何時かの死
病に罹った。期限は不定期で、死ぬと言う事が知れて、時間が行方知れずで、何時斃死しても大丈夫な體だった。薫る秋の風が止み、臘月の冷酷の風が吹く季節と同時に、何処か周囲が騒めく様に成った。
冬に喰われる秋の様に、我が家から、大切な品物に思い出を心に刻み、愛車に品物を詰める。読み切れて居ない、書籍群に此処迄の人生の写真。小さき物は、革のトランクケースに仕舞い、後部席も助手席も倒し、出来るだけの思い出に近しい物に仕上げた。
世間の刃に切り殺される前に家を売って、冬の静寂さが積もる前に、車で外へ出かけた。もう、後悔は無いと言う自信と共に、禁酒に禁煙を無くし、また、吸って呑まれる様に生った。
哀愁の秋の葉が薫り散る前に舗装もされて居ない、田舎道の路肩に留めて、未だに咲く紅葉を眺めながら、酒を嗜み、葉の香りを吸う。香水とは違う、深みの在る何かの匂いがした。
今日も私は、何処か宛先の無い手紙の様に歴史にも残らない旅を続ける。エンジンを唸らせ、家売って得た金で燃料費や食費に衛生を整える。日に日に陽を越す度に、口の中から粗悪な鉄の味がする。
其れでも、私は命の樹を枯らす様に、酒と煙草を嗜む、紫煙を吐く度、酒を吞む度に、何処か苦しい時が或る。でも、死ぬんだと思うと、其の苦しさも消えてしまう。
車で何処かの都市に寄って、街中を歩くと、周りの人の視線が鋭利に感じてしまう。稚児も大柄な男も、亜人も、何処か蔑みの視線が矢の様に心と言う的に刺さってしまう。
其の内に、怖くなって、酒と煙草を買ったら、直ぐに街を離れる様に成った。ただ、そんな生活の中にも、少しの癒しが有る。自然の中に横たわる事とラジオで音楽を聴く事だ。
何方も、何処か社会と言う毒を除いてくれる様な薬だった。ラジオから流れる音楽はどれも古くて、聞こえる声も、伝わる印象も時代が違う気がした。自然の中に居る時も、自分が何者なのかと疑心暗鬼に成って仕舞う...
或る日、何時も聞いて居た、ラジオ局が閉鎖して、好きだった秋も冬に代わってしまった。ラジオを点けても、聞こえるのは、砂嵐。うろ覚えの民謡と共に、厳冬を越す事に為った。
冬も春も夏も、何とか生き延びて、亦、秋に会えた。嬉しくて、涙が出て仕舞った。掌は青く、弱弱しくて、咳込むと度々、血を吐く様に成った。
其れでも、愛しの秋に又出会えて、嬉しい。紅葉の落ち葉の上を寝転ぶと、何時もの様に、春と夏の凝縮された麗しい匂いが鼻を突く。
何て美しくて、綺麗な季節なんだ。小さな紅葉の葉を手に取ると、何処か愛おしい稚児の様に感じて、風で葉が揺れて、何もかもが善く成った。
でも最近、息が薄くなった。何時も口が鉄の味に成り、吐血する量が多くなった。でも、もう何でも良いと思った。
或る秋の一日、朝から咳と吐血が苦しく痛い。直ぐに車を降りて、秋の包みの中に入る。一つ大きい紅葉の落ち葉の山に寝転ぶ。いや、臥せるに近しいだろうか...
そう瞬間、大きな咳と共に、多量の鮮血が口から溢れる。同時に寒く感じるし、視界が霧の様に霞んで来た。同時に、誰かも知らない笑い声が聞こえて来る。辛い...
掌にべったりと血が着いて居る。
もうどうでも良いんだ...
「私はもう...死んでも良いんだ...」
私は、何も刺激の無い人生だった。しかし、此の余命僅かの病気を罹った事によって、何かいい思い出が出来たと思う。
そして、私は寒さと眠気で、瞼を閉じる。
こうして、私及びシャー=コルト・スヴォウトスキーの端的な人生は枯れた。




