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リーネの冒険~異世界の女の子と入れ替わった俺のTS娘生活~  作者: RCAS


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2/20

日記との齟齬

 キィ、と重厚な蝶番が鳴き、扉が開かれた。

 現れたのは、絵に描いたようなメイド服の女だった。


 ふっくらとした顔立ちに、目尻の下がった穏やかな瞳。お姉さんとおばさんの中間くらいの女性。

 これがクララか。日記の記述から勝手に冷徹な看守を想像していたが、実物はどう見ても善良な侍女だ。

 ――いや、油断はできない。ニコニコしながら毒を盛るタイプかもしれない。


「おはようございます、リーネお嬢様」


 お辞儀の角度が綺麗だ。プロの仕事だ。

 俺はベッドの上で身構えつつ、挨拶を返す。

 とりあえず顎を引いて、お嬢様っぽいすまし顔を作ってみる。これでいいかな?

 正解は知らないが、黙って微笑んでおけばボロは出ないはずだ。


「……おはよう、クララ」


 クララは俺の返事を聞くと、ほっとしたように表情を緩めた。

 ということは、この対応は正解ってことだ。


「お顔色がよろしいようで安心いたしました。さあ、お顔を拭きましょうね」


 有無を言わせぬ手際で、湯気を立てるタオルが差し出される。

 俺は大人しく言われるままにじっとする。

 温かい布が顔に当たり。ふわり、と高級な石鹸の香りが鼻腔を満たす。


 暖かくて気持ちがいい。こんなことになって、やっと安心できる温度に触れたような気がする。

 にしてもだ。頬の肉や皮が薄いのか? 顔を拭かれるだけで肌が敏感に反応しているのを自覚する。

 さらにはこの女の顔で、髭の剃り残しなどがないからな。髭の突っかかりがないからかなり快適だ。完全脱毛したらこんな感じになるのかな?

 

 ――なんだこれ。気持ちいい。

 顔を拭かれているだけなのに妙な中毒性がある。ずっとこうしていたい。


「さっぱりなさいましたか?」


 拭き終わると、クララが慈母のような微笑みを向けてくる。

 この体は十代前半から半ばくらいであるはずなのに、これでは完全に幼児に対する扱いだ。


「……うん。すっきりした」

「それは何よりでございます。旦那様も奥様もお待ちですよ」


 旦那様と奥様。つまり両親だ。

 『魂交換』なんて劇薬に手を出した娘の家庭だ。どうせ機能不全家族だろう。

 冷徹で無関心な父と、ヒステリックで過干渉な母。飛び交う罵声と、冷たい視線。

 そんな昼ドラじみた鬱展開のカットシーンを想像して、俺は腹に力を入れた。いや、腹筋がないから力が入らないが、気合だけは入れた。


「朝食の前にお薬を。今日は苦味が少ない方をご用意しましたからね」


 思考を遮るように、クララが小瓶を差し出す。

 日記に書いてあった薬のことか? 苦くて嫌だとかなんだとあったけど……しかし、虚弱だが病気の記述はなかったんだよな。

 見れば中身はドス黒い液体だ。見た目だけなら魔女の婆さんが鍋で作る、原材料不明の薬品と言われても信じてしまうような色合いをしている。

 正直飲みたくはないが……別に死ぬわけではない。過度に拒否して怪しまれるほうが厄介か。

 俺は匂いを嗅ぎ――ハーブ系の薬草の匂いだ――意を決して口に含んだ。


 ……苦い。が、甘味を足して苦味をごまかそうとする工夫がされているのが分かる。

 確かにまずいが、眉を寄せるほどでもない。薬なんてこんなものだ。

 前世の付き合いで飲まされたクソまずい青汁や、罰ゲームのゲロマズドリンクに比べれば、余裕で飲める。

 そうして平然と空の瓶を返した。


 すると――クララが目を丸くし、両手を合わせて感動に打ち震えたのだ。


「まあ……! すごい! リーネお嬢様、お水なしで飲めましたのね!」


 は?

 思わず顔を見返した。

 まるで、初めておつかいができた幼児を褒めるようなテンションだ。

 頭を撫でられそうな勢いである。過保護が過ぎるだろ。


 だが、分かったことがある。

 この身体は、この程度の苦みで泣き言を言い、全力で拒否するほど、痛覚や味覚が敏感だったのだ。

 そして俺は、その繊細さをねじ伏せるほど図太い。いくら苦手でも我慢すれば大抵のものは食えるし飲めるからな。


「ではお着替えを。今日は可愛いリボンのついたドレスにしましょうね」


 まるで子供に戻ったかのようで、羞恥心を感じたが無視することにした。実際にこの体は子供だからな。

 というか女物の服を着せられる方が恥ずかしいが、それも我慢だ。されるがままに、フリルのついたドレスに袖を通される。

 絹の感触が、敏感な肌を滑っていく。いちいち背中がゾクゾクする。

 コルセット……というほどきつくはないが、腰回りを締め付ける布の感覚が、俺のくびれを強調する。


 鏡を見れば、そこには完璧な貴族令嬢が完成していた。

 中身は昨晩の焼き鳥の味が忘れられないおっさんなのに。見た目だけなら完璧だ。

 そのあとは髪の手入れだったりとクララが支度を続けるが、終わるまでじっと待つ。


 支度が終われば朝食で、それは別室で行うとのこと。

 長い廊下を歩くが、これがまた重労働だ。体の感覚に慣れていないからバランスを取るのに全神経を集中させなくてはならない。

 歩幅が狭い。いつもの感覚で足を踏み出すと、スカートの裾を踏みそうになる。

 靴はヒールのないフラットなものだが、それでも足首がぐらつく。一挙手一投足がいちいち面倒くさい。


 だが、廊下の雰囲気は日記からくるイメージとはまるで異なっていた。

 窓から差し込む光は明るく、掃除は行き届いている。庭からは鳥のさえずりさえ聞こえた。

 陰湿な牢獄の雰囲気は微塵もない。むしろ、高級リゾートホテルのような静謐さだ。


 目的地に到着して、クララが食堂への扉を開く。

 そこには理想的な貴族夫婦が鎮座していた。


 上座に座るのが父だろう。広い肩幅と、剣だこのように分厚い手を持つ、武人のような男だ。眉間に刻まれた皺が、厳格さを物語っている。

 その隣の席にいるのが母か。背筋がピンと伸び、座っているだけで絵画になるような美女だ。リーネの銀髪は母親譲りらしい。

 

 リーネの両親を見て俺は息を呑んだ。

 何がその口から出てくる? 罵倒か? 失敗作という冷たい言葉か? それとも無視か?

 しかし。二人が俺に向けたのは、蕩けるような安堵の表情だった。


「おはよう、リーネ」


 父の声は、低音だが驚くほど優しい。

 厳格な顔が、だらしなく崩れている。目尻が下がっているのが遠目でも分かった。あの眉間の皺は、ただ娘を心配しすぎて刻まれたものと言われても信じてしまいそうだ。


「おはようございます、リーネ。今日は顔色が良くて安心したわ」


 母の声も穏やかだ。

 そこには、娘を腫れ物として扱う緊張感はあるが、悪意の片鱗はない。

 むしろ、高価なガラス細工を扱うような、慎重すぎる愛情が見える。


「……おはよう、ございます」


 拍子抜けだ。

 俺が勝手に脳内で構築していた悪役一家のイメージが、ガラガラと音を立てて崩れ去っていく。

 なんだこのホームドラマ。


 促されて席に着く。

 食卓には、消化に良さそうな野菜のスープや、白身魚のテリーヌ、柔らかい白パンが並ぶ。

 俺は小さなスプーンを握り、少しずつ口に運んだ。口が小さく喉も細い。だからガツガツ食べられないのだ。

 味は薄めで現代人には合わない。素材の味も微妙。貴族といってもこんなものか? 現代日本には遠く及ばないな。


「無理はするな。食べられる分だけでいい」


 スプーンが止まると、すかさず父が気遣わしげに言った。

 監視されている? いや、違う。見守られているのだ。


 食事中、兄たちの話題が出た。

 王都で近衛騎士として活躍する長男。近衛ではないが騎士団で頭角を現す次男。

 両親は誇らしげだ。


 なるほど、図式が見えてきた。

 優秀すぎる兄たち。病弱で、いつ壊れるか分からない役立たずの末っ子。

 リーネが日記に書いていた私は不要という言葉の正体がこれだ。

 あれは、誰かに言われたわけじゃない。この完璧に優しい世界の中で、兄たちと自分を比較し、勝手に劣等感を肥大化させた彼女自身の認知の歪みだったんだ。


 ここは牢獄じゃない。無菌室だ。

 外敵から守るための壁が、内側のリーネにとっては窒息しそうな、終わりのない壁に見えていただけだ。

 食事が終わり部屋に戻った俺は、クララが食後の茶を用意しに行った隙に、再び日記を開いた。

 今なら、冷静にこの日記を読み解ける。


 『私は邪魔』ではなく『申し訳ない』。

 『兄様は完璧』ではなく『自分が惨め』。

 『外に出たい』は、ただの『現状打破への願望』。


 読み解くほどに、リーネという少女の不器用さが浮き彫りになる。

 彼女は愛されていた。愛されすぎて、その重みに耐えきれず、自分から逃げ出したのだ。


「馬鹿なやつだな……」


 呟いた声が、湿っぽく響く。

 腹立たしい。これだけ恵まれた環境を捨てて、見ず知らずの俺と代わったなんて。

 金はある。地位もある。親の愛もある。足りないのは健康な肉体と、少しの図太さだけ。


 ふむ……これなら詰んではいない。なら試してみるか?

 俺は立ち上がった。そして華奢な足で床を踏みしめ、重いドレスを引きずり、扉へ向かう。

 廊下に出ると、窓の外に鮮やかな緑が見えた。

 外はすぐそこにある。なのに、リーネにとっては遥か彼方だった場所。


 俺は意を決して、父の書斎へ向かうために廊下を歩き出した。

 食堂からの帰りに良く観察していて助かった。書斎はリーネの部屋と食堂の中間にある。

 コツ、コツ、と小さな靴音が静寂を破る。角を曲がった先で、ちょうど部屋から出てきた父親と目が合った。

 彼は驚愕に目を見開いた。娘が一人で、ふらつきながらも歩いていることに動揺し、慌てて駆け寄ろうとする気配。


「リーネ!? どうした、具合でも……」


 俺はそれを、か細い手で制した。

 深呼吸を一回。肺に酸素を満たし、美少女の顔面に、長年の社会人生活で培った営業スマイルを貼り付けた。


「お父様。少し、お話があるの」


 さあ、交渉開始だ。

 この分厚すぎる過保護バリアを突破して、まずは庭の空気を吸わせてもらおうか。

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