビーベッドのある隣の部屋を覗く。
すると、そこには小鬼が居た。それは鬼としか形容しようのない生き物だった。
殆ど裸の体は、薄汚れた緑の肌をしていた。
背丈は私より少し低いけれど、それは姿勢悪く背中を丸めているからだ。手足は太い丸太のよう。手足には厚くてやっぱり太い爪。きっとお父さんでもひと打ちに殴り倒してしまうのではないかと思われた。
鬼の体臭だろうか。部屋には強く異臭が立ち込めていた。温泉の臭いに似ているけれど、どこか絶対に違う、ひどく嫌な臭いだった。
「なあ」
ぎょろぎょろと凶悪な目を輝かせ、乱杭の牙を剥き出して、それは私を見て笑う。
「これ、くれよ。いらないんだろ。なら、もらってくからさ。いいだろ。くれよ」
鬼はいやらしい目つきで弟を見ていた。視線を察したように、弟がまたぐずって泣いた。血の気が引いていくのがわかった。あんなに大きな口と牙だ。まだ小さい弟の頭なんて、きっとひと呑みに違いない。
どうしよう。
かーっと頭の奥が熱くなる。口の中がからからだった。
大人を呼ぶ? 駄目だ。きっと間に合わない。私が目を離したら、この鬼は弟を連れて行ってしまうに決まっている。なんとかしなきゃ。私はお姉ちゃんなんだから。
でも怖かった。嫌だと断ったら、あの鬼はどうするだろう。それを考えると怖かった。私も引き裂かれて食べられてしまうのかもしれない。
膝が小さく震えている。ううん、膝だけじゃない。私の体全部が震えている。怯えている。
「……全部は嫌だけど、半分ならいいよ」
唾を飲み干し、舌で唇を湿らせる。そうして私は言葉を返した。声は震えていたし上ずっていたけれど、そんなの気にしてる場合じゃない。
「半分か」
鬼は不満げだった。のたりと一歩こちらに近付いて、脅すように私を見る。
「嫌ならあげない。ほんのちょっぴりだってあげるもんか」
大きく息を吸ってから、言い切ってやった。小鬼と私はにらみ合い、そして小鬼が折れた。
「いいだろう」
「待って。それから約束。半分を受け取ったら四の五の言わずに消え失せて、私たちの前には二度と現れないで。いい? 約束できないなら半分もあげない」
正直、約束をさせたからどうこうとは思えなかった。うるさく言ったら今にも私に襲いかかってくるのではないかという気もした。あの太い爪なら、鋭い牙なら、私のような子供の体など一瞬で引き裂いて、弟を攫っていってしまえるだろう。
でも、ならおかしい。こうしてわざわざ私の許可を求めるのはおかしい。最初から好きなように、やりたい放題に暴れてしまえばそれで済むんだから。
それならきっとルールがあるんだって思った。お母さんが買い物をする時にお金を支払うみたいに、きっとこの鬼にだって何か守らなければならないルールがあるのに違いないって、そう思った。
「注文の多い娘だ。だがいいだろう。約束だ。じゃあ貰っていくぞ」
「うん、ほら受け取って」
言うなり私は小鬼めがけて、半分に千切ったすあまを投げつけた。小鬼は自分の顔めがけて飛んできたそれを反射的に受け止める。
「おまえ──!」
一瞬の後、小鬼がぎょろりと目を見開いた。
はめられた、というその表情を見て、私は勝ったと思った。
「──何してるの? 約束したよね。半分あげたんだから、もう受け取ったんだから、早く消えて」
畳み掛けると小鬼は憎憎しく顔を歪め、大きく吼えた。びりびりと私の体ごと部屋中が震えた。勝ち誇るのが早すぎたかもと悔いたけれど、小鬼はそれ以上は何もしなかった。
それきり私たちには興味を失ったように、手にすあまを持ったまま、のたりのたりと廊下へ出て行く。やがて異臭が消えて恐る恐る顔を出すと、鬼の姿はどこにも見当たらなかった。
ほっと息をついたら、安堵で腰が抜けてしまった。へなへなと座り込んだきり立てなくなって、仕方なく不恰好のまま、縋るようにしてベビーベッドを確認する。
何も知らない弟はいつの間にやら上機嫌になっていて、私の方へと手を伸ばしながらきゃっきゃと嬉しそうに笑っていた。