剣の家庭教師
扉の向こうに立っていた女剣士は若かった。
だが、愛想笑いの一つもない。背筋は棒が入っているかのように伸び、目線は刃物のように鋭い。
一瞬で空気がピリッと締まった感じがする。
俺は反射的に背筋を正した。
社会人としての習性か、小心者マインドかは分からない。
ただ一つ分かるのは、この人の前では猫背になれないということだ。
「リゼ・アイゼンヴァルトと申します。今日から剣のご指導を任されました」
名乗りの声は澄んでいた。渓流の水のように冷たく、余計な温度がない。
しかし、そんな空気感とは裏腹に男としての本能が彼女を分析すると、可愛い子だなというのが一番の感想となる。
艶のある黒髪を高い位置でポニーテールに結い上げている。瞳は澄んだ湖のような蒼で、肌は白く、化粧っ気はない。
そして年齢は二十歳になるかならないか、といったところか。
いくら鋭利な雰囲気があろうとも、俺の感覚からすれば小娘だ。
とはいえ腰に下げた剣を見れば、そこに違和感はない。
……悪くない。精神操作を使える俺にとっては、限界まで指導してくれる教師が好ましいからな。こういう刃物みたいな人のほうが気が楽だ。
「リーネです。よろしくお願いします」
挨拶を済ませて、まずはアルベルトの書斎へ行く。
アルベルトは俺とリゼが上手く顔合わせできたと見て安堵しているようだ。
ただしそれは一瞬だけ、代官としての威厳のある顔に戻して切り出した。
「娘は体が弱い。以前よりは良くなったが、それでも強くはない。無理はさせないでやってくれ」
リゼは頷いた。
「承知しました。ですが剣は身体に嘘をつきません。嘘をつけば怪我をします」
雇い主に言い切りやがった! だが、それがいい。
俺は内心でニヤリとした。こちらのお嬢様事情なんて知ったことか、というスタンスだ。
「それでいい。アイゼンヴァルト家を信頼している。私から言うべきことはそれだけだ」
アルベルトの返答は思いのほかあっさりしていた。
リゼもそれを理解した上で、表情一つ変えない。肝が据わっている。
場所を移し、俺たちは訓練場の砂地の上にいた。
リゼは無言で砂を靴先で撫でた。たったそれだけで、場の空気が彼女のものになる。
「木剣を」
短い指示。
俺は木剣を手に取った。まだ重さを感じるが、慣れてきたのもまた事実。
リゼは俺の構えを見て、わずかに眉が動いた。
「振ってみて下さい。それを見て判断します」
言われるままに素振りをする。
何度かすると静止が入った。
「癖があります」
初手から容赦がない。
とはいえ想定済み。自己流だから当然だ。
「腕で振っています。腕力に頼る癖です。体捌きが死んでいる」
意識の上では胸筋を使って落とす振り方を心掛けていた。だけど、それでは駄目ということらしい。
「もう一度。重心は下腹にあります。最初からできる必要はありません。しかし意識だけはするのです。そして足は砂に吸われないでください」
そうそう、これこれ! こういう指導が欲しかった。外から見て貰えるのは実にありがたい。
息を吸い、呼吸を整える。そして魔法を使おう――と思って、止めた。
心の中で集中と唱えれば、一発で理想的な精神状態を作れる。
でも、今はズルをしたくない。この冷徹な黒髪美人の前で、変な小細工は見せたくなかった。
振る。何度でも振る。体の動きを最適化するために振る。
リゼの鋭い蒼眼が、木剣の切っ先を追う。ただの棒切れなのに、真剣の刃を見るような目だ。
俺が振り終えるより早く、彼女が言った。
「今のは良いです。ですが続きません」
「続かない? どういうこと?」
「続け方が分かっていない。勢いで一発当てるだけの剣です。積む剣になっていません」
真面目で堅い言葉だ。だが、妙に腑に落ちる。
確かに素振り一回一回に意識を集中していた。でもそれでは駄目だということ。
体に力が入り過ぎていたかな? それを抜けということだろう。
「遊びでは伸びません。しかし、気負い過ぎても伸びないのです」
リゼは淡々と続けた。
「強くなりたいなら、私の型に合わせてください。合わせられないなら、やめるべきです」
そこでリゼは腰に下げていた剣を鞘から抜き、何度か素振りを行う。
それを見て思った――彼女が綺麗な女性だからとか、そういう理由じゃない。その体捌きが美しい。
「どうですか? できますか?」
選択を突きつけられ、胸の奥がカッと熱くなった。
「できます!」
即答だった。そしてカッコつけるのは止めにする。
ここは魔法を使う時だ。口の中で集中とつぶやき、精神のギアを一段階上げる。
だけど、意識するのは力の入れ方ではなく、力の抜き方だ。
俺は勘違いをしていた。限界まで体をいじめ抜く必要はない。数をこなすための力の抜き加減こそが、今は重要なんだ。
リゼは一拍だけ俺を見て、無表情のまま頷いた。
「なら、最初からです」
最初から……最高じゃないか!
この一週間でしてきたことは全て忘れる。その代わりにリゼの指導を全て受け入れる。
間違いを素直に認めること。それこそが真の知性であるという哲学が俺にはある。今はその考えに素直に従うべきだ。
それからの日々は、ストイックな修行編のダイジェストみたいに過ぎていった。
午前は机に向かって座学。午後は砂地で泥臭く基礎練習。夜は泥のように眠る。
そんな生活を送るある夕食の時、アルベルトは心配そうに声を掛けてきた。
「無理はするな」
エレオノーラも同じ顔だ。
「頑張りすぎなくていいのよ」
俺は首を傾げた。無理なんてしていない。楽しいだけだ。
いや、正直に言えば……精神魔法で苦痛を爽快感や達成感に上書き保存しているのも事実だ。
筋肉痛は結構辛い。リゼの指導によって効率よく体を動かせるようになったけど、それによって使う筋肉の種類が増えたからなおのことだ。
でも、止める気はない。本来、俺は怠け者で、三日坊主のプロだ。
だからこそ、精神操作魔法というチートを使って、自分の脳みそを騙し続けている。キツいを気持ちいいに変換して、無理やりモチベーションを維持している。
でも……客観的に見ると、それってちょっとヤバいのかもしれないな。
努力というのは本来、波があるものだ。調子のいい日もあれば、サボりたい日もある。
波のない一直線の努力なんて、いつかプツンと切れて終わるだけだ。
俺は自分の掌を見つめた。
別に手の先から出すような魔法じゃない。だけど、なぜか魔法の感触が指先に残っている。便利で、面白くて、つい頼ってしまう劇薬。
だが、魔法がないと努力できないのは、さすがに不健全すぎる。
少し感度を落とそう。サボるんじゃない、自然に戻すんだ。
やる気がない日は、やる気がない自分を許してやる。その上で、少しだけ魔法を使って活入れして剣を振る。
ズルは止めない。ただし、完全に精神操作に頼り切るようなことはしない。ジャンキーになるのはごめんだ。
クララも変わった。
心配そうな顔を隠さなくなった。眉を寄せ、口元で言葉を迷う。
だが、止める手は伸ばしてこない。代わりにサポートが手厚くなった。冷たい水、乾いたタオル、夜の清めの時間がより丁寧に。
支えるってのはこういうことか。鎖で縛るんじゃなく、足場を固めること。
足場があるから、怖いことにも手が伸びる。
リゼは相変わらず堅物だった。
褒めない。否定もしない。出来たら次、出来なければ最初から。
たまに、目がほんの少し細くなる瞬間がある。たぶんそれが彼女の褒め言葉だ。
俺はそのレアな表情見たさに、必死で木剣を振る。振るたびに汗が飛び散り、借り物だったこの身体が、本当に自分のものになっていく気がした。
その日も、訓練の時間が近づいていた。
俺は廊下の窓から外を眺めていた。一度実家に戻り準備をするらしいが、いつリゼはこの屋敷に来るのか?
白い砂地。眩しい日差し。リゼの到着を待つ。
擬音にするのなら、パカパカ――と、蹄の音がした。規則正しいリズム。
窓の外に、リゼがいた。ただし馬上だ。
見事な栗毛の馬に跨がり、背筋を伸ばしたまま、当然のように屋敷の門をくぐってくる。
揺れる黒いポニーテールが、馬のたてがみと重なって見えた。あまりにも絵になりすぎていて、映画のワンシーンを切り取ったかのような錯覚があった。
俺はポカンと口を開けた。
綺麗とか格好いいとか、そんな言葉より先に、胸の奥で何かが跳ねた。
あれに乗れたら――視界が高くなるだろうな。風を切るのは気持ちいいだろうな。
そう思った瞬間、俺の中で次のターゲットがロックオンされる。
乗馬――男の浪漫を満たすにはちょうどいい目標だ。




