後編
それから一カ月後。一時期は、店に客が入るようになり、日に日に忙しさが増していた。資金も貯まるようになり、借金も少しずつ返済できるようになった。
しかし、客足はまた元に戻っていった。どういうわけか営業時間が短くなり、休業日も入るようになった。
「酵介、弟の説得はどうしたんだ? 店を畳んで、土地を売らせるんじゃなかったのか?」
ある日の夜、甘木は酵介を事務所に呼び出し、苦言を呈した。
「あいつの説得はできそうもなかった……って返済はどうなってるんだ?」
「一月前は僅かだったが返ってきた。だが、利子でまた元通りだ。どうにかしてくれないか」
怒りのこもった口調で甘木は訴えた。酵介は切り返しに悩んだ。ひたすら返済を求める甘木に対して、酵介は何も答えられなかった。
しばらく無言の状態が続く。時計の秒針が動く音だけが二人の耳に聞こえていた。
突然、酵介は腕に巻いてあった時計を取り、甘木の机に置いた。
「酵介、どうしたんだ?」
「こいつを売って、しばらく待つという事にしてくれないか?少なくとも百十万ほどにはなると思うさ」
文字盤やその周辺に埋め込まれた宝石が、外の灯りで輝いている。
「こんなもの、大した金額には――」
「あと、お前の好物の明太子を優待価格で提供、というのはどうだ?」
酵介はさらなる提案をした。
「俺は食品の卸売業をやっている。それもただの会社員じゃなくて社長としてだ。お前は明太子が好きなんだよな」
「ああ、そうだがこれじゃ――」
「三カ月分はタダで提供、というのはどうだ? 品質もそこいらのスーパーでは手に入らないものだぜ」
「…………」
酵介の積極的なアプローチに対し、甘木は動揺した。追い打ちをかけるかのように、酵介は自分の会社の物産品カタログをちらつかせる。
甘木はしばらく悩んだ後、こう決断した。
「……分かった。こんな明太子が三カ月分もタダで手に入るなら、ちょっとくらいは待てるだろう。……にしてもやけに弟に入れ込むな」
甘木の言葉に対し、少し恥ずかしがりながら酵介は答えた。
「まあ、俺は麹の兄だからな」
「いいねー、兄弟というのは。だが、待つのは三カ月だ。それまでに完済できなければ財産の差し押さえだ。な、お前ら」
普通に笑いながらも甘木は無理難題を押し付けた。これに反応し、後ろにいる、がたいのいい部下達が腕を組み直す。
「そんなもん無理だろ。第一、あいつは借金を借り換え続けてここにたどり着いたんだぜ」
「ならお前が返済したらどうだ? 社長なんだろ? まあ一番手っ取り早いのはあの土地を売る事なんだがな」
「…………」
甘木の心には、酵介に対する支配欲で満たされていた。酵介が甘木に明太子を貢ぐ、それだけの構図で堪能感に浸っていた。
「タイムリミットまで、しばらく待ってくれないか?」
――ラーメンを作りながら、三カ月で一億を払うというのはとても無理だ。やはり自分も借金をして手を貸すべきか。
どうするべきか迷いながらも、酵介は麹のラーメン店に立ち寄った。
「よう、来たぜ」
勝手口から呼び鈴を鳴らしても誰も出ない。
「酵介だ。おーい、いるかー?」
呼んでしばらくして、ゆっくりと階段を下りる音が店から聞こえてきた。そして扉が開いた。
「あ、兄貴……久しぶりだな」
前に会った時と違って、麹はやつれ、目の下にくまができていた。声も元気がない。
「どうしたんだ? どこか体調でも悪いのか」
「ああ、ラーメンを食べすぎてな……ちょっと散らかっているけど上がるか?」
「ああ」
入口に入った所で、酵介は異様な臭いに包まれた。ビール、ベーコン、ニンジン、何かを蒸したような匂い、それと腐臭――
「生ゴミでも放置しているのか?」
嫌そうな表情をしながら酵介は聞いた。
「その、味の研究をしている間に倒れちまって……こんな身体になっちまってゴミを出せない状態だったんだ」
「よく玄関に出られたな。さっさと休めよ」
「ははは……すまんな兄貴」
二人は二階の居住空間へと上がっていった。
麹を布団に寝かせた後、酵介は厨房の掃除をした。流しには数えきれないほどのどんぶりが放置されており、カウンターには食べかけのラーメンが置かれていた。酵介はそれらを黙々と片づけていった。
「ったく無茶しやがって。ちゃんと飯は食ってるか?」
片づけを終えて、酵介は麹の面倒を見ていた。
「ラーメンがあるから平気だ」
「倒れた原因はラーメンの食い過ぎだろ。お粥でも作るぜ」
「心配かけさせてすまんな」
酵介はお粥を作りに台所を借り、麹は大人しく布団の中にいた。
お粥ができるまでの間、麹はふと呟いた。
「なあ、兄貴」
「どうした?」
「俺、やっぱりラーメン職人に向いてないのか?」
「何を言ってるんだ?」
「蓮華さんが教えてくれたおかげで腕も上がったし、今日まで店を続けられた。けど、それから先が上手くいかないんだ。今のままじゃ満足のいくラーメンが作れない。作ろうとしても上手くいかない。一時期は増えてきた客もまた来なくなった。このままだと借金が全然減らない。俺にはどうにもできないんだ」
弟の弱音を、兄はただただ聞いていた。
こんな意思の弱い奴がラーメン職人をやるなんて無理だろう。伯父の借金を勝手に背負わされているなんて愚かな弟だ。今なら説得して、土地を売らせる事が出来る。その方が楽だろう。酵介の頭の中ではそのような思いが巡り巡っていた。
しかし、酵介はそんな思いを口にしなかった。
「……とりあえず休め。お前は疲れているんだ」
「でも俺、店の時間を減らしているぞ」
「いいから休め。少しはラーメンから離れてみたらどうだ?そうだ、体調がよくなったら一緒に飯食いに行こうぜ。俺のおごりでな」
「兄貴……」
自分をいたわってくれる兄に、弟は感謝した。
なんでこんな台詞が出たのかと酵介は思った。麹に店を畳ませたかったのは事実だ。しかし、同時に職人を続けて欲しいという気持ちもある。蓮華が努力して弟を育てた、それだけではない。
やっぱり麹はラーメンを作る時が一番輝いている。自分はそんな弟が好きだ。酵介の中ではそういう結論に達していた。
翌日の朝、麹は一人で厨房に立っていた。空き部屋に泊まっている酵介を起こさないよう、こっそりと一階へと降り、早速ラーメンを作っていた。体調は既に元通りだ。
「うーん……これも違う」
様々なスープを試して、一日何十杯も試食する。それがここ最近の日課だ。
「こんなにラーメン食っても全然飽きないんだな。俺だったら発狂するぜ」
厨房の入口に酵介がいきなり現れた。パジャマ姿に、寝ぐせで髪が爆発したような状態で、目をこすらせていた。
「うわっ、おはよう兄貴……今日は仕事ないのか?」
こっそりと下に降りた麹は驚いていた。
「だって今日は土曜日だろ? 会社は休みじゃん」
「あ、そうだったね。じゃあゆっくり休んでいったらどうだ?」
「そうだな……って病み上がりなのにラーメンかよ。少しは休めよ」
試作中のラーメンを発見し、酵介は言った。
「あはは……あれだけ試作を繰り返すとラーメン作りが癖になったんだ。やっぱ休んだ方が良いよな」
「もちろんだ。それでさ、俺も試食していいか?」
「構わないぜ。試作中だから、口に合うかどうかわからないがな」
「いいんだ。もらうぜ」
カウンターから箸を取り、麺をすくい上げる。
「ずるっ、ずずずっ……」
細く、もっちりとした麺の弾力が心地良い。鶏がらの風味と丁度いい塩っ気が口の中に広がる。さらに、燻製された何かの香りが鼻腔をくすぐる。
「このスープ……ベーコンを使っているのか?」
「その通りだ。さすがだぜ兄貴」
「なかなか良いラーメンじゃないか。これのどこが問題なんだ?」
「兄貴の言うとおり、確かに悪くないんだ。だが、何かパンチが足りない」
「俺はこれくらいがちょうどいいんだけどな。自分に厳しいんだな」
「これでもラーメン職人だからな」
麹はかっこいい台詞を口にするが、顔には『無理』という言葉が浮かんでいる。
「麹、朝飯ってこれだけか?」
「作ったのはこれだけだけど、あと十杯位は作るつもりだ」
「ラーメンばっかじゃまた身体を壊すぞ」
酵介は弟を嗜めた。
「それでよ、たまには一緒に外で食わないか? 気分転換のつもりでな」
酵介が麹を連れていく形で、二人は定食屋に入った。
「俺、よくここの定食屋に行くんだ。今の時間は朝定食の時間だが、常連は昼のメニューも選べるんだ」
そう言って酵介は麹にメニューを渡した。
「兄貴は何にするんだい?」
「俺はかつ丼定食にするぜ」
「そうか……じゃあ俺も同じやつで」
「よし分かった。すみませーん、かつ丼定食二つで」
厨房に向かって、大声で注文を伝える。
「たまには麺から離れてご飯というのもいいだろ。そういえばいつもはどんなもん食ってるんだ? やっぱりラーメンか」
「いつも残ったスープで自分の麺を作ってるぜ。ご飯もメニューにあるからそれも付けたりするが、毎日がラーメンだな」
店員から出された水を飲みながら麹は答えた。
「そんな飯で飽きないのか?」
「同じようで毎日の味が違うんだ。気温、湿気、自分の調子……全て組み合わさって味ができる。同じ味なんてないんだ。毎日ラーメンを食べて、その日の自分を振り返り、次への糧にするんだ」
麹が熱く語る。
「お前、すげえな。やっぱり職人なんだな」
酵介は素直に感心した。
「毎日違う味ってのは、単にまだまだ腕がいまいちってことだけどな」
麹は苦笑いした。
「ところで、今日作った試作品ってどんなラーメンなんだ?塩か?」
「ドイツラーメンだ」
真面目に答える麹。
「ドイツ……ああ、お前が作ったものの中で、一番最初に食べたやつか」
酵介は苦笑する。かつて食べた不味いラーメンと、さっき食べたものが同じ名前なのが、酵介には信じられなかった。
「どうしてドイツラーメンなんだ?」
「だって、台湾ラーメンがあるならドイツラーメンがあっていいじゃないか」
当たり前のように麹は言った。
「お前、昔と同じ事言ってるな」
「だから、俺は俺のラーメンを作りたい。他の誰もが思いつかないものをな」
力強く語る麹。酵介はただ頷いた。
「おっ、かつ丼来たぜ」
しばらくして、店主が二人前のかつ丼と味噌汁を運んできた。巨大などんぶりに盛られたご飯の上に、どんぶりにぎりぎり収まるくらいの巨大なカツが乗っており、それをとろとろの玉子が覆っている。六百八十円の割にはかなりのボリュームだ。
酵介が美味しそうに食べている中、麹は箸をつけずにじっとどんぶりを見つめている。
「……どうしたんだ麹?」
「かつ……とろとろの玉子……」
箸を持ちながら麹は固まっていた。
「もしかして、あまり好きじゃないのか?」
「これだ!」
「できたぜ、ドイツラーメン!」
もわもわと湯気をたてるどんぶりの中には洋風の具で飾られた麺があった。前に食べたドイツラーメンとは全く違うものだった。
「ささっ食べてみ」
麹に勧められるがままに、酵介はラーメンに箸をつける。
「これは……」
コンソメを思わせるような味に、塩ラーメンとしての風味が違和感なく混ざりあうスープ。細麺が良くマッチしている。豚カツらしきものは、カリカリとした部分と、スープに浸かってドロドロになっている部分があり、なかなか良い。それはまるで――
『ここは……どこなんだ? ……もしかしてベルリンか?』
あちこちに佇む古き良き建造物。行き交う人達が話す言語。一度ベルリンを旅行していた酵介にとって、見覚えのある風景だった。彼の視線は、ある店の看板に向けられていた。一体何の店であるかははっきりと理解できていない。飲食店である事は分かっていた。それ以外を理解できないまま、ふらっと店内に入っていく。
『いらっしゃいませ!』
店内で呼びかけられた言葉で、酵介は一気に現実世界へと引き戻された。ドイツにある日本料理店の味、というイメージが彼の脳内で出来上がっていた。
「すごい出来じゃないか。こりゃ何杯でも食いたいな」
酵介が絶賛した。
「えっ、それ本当?」
突然、酵介の隣の席から何者かが現れた。
「うわっ、って蓮華か。いきなり出てきてびっくりした」
「ごめんごめん、ちょっと麹君のお見舞いに来たんだ。それで、これが新しいラーメンなの?」
「ああ、ドイツラーメンっていう弟の渾身の一品だ」
「うわー、すごそう! 私にもちょっとちょうだい」
蓮華は積極的におねだりをした。
「はいどうぞ」
どんぶりを受け取った蓮華は目を輝かせながら、すぐ箸に手をつけた。その食べっぷりからして、『ちょっと』食べるとはとても見え難い。
「おいおい、食べ過ぎだろ。……まあいいけど」
「ずるずるずる……」
食べるのに夢中な蓮華に酵介の声は聞こえなかった。
「ふぅ……麹君、すごいじゃない。あれだけ美味しいラーメンを作るなんて、私尊敬しちゃう!」
「ありがとうございます! まさか蓮華さんにここまで称賛されるなんて……うっ」
あまりの嬉しさに、麹の瞳に涙が溜まっていた。
「というわけで、この差し入れは私のデザートにしちゃおっと」
蓮華はビニール袋から高級そうなゼリーを取り出した。
「こんな美味そうなゼリーを……麹はそれでいいのか?」
麹は涙を拭くのに夢中で、ゼリーの存在に気づいていなかった。
新作のドイツラーメンのおかげでラーメン店は毎日繁盛した。麹はアルバイトを雇うようになり、店も拡張し、利益も日に日に上がっていった。借金の返済ペースも格段に上がり、信じられない事に二月で半分近くを返済していた。
「なんでこんなペースで返済できるんだ? こんなの絶対おかしいぞ」
独り言をこぼしながら、甘木は麹のラーメン店へ潜入した。
「へーい、らっしゃい」
威勢のいい声が厨房から響いてきた。まだ昼のピークに入っていないようで、店内では六人ほどの客が座っていた。
「あんたが麦沢麹か?」
座席に向かわず、厨房入口に向かい、甘木は尋ねてきた。
「はい、そうですけど」
「俺は佐々金融の甘木という者だ。誰だか分かるか?」
「はあ……誰でしょう?」
「俺が一億貸してやってんだぞ、それくらい忘れるなボケ!」
甘木は激昂する。
「す、すみません。何せ最近電話をもらっていないんで」
「は? お前、兄に何も話を聞いてなかったのか?」
「兄貴が? どういう――」
「そこの兄ちゃん、注文しないなら帰ってくれないか? 落ち着いて麺が食えん」
カウンターに座っている、帽子を被った中年の男が文句を言う。
「悪いがあんたには関係のない話だ。黙ってラーメンでも食って――」
「おーい兄ちゃん、こいつにドイツラーメンを一つ」
甘木の声を無視して、男はラーメンを注文した。それに応えて、麹は麺をゆで始めた。
「おいてめえ、俺を無視してんじゃねえ」
「まあまあ落ち着け。兄ちゃんのラーメンでも食ったらそんな事どうでも良くなる」
「ごちゃごちゃ言いやがって……」
「それでも不満だというなら営業妨害で訴えるぜ。俺が言う事ではないがな」
「ぐぬぬ……」
「ほれ、そこの若者が餃子でもやると言ってるようだ。まあゆっくりしとけ」
小さな四角テーブルに座っている若者が、甘木に餃子を差し出す。その若者も、帽子を深々と被っており、素顔が見えない。
「いらん。だったら待とう」
なんだかんだで、甘木は大人しくカウンター席でラーメンを待った。
「へい、お待ち」
しばらくして、出来たてのラーメンが、湯気を立てて出てきた。
「これは何だ?」
普通とは違うトッピングを見て、甘木は怪訝な顔をした。
「食べてみりゃ分かる。騙されたと思って食ってみな」
「…………」
不満あり気にしながらも、甘木はラーメンに箸をつけた。
「んなっ、これは!」
一口食べた途端、彼に衝撃が走る。日本にあるドイツ料理専門店、彼の頭にはそれが浮かんでいた。
「ドイツであってドイツでない、ラーメンであってラーメンでない……ずずずっ」
独り言を口にしながら、彼は食べるペースを上げていった。
「どうだ、美味いか?」
中年の男が聞いてきた。
「おお、うまい」
「ハッハッハッ、そうだろう。うちのおい甥だけあって、すごいだろう」
男は帽子を外して、慣れ慣れしく甘木の肩を叩いた。
「ちょっと待て、今甥って言いましたよね?」
不意に、若者は問いただした。
「ああ、麹は俺の甥だが……」
「「も、もしかして……」」
甘木と若者が声をそろえる。
「伯父さん! 久しぶりじゃないか」
男の素顔を見るなり、麹はびっくりした。
「えっ! あんたが俺らの……」
帽子を外した若者――酵介もあっと驚く。
「俺ら……ああ、君は酵介か。こうやって会うのは久しぶりだな。俺は水原冠水だ。名前くらいは覚えているか?」
酵介は頷く。
「伯父さん、なんで今頃帰ってきたの?」
「借金の状況はどうかと思ってちょっと某国から帰国してきたんだ。店が立派になっている様子からすると、結構頑張っているみたいだね」
伯父はさらりと事情を話した。
「いやあ、麹に店を託して良かったよ。おかげで返せそうもない借金も大分減ってきたし、店も大繁盛だ。海外に逃げてきた甲斐あったぜい。麹、ラーメン屋を続けてくれてありがとな。あとは俺が店をやるから、麹はもう休んでいいぞ」
何の躊躇もなく伯父が喋っている途中、何かが折れる音がした。酵介の右手には、折れた割り箸が握られている。
「あのなあ、お前のせいでどれだけ俺らに迷惑がかかったか分かるか?」
「おいおい酵介、どうしたんだい?」
「……良い事思いついたぜ」
酵介は伯父の首根っこを掴み、甘木の前に突き出した。
「おい、何のつもりだ?」
突然の酵介の行動に対し、驚く伯父。
「甘木、借金の元凶はこいつだ。こいつが身体を張って稼いでくれるってさ」
「待て、出会ってすぐに俺を売るのか?」
「うるせえ、麹に借金押し付けてんじゃねえ。お前もそう思うよな」
酵介は麹に質問を投げかけた。
「俺は伯父から店をもらったし、まあいいかと――」
「だが借金有無を言わせずに押し付けられたよな?」
「あ、ああ――」
「というわけだ甘木。ここに借金を作った主がいる。こいつに払ってもらおう」
「そんな、俺は――」
「そんな事を言われても俺は困るが」
目の前の展開に呆れる甘木。
「俺は連帯保証人だ。こいつを売ってやろう。これで完済だ、いいな?」
虚実を交えた滅茶苦茶な事を、酵介は圧力をかけて甘木に言った。
「頼む、やめてくれ」
伯父は必死に懇願する。
「無茶な要求だ。こんなおっさん渡すくらいなら土地をくれ。第一、お前は連帯保証人じゃないだろう」
「こいつの臓器を売っても、借金分以上の額になると思うぜ。連帯保証人については明太子サービスの時に言ったと思うが忘れたか?」
「そんなの聞いた事ないぞ」
「明太子が好きすぎて舞い上がってたんだっけな? まあ、受け取らないというなら明太子三カ月のサービスはなしな」
「くっ……勝手な事言うな」
「こいつをもらうなら明太子サービスは一年分に伸ばすぜ」
「お前ら、こいつを捕まえろ」
特典を聞くや否や、甘木はすぐ店の入口に向かって合図をした。
「了解」
それと同時に、がたいのいい男二人が伯父を捕らえ、店の外へ引っ張っていった。
「ちょっ、待て! 俺を連れてくな……、やめてくれーっ!」
伯父は大声で抵抗しながらも、引きずられていった。
「はぁ……今日のところは帰るぜ。じゃあな、酵介」
不服そうにしながらも、甘木は去っていった。
「あいつの特典に乗らなければ良かったのに……くそっ悔しいぜ」
最後に独り言を残す甘木。それを聞き、扱いやすい奴で良かった、と酵介は思った。
こうして、麦沢兄弟に平和が訪れた。
「伯父さんって今何してるのかな?」
営業時間が終わり、麹は酵介に聞いた。
「今頃マグロ船じゃないか?」
「マグロ船って確か――」
「アレの事? 船盛りみたいな、女体盛りみたいなやつ」
蓮華が口を挟んできた。
「何が言いたいんだ? ……って変な想像をしたじゃないか」
酵介は嫌そうな顔をした。
「でも実際はどうなんだろうね? マグロ船って都市伝説とか言われてるし」
「麹、賢くなったな」
神妙な顔で酵介が言う。
「何それ、褒めてんのか?」
三人でわいわい話している間、勝手口の戸が開いた。
「たらいまあ……」
よれよれの中年男性が扉から現れた。
「伯父さん、おかえり」
真っ先に麹が声をかけた。
「おや、身体は売り飛ばされなかったのか?」
酵介が聞いてきた。
「なんとか逃げ出したぜ……変わり身の術を使ってな」
荒い呼吸をしながら伯父は答えた。
「忍者みたいな奴だな。どこで覚えた……ってか逃げたならうちらヤバくないか?」
と酵介が言う。
「それなら一応、佐々金融と臓器商人の取引が終わった後に逃げたから甘木の所からは追ってこないはずだ。だが商人側がやばいな」
「まあ、せいぜい逃走を頑張る事だな。某国を旅してきたんならそれくらい容易いだろ?」
他人事のように酵介は言った。
「薄情者め。匿う事くらいしてくれよな」
「これ以上迷惑かけるなら、臓器商人に突き出してもいいけど」
麹が呟いた。
「麹も俺を見捨てるのか? 酷い……」
「ところで伯父さん、ラーメン作ろうか? 特製のドイツラーメンがいいぞ。一杯で三百キロは走れるんじゃないか?」
伯父の訴えをスルーする麹。
「ああ、一杯くれ」
カウンター席に座って、伯父は頼んだ。
「そういえば俺らも晩飯食ってないな。俺らにも作ってくれないか?」
酵介も彼女の分を合わせて頼んだ。
「承知しやした!」
職人、麦沢麹は早速麺を茹で始めた。
酷い話ですね、これ。いろいろな意味で。




