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短編

No More 社畜人生!ドアマット聖女ヒロインなんてお断りです

作者: 志熊みゅう
掲載日:2026/06/13

 ――はぁ? 何この話。結局、性悪王子と結婚すんの? 最悪すぎる。


 ブラック企業で働く私は、会社と家を往復するだけの毎日を送っていた。そんな私にとって、スマホで異世界の恋愛模様を描いた小説を読む時間が、現実を忘れられる唯一のひとときだった。ただ、今読んでいる『虐げられ聖女は王子の溺愛に気づかない』は、とんだ大外れだ。


『主人公のエレンが虐げられるシーンが長くて読んでいて辛かった。ここまで人に尽くしたのに、俺様自己中王子と結婚なんて最悪すぎる。こんなの拷問だ。最後くらい報われる終わり方にしろ』


 怒りに任せて感想を書き込み、送信。電車を降り、フラフラとアパートに向かう。通知だ。なんと作者から返信が来た。


『ご感想ありがとうございます。私が書いた小説がお気に召さなかったようで残念です。しかしながら、読者さま一人一人の嗜好に合わせて小説を書くのは困難です。完全に自分好みの小説をご所望であれば、感想欄に悪口など書いていないで、ご自身で執筆されたらいかがですか?』


 え? 一読者にそこまで言う?! 驚きで手のひらからスマホが滑り落ちた。スマホを拾おうと、かがみこんだその瞬間だった。クラクションの音が通りに鳴り響いた。


 ――私の『前世』の記憶は、ここで途絶えた。



***

 次に目が覚めると、見たことがないきれいな部屋で寝ていた。見上げるとレースの天蓋が垂れ下がっている。枕元には、クマのぬいぐるみ。長い金髪がシーツに波打つ。頭には包帯が巻かれていた。


「私はいったい……」


「目覚めたか! エレン!」


「――エレンって誰のことですか?」


 金髪碧眼の初老の男性が驚いた表情で、こちらを覗き込む。隣にはその男性をそのまま若くしたような、金髪の青年が座っていた。


「ど、どうしたんだ、エレン! 私は君の父親だよ。分かるか? 早く医者を! 医者を呼んでこい」


 それからしばらくして、医者だと名乗る男が部屋に入ってきた。矢継ぎ早にいくつかの質問をし、一通りの診察を終えた。


「エレンさまのお身体に別段問題はありません。大きな怪我がなかったのが不思議なくらい。ただ意識を失っていたため、少し記憶が混濁しているようです」


「記憶が混濁だと?!」


「ええ。じきに戻るとは思いますが、少し時間がかかるかもしれません。焦りは禁物です」


「……そうですか」


「もし頭痛や吐き気があるようでしたら、またすぐに私をお呼びください」


「ありがとうございます、先生」


 医者が帰った後、父親だと名乗るこの人物に、自分のことをつぶさに聞いた。


 私の名前は、エレン・ホワイト。十三歳。セレニティ王国・ホワイト子爵家の長女らしい。家族は父と兄のオスカー。母親は三年前の春、流行病で亡くなった。王都の魔法学園に通う兄が休暇で帰省したため、乗馬を教えてもらっていたところ、誤って馬から落ち、頭を打ったそうだ。


「すまなかった、エレン。俺がついていたのに」


 兄のオスカーが申し訳なさそうに頭を下げた。


「いえ、頭をお上げください。私に不注意があったのかもしれません」


「エレン、しばらくは部屋でゆっくりしなさい。今週の家庭教師の訪問は断っておくから」


「ありがとうございます。お父さま」


 その日は一日慌ただしかったが、夜更けになると家族も、使用人も、皆それぞれの部屋に戻っていった。そして一人になった私は頭を抱えた。


「エレン・ホワイトって『虐げられ聖女は王子の溺愛に気づかない』の主人公のエレンじゃない? もしかして私、あのエレンに『憑依』しちゃった!?」


 その夜は眠れるはずもなく、羽ペンを片手に、物語と自分の置かれた状況を整理することにした。


 冒頭、エレンは落馬して、聖女の力――光魔法に目覚める。今日私がほぼ無傷で済んだのは光魔法が覚醒したおかげだろう。エレンはその力を使い、自領の貧しい民たちを癒していく。それが王都の大聖堂の目に留まり、エレンは聖女の一員として迎えられる。


「でも、大聖堂でとてもひどい扱いを受けるのよね」


 ヒロイン・エレンの光魔法は大聖堂の聖女の中でも随一だった。それが、第一王子・ジェラルド殿下の目に留まり、何かというと王子はエレンにちょっかいを出すようになる。


 面白く思わなかったのが、ジェラルド殿下の婚約者であり、筆頭聖女でもある公爵令嬢ベアトリスだ。彼女は激しい嫉妬にかられ、他の聖女たちも巻き込み、執拗にヒロインを追い詰めていく。


「そもそも婚約者のベアトリスの前で、あのクソ王子がちょっかいかけたから、エレンはひどい目にあったのよ」


 私はひらめいた。――聖女の力なんて使わなければいい。


 貧民の病を癒すと言っても、聖女一人にできることは限られている。それよりもこの領を豊かにし、公衆衛生や福祉に力を入れた方が救える命が多いはずだと私は思った。


 兄のオスカーは学園の休暇が終わると、再び王都に戻っていった。屋敷の中は父と私、それと使用人が少し。オスカーがいなくなった屋敷は閑散としていた。


 私は子爵家の蔵書を漁り、この世界や自分の力のことをひたすら調べた。知らない言語のはずなのに、エレンの中にあった知識のおかげか、難しい本でもすらすら読むことができた。


 私たちが住むセレニティ王国は、もともとエルフの子孫の国だと伝承されており、貴族、平民を問わず、魔法を使える者が多い。だから魔法研究も盛んなようだ。魔法には複雑な理論体系があり、その発動には長い呪文を唱えるのが一般的だ。でもなぜか私は祈りを込めるだけで、動物の傷を治し、植物を健やかに成長させることができた。


 ホワイト子爵家は、貧乏で使用人の数こそ少ないが、優しい人たちばかりだ。父は、私が落馬して以降、余計に過保護になったというのもあるらしい。


 私は記憶が戻るまでは古い友人に会いたくないと言って、王都に行くことを頑なに拒んだ。兄が通う魔法学園への入学も、ろくな魔法が使えないからと言って断った。もし光魔法の適性があることが知られれば、問答無用で大聖堂に入れられてしまうからだ。


 ――絶対にあんなドアマット人生はごめんである。


 ジェラルド王子にもベアトリスにも会いたくない。物語の舞台になる王都に行くことは避けたい。できれば、このまま子爵領でのんびり過ごしたい。いつしか私はそう願った。


「エレン、これから西の延命草の畑を視察しに行く。お前も行くか?」


「はい、お父さま」


 もしかして私の記憶が戻ればと思ったのか、父はよく領地の視察に私を誘った。ホワイト子爵領は薬草、特に『延命草』という、育てることが難しい薬草の栽培を主産業にしている。


「領主さまが用意した虫よけがよく効いたぞ」

「領主さまに言われたとおり、敷きわらをしたら苗が枯れなかったよ」

「今年は乾季が長かったが、延命草が順調に育った。領主さまがこさえた水路のおかげだ」


 父が顔を出せば、すぐ領民たちが集まる。いい領主だと思った。私も微力ながら薬草畑に祈りを捧げた。畑一面の緑が、その祈りに応えるように一層濃くなった。



***

 私がエレンに憑依してから、数年が経ち、兄も学園を卒業し、領地に戻ってきた。父の知恵と私の祈りで毎年薬草は豊作のはずなのに、うちはなぜか貧乏のままだった。ある日の晩餐で、兄が口火を切った。


「父上、今日は大事な話があります」


「なんだ? オスカー」


「――我が婚約者・シャーロット嬢から婚約を解消したいとの申し出を受けました」


 シャーロットの実家は、ホワイト領の最大の取引先、魔法薬加工を得意とする伯爵家だ。


「それは本当か……?」


「ええ。学園でジェラルド王子とシャーロットが恋仲になったのです……」


 ジェラルド王子と聞いて、私は思わず、むせ込んだ。父も顔が真っ青だ。


「何てことだ。王子にも婚約者がいるではないか!」


「ジェラルド王子とベアトリスさまの不仲は有名です。しかし彼女は光魔法に長けた筆頭聖女、しかも彼女の家は大聖堂と深い関わりがある。王子のわがままで婚約は破棄できないだろう――誰もがそう思っていました」


 なるほど。私が聖女にならなかったせいで、物語が変わり始めているのか。私は静かに兄の話に耳を傾けた。


「魔法薬は『数』で聖女の祈りに勝ります。シャーロットを妃として迎えたいというジェラルド王子に対して、彼女の実家は魔法薬を国に専売することを約束したのです」


「私は何も聞いていないぞ。今だって彼女の家に薬草のほとんどを卸す代わりに、ほぼ原価で魔法薬を融通してもらっている……」


「シャーロットの家は、王家と縁づくなら、側妃でも構わないと言っています。それにホワイト家との縁が切れても、原料は安価な代替品を探すと……。延命草もフロスト産のものに替えるそうです」


 フロスト産の『延命草』は、厳密に言うと延命草ではない。同じ科の植物だが、その効能には雲泥の差がある。私は目を丸くした。

 

「父上のことを尊敬しています。ただ政治は領の中だけで完結するものではないのです。今、王都ではジェラルド王子の思惑のもと、政治情勢が劇的に動いています」


 それからしばらく沈黙があった。私はおそるおそる口を開いた。


「シャーロットさまとの縁が切れた場合、我が家はどこに薬草を卸すのですか?」


「エレン、俺だってあの二人がいちゃついているのを、ただ指を咥えて見ていた訳ではない。薬草を薬草のまま卸しても、買い叩かれるだけなんだ」


 オスカーはもともと勉強熱心な性格だ。シャーロットとの婚約が決まってから、何度も彼女の領地に顔を出し、魔法薬製造の細部まで勉強したという。シャーロットと王子が恋仲になってからは、魔法薬学の教授のもとに通い詰め、新薬の開発について学んだ。


「父上、今世界的に魔法薬の需要が高まっています。自分たちで薬品の製造加工まですれば、より多くの利益を生み出すことができます」


「それはそうだが、販路はどうするんだ? 魔法薬は信頼が大事だ。薬草の品質でうちの領に勝るものはないと評判だが、魔法薬ではまた話が違う」


「……この国で売らなければいいのです。隣国のレヴェリーは魔法自体が貴重です。魔法薬もより高額で取引されています。もとより、この地は王都より隣国に近い」


「レヴェリーに知り合いはおらんぞ」


「ご安心ください。考えはあります」


 隣国・レヴェリーは国交こそ回復しているものの停戦状態だ。そんな国で商売なんてできるのだろうか?


 それからすぐ、シャーロットの家から正式な婚約解消の申し出があった。本来、向こうの有責で婚約破棄が妥当だが、相手が王家や伯爵家では分が悪い。手切れ金として、幾ばくかの見舞金を受領し、婚約解消に応じた。


 兄は早速、その手切れ金を元手に、魔法薬工場を作り、領民たちの中から魔力のある者を雇い入れた。魔法薬を作る工程は煩雑だ。初めは納得できる品質の薬が作れず、兄たちは苦労した。


「お兄さま、ちょっといいですか? 今のままでは一人一人が覚えるべき作業がとても多くなっています」


 これではかつて勤めたブラック企業と同じだと思った。兄の様子を見かねて、魔法薬ごとに生産ラインを分けること、作業ごとに仕事を分割して担当者を決めることを提案した。


「あとなるべく残業にならないように、休憩時間と有給も設けてくださいね。作業効率に影響しますから」


 一人一人が任せられた工程だけに集中すると、魔法を覚えたての者も、すぐに仕事を回せるようになった。そして遂に、シャーロットの実家が作る魔法薬と遜色のない出来栄えの魔法薬を量産できるようになった。


「お兄さま、やりましたね! そういえば、以前販路については考えがあると仰っていましたが、どうされるおつもりですか?」


「王都では魔法薬学の教授に師事したと言っただろう? その助手の一人が隣国の出でね。昨今の情勢で国に帰ることになったんだ」


「まあ! それは大変でしたね」


「知ってのとおり、隣国のレヴェリーは魔法を扱える人が少ない。隣国に戻っても、大規模な魔法薬の製造はできないから、こちらで作られた薬を輸入したいと、かねてから言っていてね。取引をしないかと向こうから声をかけられたんだ」


「そういう訳だったんですね」


「俺自身は今回の婚約解消の一件で、この国や現王家に大きな不満がある。それに先の戦争でこの領は必要最低限の支援しか得られなかった。捨て駒にされかけたんだよ。このままでは未来永劫、ホワイト子爵領はセレニティ王国に搾取されたままだ」


「私もそう思います」


 今まで収穫量が上がっても、うちの領はちっとも潤わなかった。シャーロットさまの実家が中心になって、薬草がたくさん採れた分、買い叩いていたからだ。――彼らは初めから我々の味方などではなかったのだ。


「今度、試作品を持って隣国に行こうと思うけど、エレンも来るかい?」


「ぜひ同行したいです」


 それから数週間後、私たちはレヴェリーに発った。レヴェリーに通じる道には、新街道と旧街道がある。わざと関所がある新街道を避け、古びた旧街道を行った。


「今でも商人はこちらの道を通る。たまにセレニティ王国の騎士が巡回に来るそうだが、今日はいないな」


「そうですね」


 レヴェリーに着くとすぐに魔法薬学の教授の助手を務めていたという人物と町はずれで落ち合った。少し長めの黒髪に、金色の瞳、片眼鏡をかけた美麗な人だった。


「久しぶりだな、オスカー、そちらが妹君か」


「お久しぶりです、イライジャ殿下、こちらが妹のエレンです」


「初めまして、エレン・ホワイトです。……お兄さま! 王族の方と会うなら、先に言ってください」


「ああ、ごめんごめん。エレンには言っていなかったね。イライジャ殿下はレヴェリーのアッパーソン大公家、王弟殿下の御子息なんだ。セレニティには身分を隠して留学していて……」


「堅苦しいのはやめてくれ、オスカー。大公子息と言っても、四男坊だから自由にやらせてもらっている。今までどおりイライジャでいいし、無礼講で結構」


「レヴェリーからうちの国への留学って多いんですか?」


「いや、めったにいないね。僕は珍しく魔力持ちだったから、ちゃんと勉強したくて、セレニティにこっそり留学したんだ」


 私たちは大公家の別邸だという屋敷に案内された。屋敷の応接間はセレニティとはまた違った調度品が置かれていて、異国情緒があった。試作品である魔法薬を見せるとイライジャの目が輝いた。


「こちらが咳止めで、こっちがすり傷の薬。それと頼まれていた水虫の薬だ」


 魔法薬について丁寧にイライジャに説明していく。イライジャは一つ一つ手に取ってその品質を確認した。


「――さすがホワイト家の薬草を使っているだけある。どれもいい出来だ。すべて買い取らせてほしい。取引額はこれでどうだ」


「え、こんなに?」


 ゼロが一つ多いんじゃないかと思う額を提示され、私は目を丸くした。


「エレン嬢、これは妥当な価格だよ。君たちは今まで不当に買い叩かれていたんだ。本来薬草も魔法薬も貴重なんだ」


「知らなかったです」


「そうだオスカー、この薬の量産も頼めないか?」


 イライジャは、魔法薬のレシピが書かれた書類とサンプルの薬剤を机の上に並べた。


「これは君が研究していた万能薬か。最後の魔法はどうにかならないのか? これは光魔法の術式だ。知ってのとおり、セレニティでは、光魔法は聖教会の完全な管理下にある。彼らが協力してくれるとは思えない」


「……それは分かっている」


 兄がイライジャの魔法薬を一滴、手の甲にたらした。星屑を散らしたように輝くと、あかぎれが消えた。


「まあすごい。この試作品はどうやって作ったんですか? もしかしてイライジャさまは、光魔法が使えるのですか?」


「ああ。魔力量はそこまで多くはないがね。君たちの国では、聖教会と一部の貴族が光魔法を独占しているだろ? どうにか光魔法の癒しの力を魔法薬で再現し、普及できないかと思ったんだが、なかなか難しいな」


 なるほど。光魔法を魔法薬で再現か。面白い発想だと思った。でもどうしても光魔法の術式を組み込まないと、聖女が扱う魔法のように、折れた骨をくっつけたり、大きな傷口をふさいだりすることは難しいらしい。


 私はふと思った。光魔法と魔法薬を組み合わせれば、その可能性は無限ではないかと。でも兄の言うとおり、セレニティの聖教会は、光魔法という『利権』を手放さないだろう。


「そういえば、エレン嬢は学校には通っていないのか?」


「ええ。私は魔法があまり得意ではないので」


「確かにセレニティだと貴族が通う学校は、どこも魔法学が必修だからな。そうだ。うちの国に留学するのはどうだ? 君がこちらで人脈を広げれば、オスカーも仕事がしやすいだろう」


 思わぬ提案だ。私がたじろぐと、兄が言った。


「俺も賛成だ。父は過保護すぎるし、お前は臆病すぎる。もっと子爵領の外の世界を知るべきだ」


 少し考えた。もうすでに、Web小説の筋書きとは大きく変わってきている。だが、国内に残り、もし光魔法が使えることがばれたら、平穏な生活を脅かすリスクになりうる。他国に逃れた方が安全かもしれない。


「――興味があります。前向きに考えさせてください」


 留学はトントン拍子で話が進み、次の春、私はレヴェリーに引っ越すことになった。学校では経営学を学び、学んだことをアドバイスとして、兄に手紙で伝えた。同世代の友人もたくさんできて、皆魔法薬にも興味を持ってくれた。おかげで、兄の魔法薬はよく売れた。私は学業の傍ら、イライジャに助けてもらって魔法薬を扱う商会も興した。


 すっかりレヴェリーでの生活に馴染んできた時だった。思わぬ報せに耳を疑った。


「号外! 号外! セレニティが停戦を破り、我が国に侵攻した。戦争が始まるぞ」


 ――え?


 原作の小説でも、セレニティとレヴェリーは戦争になった。でも攻め入ったのはレヴェリー側だった。レヴェリーで流行病や凶作が続いて、民たちの怒りを逸らすためセレニティに侵攻したのだ。


 私はこちらに移り住んでから、戦争が起こらないように毎日祈りを捧げていた。私の祈りにどのくらい効き目があったのか分からないが、流行病は起きず、作物の収穫量も例年と変わらない。


 民たちも穏やかで、まさか戦争なんて起こらないと思っていたのに、母国の側から攻め込んでくるとは。


 子爵領はレヴェリーとセレニティの国境にある。先の戦争でも多くの犠牲を出した。薬草栽培が子爵領で盛んになったのも元はと言えば、戦争が契機だった。


 どうしたものかと考えながら、商会に戻ると、イライジャと、魔法薬の納品に来た兄がいた。


「ちょうどよかった。エレン。大事な話がある」


「分かりました。奥の応接室へ」


 商談用の小さな応接室に、イライジャと兄のオスカーを通し、温かい紅茶を出す。


「ありがとう、エレン」


「それでお話というのは、戦争のことでしょうか?」


「ああそうだ。ジェラルド王子が停戦協定を破って、レヴェリーに侵攻した。おそらく自身の求心力を高めるためだろう」


「そうだったんですね」


「うちが魔法薬をレヴェリーに卸してたことも、ばれていたようだ。全面的に軍事協力しなければ、爵位を取り上げるとの通達が来た」


 兄は表面上怪しく見えないよう国に提出する帳簿をごまかしていると言っていたが、やはり密貿易を隠し通すのは難しかった。平時は見逃されても、有事には国賊にあたる。


「実はイライジャを通して、レヴェリー王家からも、うちに打診があってね。――うちがレヴェリーに寝返れば、伯爵位を与え、魔法薬の事業も全面的に支援すると言われた」


「――どちらを選ぶのですか?」


「うちは建国以来、セレニティの王家に仕えてきた。だが先の戦争で傷ついても、飢饉で民が餓えても、辺境にある我が領は、王家から適切な支援を得られなかった。俺はずっと父上が王都の社交の場に顔を出さないからだと思っていた。だが違う。王家や上位貴族の連中は自分たちのことしか考えていない」


「お父さまは何とおっしゃっているのですか?」


「父上も同じ考えだ。今更、我々がセレニティ側についても、今後爵位がどうなるか分からない。エレン、君を巻き込むことになってしまい申し訳ない」


 少しの沈黙の後、私は静かに言った。


「――仕方ありません。あのままでは当家は遅かれ早かれ没落し、民は路頭に迷っていたでしょう。お父さまとお兄さまは子爵家のために良い選択をしたと思います」


「ありがとう、エレン」


 イライジャは兄妹のやりとりを静かに聞いていたが、やがておもむろに口を開いた。


「エレン嬢、君の商会には、レヴェリー王家とホワイト家の取引の仲介役になってほしい。戦時中はまた必要な薬が変わってくるから」


「はい」


 それから数日で、ホワイト領にレヴェリー軍が入った。そしてホワイト家は、正式にセレニティからの独立とレヴェリーへの臣従を宣言した。もう後には退けない。


 私は、レヴェリー王家から依頼のあった魔法薬を次々とホワイト領の兄に発注した。そして納品された魔法薬をチェックする。品質の確認も商会の仕事だ。


 今までの戦争でレヴェリーは、魔法で優勢に立つセレニティに、武力と交渉力で対抗してきた。戦況は我々が真っ先に寝返ったことで、混迷を極めた。


 もともと目立ちたがりのジェラルド王子がセレニティの議会の反対を押し切って始めた戦争である。うちと同じように、戦争に不満を持つ者が、他の貴族にもいた。騎士や兵士も十分に集められず、兵站も行き届かなかった。次第にセレニティ側の部隊は士気が下がっていったという。


 シャーロットの実家が作る魔法薬も、薬草を廉価なものに替えたため、効き目が落ちているそうだ。結局、救護を聖教会の光魔法に頼らざるを得なかった。


「エレン、この薬も増産してほしい。各部隊に配備したい」


 戦況が佳境に入ってきた頃、イライジャが私の商会を訪ねてきた。


「この薬――以前仰っていた万能薬ですね。それを三千個ですか。延命草の備蓄は足りると思いますが、最後の光魔法はどうするんです? 以前も申し上げましたが、兄の工場に光魔法を扱える者はいないですよ」


「仕上げは私が一人で行う」


「えっ?」


「やはり、セレニティに対抗するには、この薬は必要だ。君たちはできるところまで加工してくれればいい」


「今の戦況はレヴェリーが優勢と聞きます。セレニティが白旗を上げるのは時間の問題でしょう。どうしてそこまでされるのですか?」


「騎士たち、兵士たち、一人一人に家族がいる。僕は一人だって欠けてほしくはないんだ。それに戦争が長引けば、第三国からさらなる侵略を受ける可能性もある。王族に名を連ねる者としてできる限りのことをしたい」


「イライジャさま……」


 イライジャの話を聞いて、自分が情けなくなった。光魔法は目の前の一人を救えても、多くの場合、それは根本的な解決にはならない。だから、私は光魔法を使うことを避けてきた。けれど、イライジャは違う。光魔法を使ってより多くの人を助けようとしている。その志がとても崇高だと思った。


「実は今まで黙っていたのですが、私も少しばかり光魔法の適性があります。聖教会に入れられるのが嫌で黙っていました。私もお手伝いします」


「本当か、エレン! それは心強い」


 発注した三千個の薬は、順次納品された。私たちは届いた薬剤に光魔法をかけ、前線の部隊から順に届けた。


「君にこれだけの力があったとは……。大聖堂に行けば、筆頭聖女にもなれただろうに。そんなに聖教会が嫌だったのか?」


「大聖堂は修行と称し、危険が及ぶ場所にも聖女を派遣します。一見、光魔法は万能のように見えても、一人ずつ癒していかなければなりません。際限がないのです。私にはそれが搾取のように思えました」


「確かにそうかもしれんな」


「しかしイライジャさまの開発した魔法薬は、私たちが現地に赴かなくても、こうして部隊に備蓄して必要な時に使用することができます。しかも私たち術者は一日に仕上げる量を無理のない範囲内で調整できる。これこそが、光魔法の本来あるべき使い方だと思うんです」


「そこまで褒めてもらえるとうれしいよ」


 三千個の薬が部隊に行き届いてから、前線で報告される死傷者の数が明らかに減った。それから間もなく、セレニティは白旗を上げ、国土の一部をレヴェリーに譲り渡すことで終戦となった。


 セレニティではジェラルド王子が敗戦の責任を取り、廃嫡になった。シャーロットの実家も国に粗悪な魔法薬を売りつけたとして、お取り潰しが決まった。


 廃嫡に伴いジェラルド王子とベアトリスの婚約も晴れて破棄されたが、ベアトリスはすぐに、第二王子であるアルフレッド殿下と婚約した。きっとこれからも、あの聖教会がセレニティ王国を陰ながら牛耳っていくのだろう。


 私はというと、レヴェリーの学校を卒業し、魔法薬の販売も軌道に乗った。すっかり商会の女主人だ。イライジャの魔法薬研究にも出資して、薬の企画、開発にも携わるようになった。


 最近、光魔法を魔法薬の製造工程に上手く組み込むと、その効力が一気に高まることが分かった。二人で興奮して、いろいろな魔法薬に光魔法を組み入れた。


「この前売り出した目薬、老眼に効くって大評判なんですよ。最後に光魔法をかけたら、効果が上がったみたいで」


「それはよかった」


「イライジャさまのおかげです。今度、北の辺境伯さまから、万能薬を備蓄用として発注したいと連絡がありました。この時期の辺境伯領では、白木蓮が見頃だと聞いたので赴くのが楽しみです」


 私は目を輝かせながら言った。


「エレン、君はこの国が好きかい?」


「ええ、とても。思い返すとセレニティって、ひどい国でしたから」


「君たちは搾取される側だったからな。でもレヴェリーも少し道を間違えるとセレニティのようになりかねない」


「いいえ、この国にはイライジャさまがいらっしゃいます」


「うれしいことを言ってくれるね、エレン。でも君がいたから、僕は自分の信念を貫き通すことができたと思う。本当に感謝している」


「イライジャさま……」


「エレン……僕は君のことが好きだ。結婚を前提に交際してもらえないだろうか?」


 私はイライジャの金色の瞳に見つめられ、顔が熱くなるのを感じながら、こくりとうなずいた。すかさずイライジャが私の頬に優しくキスを落とした。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~

拝啓 作者さま


ご助言ありがとうございました。


「完全に自分好みの小説をご所望であれば、ご自身で執筆されたらいかがですか?」

――とのことでしたので、僭越ながら、エレンの人生を私好みに書き換えさせていただきました。


聖女として搾取される道は正義ではありません。

俺様王子の溺愛は、はた迷惑なだけです。

虐げられることに耐えるより、正当な対価を受け取る仕組み作りが大切です。


おかげさまで、私は今、とても幸せです。


ドアマット聖女ヒロイン役は永久にお断りいたします。


エレン・ホワイト

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

最後まで読んで頂きありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
貴族令嬢が「うちの国」って、下町みたいな言葉使うかなぁ……? 「ちょっといいですか?」も少しよろしいでしょうか?とか……? 私が思う貴族の令嬢の言葉遣いではなかったので、そこがとても引っかかりました。
作者「ぐぬぬ」 まあ、読者にとって作者は一人だけれど、作者にとって読者は複数いるので、強めのお気持ちが続いてイラッときて、ついついやっちゃったのかもしれませんね。その結果として解釈違いをぶん投げられ…
いやほんとにとんでもない作者さんいらっしゃいますよねwwやんわりと表現なのにびっくりするぐらい攻撃的な内容返って来たことあってリアルで嫌いな人をヒロインにしてるんだなって理解しましたww
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