冒険者になるために
屋敷の門をくぐった瞬間、改めて感じたことがある。
――ここが俺の家であり、帰るべき場所。
たった一年程度だが、すでに俺の心はそのように順応した。
整えられた庭。掃き清められた石畳。刈り込まれた生垣。
さっきまでいたグレインフォールのような、汗と獣と煙の混ざった濃さはどこにもない。
落ち着く……実に落ち着く。
だが、そう思ってしまうほどに、自由から遠ざかっていく。
第二の人生を歩むなら、自由に生きてみたい。
その願いを叶えるためには、この心地よい空間から離れなくてはならないのだ。
――夕食後、自然な流れで談話室へ移動した。
父のアルベルトは肘掛け椅子に深く腰を沈め、母のエレオノーラはソファの端に端正に座る。
リゼは少し離れた位置。壁を背に、静かに佇んでいる。
クララがお茶を置いて退出したことを皮切りに、話が始まった。
「グレインフォールはどうだった?」
アルベルトが口を開いた。
娘が何を見て、何を感じたか。
ただそれを知りたいという、親としての好奇心だろう。
「想像以上……自分の住む世界の狭さを思い知らされた」
もっと大きく広く物理的に高い世界を知っているが、それを言う必要はない。
あくまでもリーネが言うのにふさわしい感想を述べればいい。
「人も、物も、建物も、まるで桁違い。グレインフォールに比べたら屋敷の周りの村はおもちゃみたいなものだね」
「おもちゃ、ね」
エレオノーラが小さく繰り返す。
表情は柔らかいが、喜びだけではないものが混じっている気がした。
「外を見て……どう感じたの?」
その問いは、ただの問いではない。
もう俺の心が、この屋敷の外へ向かい始めていることを分かっているのか?
「それは……」
勢いだけで喋るわけにもいかない。言葉を選ぶ必要がある。
「屋敷の空気は落ち着くけど……狭い世界に生きて来たことを理解した。――理解してしまった」
アルベルトの目が、少しだけ細くなる。
エレオノーラの目が、少しだけ不安に揺れる。
深呼吸して、息を整える。
この人生の中においての、新たな両親。彼らを拒絶するわけじゃない。
それでも――言わずに済ませたら、たぶん俺はまた籠の中に逆戻りだ。
「だから、自分の力がどこまで通じるか試したい。世間知らずの小娘の我儘だと分かってはいるけどね」
ソファから立ち上がり、テーブルの前で、きちんと正面を向く。
リーネの身体に染みついた礼儀作法が、背筋を自然と伸ばしてくれる。
「冒険者をやってみたい」
室内に無音が満ちる。
アルベルトは真っすぐに俺を見て、エレオノーラは僅かに視線を外した。
「……冒険者。それがどういうことか分かっているの?」
エレオノーラが視線を戻して問いかける。声が僅かに揺れていた。
「その実態について、全部を理解しているとは言えない。でも……騎士崩れが冒険者になることもあるって聞いたよ。それなら私にも、挑む余地があるんじゃないかって思ったの」
言い訳を並べたいわけじゃない。
ただ、いきなり自由が欲しいと言ったら、親を傷つけるのも分かっている。
だから、彼らが受け取れる形に言葉を整える。
「私はこんな歳になるまで碌に稽古も勉強もしなかった落ちこぼれ。今更正規の手段で騎士になるなんて言えないし、なる気もない。それに……どこかの家へ嫁ぐにも、社交の場に出たこともない」
本来なら十歳くらいには社交界デビューをするのが、騎士の娘としては定石だ。
代官家は貴族と騎士の中間で、立場としては準貴族。野心のある家であるなら、より上位の貴族に見初められるのが目標となる。
でもリーネは引きこもりだったからな……そんな場に出たことなんてないんだ。
「すでに私は騎士家の娘として、大きく枠から逸脱している……それなら! やりたいようにやってみたい! だからお願いします。冒険者をやらせてください」
そこで、深く腰を折った。
この世界に来てから、ここまで深く頭を下げたのは初めてかもしれない。
元社会人の謝罪スキルではない。彼らの娘としての懇願だ。
床板に視線を落とす。その間の沈黙が長く続く。
両親がどんな顔をしているのか。それを確かめるのに勇気がいる。
そう思う程度に、俺はリーネになり切っていたようだ。
やがて、アルベルトが口を開いた。
「……リゼ。お前はどう見る」
その声と共に頭を上げてリゼを見るが、そこにはいつもの鉄面皮の彼女がいる。
屋敷へ帰る間に話した限り、リゼは俺に対して過度な肩入れはしない――というような雰囲気があった。
ただ、自分の思うことを正直に話すとだけ言っていた。
「率直に申し上げます。戦う力だけで言えば、お嬢様には素養がある。この一年見てきましたが、そこらの腕自慢では太刀打ちできないでしょう」
思った以上の高評価で、それは素直に嬉しい。
「ですが――冒険者は、それだけでは務まりません。空想と現実は違うということを、身をもって知っていただく必要があります」
リゼの強い視線が突き刺さるが、その言葉は否定できない。
雑に言えば自営業と同じだ。営業や運営という概念だって当然あるだろう。
「そこで提案なのですが、一ヶ月を試用期間とするのです。グレインフォールのギルドで冒険者登録を行い、その間、私が護衛として同行する。その期間で、冒険者という現実に適応できるかどうかを見極めます。適さないと判断すれば、即座に連れ戻す。適性があると判断された場合のみ、継続の可否を改めてご相談させていただきたい」
これは初耳だ。リゼが俺の言葉と屋敷の空気を受けて、いま組み立てた結論だろう。
その提案を受けて、両親が視線を交わすがそこに言葉はない。
ただ、目と目で会話をしているような雰囲気だけがある。
しばしの沈黙が続き、ついに口火を切ったのは、エレオノーラだった。
「……条件があるわ。リゼは教師ではなく、正式に護衛として雇用すること。新規に契約を交わし、命という一線だけは優先して責任を負う」
リゼは相変わらず鉄面皮だが、若干ながら表情が動いた。
責任の増大する新規契約だ。そりゃあ、鉄面皮も維持できないか。
「承知しています。その一線だけは絶対に踏み越えさせないことを誓います」
その言葉を受けて、今度はアルベルトがリゼへ視線を向けた。
「護衛に役割が変わるなら、新たな権限を与える。危険度の判断はお前がすること。娘が反発しても止めろ。それは何よりも優先される」
「承知しました」
リゼが承諾すると、今度はエレオノーラが話を継ぐ。
「受ける依頼は、全てリゼが許可するものだけ。そして夜は必ず、ギルドが管理する宿に泊まること。勝手な野宿は禁止」
野宿禁止となると、長期の依頼は受けられない。
まあ、一ヶ月の様子見期間でそんなことはしないだろうが。
「……よし」
アルベルトが肘掛けから手を離し、ゆっくりと息を吐く。
「まだまだ詰める必要はあるが、今日のところはこの程度でいいだろう。リーネ。冒険者になる許可を出そう」
「ありがとうございます」
流れだけ見れば、あっさりと許可が出た。
しかし、この緊張感は本物だ。楽な時間ってわけじゃなかったな。
「うむ。だが、やるからには本気で取り組むことだ。心意気に伴っていなければすぐに連れ戻す。良いな?」
「はい!」
思惑はあるんだろう。心配もあるんだろう。
それでも、我儘を条件付きで受け止めてくれたことには、素直に感謝だな。
寝支度を済ませてベッドに入ると、いつもの天蓋が広がる。
枕元の棚には、いつもの日記とメモ。こいつらは一緒に持って行かないとな。
「しっかし……思った以上にあっさりだったな」
天井を見上げながら呟く。
もっと揉めると思っていたし、下手したら怒鳴られると思っていた。
でも、返ってきたのは条件付き許可だった。
あの後、さらに話を詰めていったが、そのときの言葉の端々で分かったこともある。
――できるなら、やりたいことはやらせてやる。
そんな空気が、あの談話室には確かにあった。
屋敷で勉強や稽古を許可するだけでなく、主体的に何かをやりたいなら、それを試させる方針に変わっていた。
たぶん、リーネが末っ子だからだろう。優秀な長男と、スペア足りえる次男がすでにいる。
なら、リーネを家のためだけに縛る意味も薄い。代官家という立ち位置が、ここでは利いた。貴族みたいに婚姻外交に精を出すほどの野心はこの家にはないようだ。
その方針は嬉しかったし、何よりもほっとしたのは精神操作を使わなくて済んだこと。
いざとなれば心を操作するつもりだった。自らの意を通すための魔法の実験という建前もある。
が――それをせずに済んで良かった。あんな良い両親を操作するなんて、罪悪感半端ないからな。
「……よし」
色々考えることはあるが、布団の下で気を取り直す。
明日から冒険者生活! と言い切るには、まだ準備がいるが――それでも、とりあえずグレインフォールで暮らすことになったのは確かだ。
空想じゃない。現実としての冒険者の生活。その一ヶ月間を、フルスロットルで駆け抜けてやる。
やってやろうじゃないの!




