遠回りが近道だ
アルベルトの目がすぅっと細められた。
父親としての驚きと、代官としての計算が同時に動いている顔だ。
「乗馬、そして『身体強化』……か」
否定ではない。事実確認だ。
俺はこくりと頷く。
「はい。最初はただ馬に乗りたい一心でした。でも、それなら『身体強化』ができた方がいいという話になり、それも含めてお父様とお母様に許可を取れ……リゼ先生にそう言われました」
アルベルトは俺を見据えながら考え込んでいる。
その横で、エレオノーラが不安そうに口を開いた。
「でも……危険なんじゃないかしら。『身体強化』の習得は騎士家の人間としては、確かに必要なことだけど……」
エレオノーラの目にあるのは純粋な心配だ。
俺はまだ『身体強化』については本で読んだ知識しかない。
全ての補助魔法の基礎らしいが……やはり負担はあるか。
「その通りだ。まずは通常の鍛錬で体を鍛えて、そのあとに習得していく魔法が『身体強化』となる」
アルベルトが言葉を引き継ぐ。
体作りが先、魔法は後。それはリゼに聞いていた通り。
「騎士家の人間として評価に直結する魔法でもあるしな。それは男であれ女であれ、だ。しかし、今のリーネの体では……」
アルベルトは眉をひそめて、それから結論を出した。
「習得は難しいと言わざるを得ない。これは父としてではなく、騎士としての見解だ」
あっけなく却下! これはいつもの娘大好き過保護パパではない。現場を知るプロとしての判断だ。
となれば、ぐうの音も出ない。参ったなこれは。
「お父様……どうしても駄目でしょうか?」
「現状では、許可できるものではない。」
娘のお願い攻勢も不発か。
となると、地道に体作りから始めるしかない。
冷静になれば焦る必要もない。それなら地道に――と考えていたその時、扉がノックされた。
「失礼します」
それはリゼだった。
相変わらず無表情だが、雇い主の前ではさらに強固な仮面を被っているかのようだ。
でも、許可を取るための協力を頼んだ覚えはなかったけどな。
何か気になることでもあるのだろうか?
「ちょうどいい。娘が乗馬を望んでいる。身体強化も学びたいと言うが、お前の意見を聞きたい」
アルベルトが即座に水を向ける。
リゼは一度だけ俺に視線を流し、すぐに雇い主へと向き直った。
「リーネお嬢様のお体では、危惧される通りのことが起きるでしょう」
ダメ押しされた。
……と思いきや、彼女は言葉を継ぐ。
「しかし、その集中力には非凡な才を感じます。その芽を伸ばさないのは、損失に成り得ると愚考する次第です」
ナイス、リゼ先生!
その集中力は精神操作というズルをしているだけだが、評価されるなら儲けものだ。
「まさか、リーネが……それは本当か?」
「はい。実際に稽古を見ていて感じたことです。体作りの優先に変わりはありませんが、その才覚を鍛えるという意味で、『身体強化』の習得を同時並行で行う意味はあるかと存じます」
アルベルトの瞳に驚きが混じる。
彼は俺とリゼを交互に見定め、数秒の沈黙の後、決断を下した。
「いいだろう……ただし、条件を付ける」
許可が下りた!
だが、タダではないらしい。
「第一に、リゼの監督下のみで行うこと。自己流は禁止だ」
即座に頷く。
剣の稽古ですでに痛感している。自己流にろくなことはない。
「第二に、進捗が見られない場合は中止する。焦りは怪我を呼ぶだけだ」
これも正論だ。
俺のズルを才能と勘違いしたからこその許可だ。結果が出なければ止められるのは当然だな。
「第三に、無理だと思ったら即やめる。自分で限界をねじ曲げないことだ。これはリゼの目から厳しく見定めさせる」
これも認めるしかない。
クララから報告がいっていたのかもしれないな。心配されながら体を動かしていたのは事実だ。
「これらを条件とする。良いな、リーネ?」
「お認めいただき、感謝いたします。決して条件を破らないことをお約束します」
素直に頭を下げる。
これは親子を超えた、家中としての契約に近い。
頭を上げると、アルベルトが真っ直ぐに俺を見つめていた。
「リーネ。私たちは、お前を止めたいわけではない」
エレオノーラの声が重なる。
「あなたが前を向いてくれるのは、本当に嬉しい。でも、怖さもあるのよ……。だけど、今まで過保護に過ぎた……というのも理解しているわ」
その声には震えが混じっている。
良かれと思ってやったことが空回りしていた。その反省を娘に伝えるのは、親として勇気がいることだろう。
――本物のリーネならどう答える?
一瞬そんなことを思うが、愚問だ。
この変化は俺が作り出したもので、リーネはこの世界には存在しない。
なら、俺の言葉で両親に伝えるべきだ。例えそれが、嘘に塗れた事実であっても。
「お母様……過ぎたことは良いのです。見るべきは今であり、未来なのですから。お父様。許可してくださり感謝します。そして、約束を順守することを誓います」
偽物だとしても……いや、偽物だからこそ言うべき言葉がある。
本当の意味で『今』を変えるなら、リーネという『俺』をここで定義する。
いつまでも病弱お嬢様ってのは、やり辛いからな。
「リーネ……」
エレオノーラが涙ぐみ、手で両目を覆った。
アルベルトはどこかスッキリとした表情になり――そして、苦笑した。
「これで話は終わりだな? だが、リーネのそのような言葉使いは嬉しくもあり悲しくもある。特別な理由がないのなら、いつもの話し方に戻してはくれないか?」
おっと! クソ真面目に話し過ぎたか。とはいえ必要なことだったからしょうがない。
色々と理屈は捏ねたが、結局のところ、俺のロールは決まっている。
今後も可愛いお嬢様を続けることに変わりはない。そこだけは自覚が必要だ。
「分かった。何もない時はそうする。これでいいんでしょ? お父様! お母様!」
二人の顔が一気に崩れ、温かい笑みが広がる。
ホームドラマのような団欒。
家族のわだかまりが解けて、大変結構!
「それでは鍛錬についてはリゼに一任する。後は任せたぞ」
場所は移って、俺の自室。
ここからはリゼとのマンツーマン指導、実技研修の時間だ。
「まずは身体強化の基礎と体の硬さを解すところから始めます。乗馬はその後、いいですね?」
「分かりました」
遠回りだが仕方ない。
それに『身体強化』は、今後何をするにも必須の技術になるだろうからな。
「最初に知っておいて貰いたいことがあります。『身体強化』は力を増やす魔法ではありません」
「ではどのような魔法なのでしょうか?」
本にはパワーアップ系っぽく書かれていたが、どうやら違うらしい。
「人によって違いがあるのですが、私の感じ方で話します。言うなれば正しく通す魔法……とでも言いましょうか。魔力については知覚できていますか?」
「はい。体の中に何とも言い難い力のような何か……それがあることは理解しています」
「それなら話が早い。その力を全身に張り巡らせ、循環させることで発動できます」
リゼが右手をすっと前に突き出した。
「これが『身体強化』です。私の腕を横から押してみて下さい」
「はい。……これは」
ビクともしない。
いや、動かすことはできるが、重い。
女の細腕なのに、丸太のような重量感がある。
「骨の形、筋の流れ、呼吸のリズム。そこに魔力を合わせることで、重さと硬さを作ることができる。そのまま押し続けてください。今、魔力を抜きます」
「あっ、軽くなった」
ふっ、と抵抗が消えた。
先ほどまでの重さが嘘のように、リゼの腕は簡単に動く。
「まずは腕だけでいいので、同じことをできるようになって貰います。それをだんだんと全身へと拡張するのです」
なるほど、これが『身体強化』か。
魔力の循環が重要ときた。確かに自己流でマスターするのは難しそうだ。
「午前は勉学、午後が鍛錬となれば夕食後に時間を作り、そこで訓練するのがいいでしょう。自由な時間がほぼ消え去ることになりますが、よろしいですか?」
リゼが覚悟を問うてくるが、俺は内心で笑った。まるで問題なし!
どうせこの世界にネットもゲームもない。だから自由時間なんて最低限で十分だ。
それに、自分のスペックが上がり続ける魔法の訓練だろ? むしろレベル上げみたいで、こっちの方が娯楽と言える。
「大丈夫です。ご指導お願いします」
「よろしい。では始めましょう。まずは――」
こうして、乗馬への道は『身体強化』習得という新たな課題へと接続された。
遠回りこそ近道だ! ここはポジティブに考えるほうが建設的と言える。
家族の絆が深まったのは、リーネとして生きていく上でも良いことだしね。
こうなれば、是が非でも『身体強化』を習得してやる! お馬さんは、それまでお預けだ!




