乗馬と身体強化
リゼが屋敷に乗り入れてきたあの日から、俺の思考はどうしてもそこへ吸い寄せられてしまう。
剣の稽古中だというのに、集中力が散漫になってしまう。
乾いた蹄の音。揺れる筋肉。圧倒的な生命力。
恐らくは、この世界における最速の移動手段。あれを使いこなせるかどうかで、今後の行動範囲は桁違いに変わる。
馬は移動のための動物だけではなく、一種のステータスにして騎士の証明! 最高級の財産として数えることもできる。
そして馬と言えば騎兵! とある戦争映画を見てから、騎兵突撃のようなことをしたいとずっと思っていた。
まさに男の浪漫の一つ! だが、この世界でなら、それが叶うかもしれない!
もちろん簡単なことではない。この貧弱な体で乗馬をするのは、あまりにもリスクがあることは理解できる。
だが、その背中に跨がりたいという衝動は、恐怖を遥かに上回っているのだ!
俺は素振りの手を止め、呼吸を整えてから口を開いた。
「馬に乗ってみたいです」
稽古終わりのタイミングを見計らい、リゼに切り出す。
あくまで純粋な好奇心を装って。
「代官家の人間として、乗馬は必須技能です。しかし――」
リゼは俺の体を頭から足先まで、まるで品定めするようにじっくりと眺めた。
その目は冷徹だ。
「今のリーネ様では、あまりにも危険です」
即座に却下された。まあ、そうだろうな。
「手順が必要です。もし落馬すればただでは済みません。下手な落ち方をすれば手足が折れます」
折れる、か。
自分の腕を見る。白くて細い、見るからに頼りのない腕だ。
確かにそうだ。数百キロの質量制御に失敗してひどい落馬をしたならば、簡単にポキっといってしまうだろう。
だが、それしきで引くほど淡白な感情じゃない。
男の浪漫の前には、押し通らねばならないことだってあるのだ!
「では、どうすれば乗れるようになりますか?」
諦めるという選択肢は提示せず、どうすれば可能かを問う。
上目遣いで、少しだけ熱意を込めて。
この教えを請う姿勢を見せられれば、教師役のリゼも無下にはできないはずだ。
リゼは顎に手を当て、少し考え込んでから妥協案を出してきた。
「まずは相乗りで様子を見ましょう」
よし、第一段階クリア。
しばらくして、リゼが自分の馬の手綱を持って引いて来た。
クララが後ろでハラハラしているが、リゼというプロが監督する以上、大事故の確率は低い。
俺はリゼに抱えられるように相乗りし、馬上の人となった。
「訓練場を一周だけです。この子は賢いですが、絶対はありません。指示には従うこと、いいですね?」
「分かりました。お願いします、リゼ先生」
殊勝に頷き、馬が歩き出す。その瞬間、視界が一変した。
歩く程度の速さとはいえその臨場感は凄まじい。
股下に伝わる筋肉の躍動。生き物特有の温かさと、不確定な揺れ。不安定だが、不思議と怖くはない。頬を撫でる風が心地いい。
徒歩では味わえないスピードと、世界を見下ろす視界。
ああ、これだ。
今の俺に必要なのは、この感覚だ。
脳髄が痺れるような高揚感。やはり、これは手に入れるべき力の一つだ。
一周はあっという間に終わった。
地面に降りると、足元がフワフワする。三半規管がまだ適応できていないらしい。
夢から覚めたような喪失感がある。
「ありがとうございました。……すごく、楽しかったです」
「平常心は保てていたようですね。筋は悪くない、と評価しておきましょう」
いつもは堅物のリゼから、珍しく合格点が出た。
だが、俺の狙いは体験じゃなくて習得だ。
この高揚感を、ただの思い出にしてたまるか。
ここからが本題になる。
「できるなら、一人で乗ってみたいです」
「今のリーネ様は華奢なだけでなく、体に硬さがあります。それでは当然許可できません」
正論だ。この貧弱もやしボディでは危険というのは、最初に話した通りだからな。
さらには硬さと来たか……確かに言うほど柔軟じゃないんだよな、この体って。
となると、体を柔らかくしつつも、さらに別のアプローチで解決するしかないだろう。
元より考えていたことでもあるしな。
「それなら――魔法による補助があれば、どうでしょうか? 例えば『身体強化』のような」
切り出した瞬間、リゼの眉がピクリと動いた。
反応があるってことは、指導要領の中に入っていたのかもしれない。魔法のある世界で武器を使うなら、強化魔法との併用は基本のキのはずだからな。
フィジカルの弱さを補い、長所を伸ばせる。『身体強化』とはかなり重要な魔法ということはすでに学んでいる。
これさえ習得できれば乗馬だけでなく、あらゆる物理的危機に対する保険になる。
もし乗馬が断られても、こっちを教えて貰えればおつりが来るってもんだ。
「……魔法強度にもよりますが、使えるのなら許可は出しやすくはなります。私も、ご両親も」
やっぱりな、『身体強化』は重要だ。使えるだけであらゆるハードルを下げる、まさに魔法の手段だ。
「ですが、リーネ様は『身体強化』を使えるようには見えません。集中力は並外れていますが、それだけです」
俺の精神操作を見抜いていたのか、凄いな……。
そうであるなら、やはりリゼに師事するのは正解だろう。
『身体強化』についても、詳しく教えてくれるはずだ。
「剣を扱うにも必要な魔法なのでしょう? 教えてください! お願いします!」
俺は深々と頭を下げた。
金を支払っているのだから――と、いうような考えを持ってはならない。ここは誠意をもって懇願する場面だ。
この行動は予想外だったのか、リゼは黙り込み沈黙が周囲を支配する。
「まずは体を鍛えるのが先なのですが……では、こうしましょう。まずご両親に願い出てください」
その言葉を聞いて顔を上げると、リゼは一瞬だけ困った顔を見せていた。
しかし、すぐにいつも通りの無表情に戻り、話を続ける。
「許可が出たら『身体強化』を教えますし、体作りが終われば乗馬の訓練もします。勝手な判断で怪我人を増やすのは、私の仕事ではありませんから」
条件としては、それが一番だろうな。
流石に乗馬は剣の稽古の範疇を越えている。許可を取るのは当然だ。
「分かりました。許可をいただいてきます」
「よろしい」
リゼは愛馬の首を優しく撫でる。
その人と獣の信頼関係を目の当たりにして、俺の胸に熱いものがこみ上げる。
言質は取ったぞ。あとは両親へのプレゼンを通すだけだ。
訓練が終わっての休憩時間。
自室に戻る際のドアノブに手を掛けたときに、ふと自分の手を見た。
白い指先、爪の間に砂が入り込んでいる。
馬の身体に触れた時の埃と、手綱の革の匂いが微かに残っている。
深窓の令嬢にあるまじき汚れだが、それこそが今を脱却しようとする意思がもたらした成果でもある。
ただ守られるだけのお人形ではないことを証明する。それが自由への第一歩だ。
両親への説得がどうなるかは未知数だが……勝算はある。
リゼも言っていたように代官家の人間なら、乗馬はできて当然だからな。むしろ習得できるならしてほしいと思うはずだ。
夕食の時間。
温かなスープの香りが漂う食堂という名の会議室で、俺はタイミングを見計らって口を開いた。
ターゲットは父様と母様。この家の最高決定権者たちだ。
「お父様、お母様。お願いがあります」
「どうしたんだい、リーネ? 改まって」
「できることなら叶えてあげたいけど、なあに?」
二人の視線が集まる。
そこにあるのは純粋な愛情だ。今でこそマシになったが、最初は壊れ物を扱うような対応を俺にしていた。
だからこそ、伝え方には細心の注意を払う。感情論ではなく、未来への投資として話せば許可も取りやすいはずだ。
姿勢を正し、真剣な眼差しで――かつ、娘としての愛らしさを最大限に利用して告げた。
「乗馬を習得したいのです。つきましては、そのための基礎として――リゼ先生から『身体強化』の魔法を教わる許可をください」




