自分へのご褒美
あの夜からさらに数週間。失敗と微調整を積み重ね、ついには『身体強化』を完全に習得することができた!
その日々は辛くも楽しく、多くのことを知ることができた。
だが、まだ知るべきことは沢山ある。そのために日程を組んで、計画したことを実行する日が今日だ!
夜の帳が下りる。
屋敷中の灯りが消え、静寂という名のカーテンが引かれるこの時間。
それこそが、俺が一日千秋の思いで待ちわびていた決戦の刻だ。
天蓋付きのベッド。その中央で、俺はシルクの寝間着をゆっくりとはだけさせた。
月光が、白い肌を青白く舐める。
鏡の前でポーズを取るようなナルシズムではない。これは点検だ。そして、収穫の時だ。
自分の身体を見下ろす。
以前のような、触れれば折れそうな枯れ木のような白さはもうない。
日々の鍛錬と確かな栄養摂取。それらがこの華奢な肢体に、確かな生命力という名の芯を通した。
肋骨が浮き出ていた脇腹には、薄い脂肪の膜が張り、その上には重力に逆らう柔らかな果実が二つ、さらに大きく誇らしげに鎮座している。
腰のくびれは細く、そこから広がる骨盤のラインは、指先を吸い寄せるような滑らかな曲線を描いていた。
――仕上がった。
俺は喉の奥で、獣のような音を鳴らした。
本来なら、入れ替わってすぐに済ませておくのがTS物のお約束。だが、あのもやしのような貧相な身体では躊躇われたのだ。
すぐに壊れてしまいそうで、愛でるどころではなかった。バッテリー切れのスマホをいじくり回しても楽しくないのと同じだ。
だが、今は違う。
この身体はもう、ただのガラス細工じゃない。しなやかなバネと、瑞々しい果汁をたっぷりと蓄えた、最高級の素材だ。
時折味見をしていたが、本気になるには虚弱な体では無理が出る。だからこそ体が出来上がるまで待っていた。
なら、味わうしかないだろう? 男としての薄汚れた魂が、この極上の器を隅々まで検品しろと叫んでいる。
誰に遠慮がいる? これは俺の体だ。俺が育て、俺が管理し、俺が使用する。
完全なる自給自足。究極の自家発電だ。
明日は完全なるオフ。日曜日みたいなものだ。
午前の勉強はお休み。リゼのスパルタ指導もない。だから、早起きの義務もない。誰にも邪魔されない、空白の一日。
つまり、ブレーキは不要ということだ!
枕元のサイドテーブルに、水の入ったピッチャーを用意した。水分補給は必須だ。脱水症状で気絶なんて笑えないからな。
深呼吸を一つ。肺に満ちる夜の空気すら、今は甘く感じる。
「……いくか」
小さく呟き、自分自身に魔法をかけた。
「……『昂揚』」
内観のために使っていた『集中』を変質させたのがこの魔法だ。
『集中』は精神操作の基本として使いまくっていた。それを変化させることで新魔法を開発するのが俺のスタイルだ。
『不屈』などはその流れで、意思の強化や痛みを誤魔化すのが役割の魔法。
それならこの『昂揚』はまるで逆。自分の欲望を解き放ち、精神の興奮を高めて、それをそのまま体に転写する魔法と言える。
一瞬で、世界が変わった。
衣擦れの音が、鼓膜を直接撫でるような轟音に変わる。
シーツの繊維一本一本の感触が、背中の皮膚を通して脳髄に伝達される。
熱い……血管を流れる血の熱さすら、はっきりと知覚できる。
成功だ! 訓練の日々は無駄じゃなかった。この日のために積み上がったものは確かにある!
俺は震える指先を、自分の鎖骨へと這わせた。
触れる。ただ、それだけだ。だというのに――。
「ひ、ぅ……っ!?」
唇から、脳が溶けるような甘い声が漏れた。
自分の声だ。おっさんの思考が弾き出したうめき声のはずなのに、喉を通ると可憐な少女の喘ぎに変換されて鼓膜を叩く。
その声がまた、耳から入って脳を犯す。なんだこれ。無限ループか?
自分で鳴いて、その声に興奮して、さらに感度が上がる。マッチポンプにも程がある。
指を滑らせる。
鎖骨のくぼみ。首筋の薄い皮膚。そこにある動脈の拍動。
指先が触れるたび、目に見えない火花が散る。
『触っている俺』と『触られている俺』。二つの感覚が混線し、脳の処理能力を焼き切ろうとしてくる。
触られている感覚は、暴力的なまでに鮮烈だった。
肌の下に、得体の知れない熱源が埋め込まれているみたいだ。
普段なら何ともない撫でるという行為が、魔法によるブーストのせいで愛撫を通り越して甘い電流に変わる。
ゾワゾワと這い上がる快楽の波。それが背骨を駆け上がり、頭皮を痺れさせる。
俺は自分の胸元へ手を伸ばした。
重い。物理的な重さじゃない、存在感が重いのだ。
掌で包み込む。吸い付くような肌触り。マシュマロなんて安っぽい言葉じゃ表現できない。もっと密度が高く、それでいて液体のように形を変える、人肌の温度を持った至高の物体。
指先が少し食い込むだけで――。
「あ、ふ……ぁ……!」
視界が白く明滅した。
やばい。これ、想像以上にクる!
まだ入口だぞ……! まだ本番のほの字も始まっていない。ただ触っただけだ。
なのに、膝が勝手に笑い、太ももの内側がキュッと引き締まるのが分かる。
身体の奥、下腹部のあたりに、重たくて甘い疼きが灯る。
それは乾きに似ていた。もっと触れろ。もっと深く。もっと乱暴に。
この身体が、俺にねだってくる。
理性のタガが、音を立てて外れた。
もういい。理屈なんてどうでもいい。
俺はこの身体の所有者だ。なら、この身体が欲しがるものを与えるのは義務ってものだろう?
シーツを強く握りしめた。
汗が滲み、それは玉になる。そして玉となった汗がシルクよりも滑らかな自分の肌を滑っていく感覚すらも、快楽のスパイスになる。
一回戦? そんな準備運動で終わるわけがない。
俺には魔法がある。
体力が尽きれば『身体強化』で無理やり動かせばいい。
感覚が鈍れば、さらに『身体強化』を応用して、感度を強化すればいい。
もし女にも賢者タイムのようなものがあったら? そんなものは『昂揚』で無理やり塗り変える!
この夜は長くなるだろう。なにせ俺の欲望は深いからだ。
よくぞここまで待たせてくれたと言いたいところだ。二回、三回なんてケチなことは言わない。二桁はいくぞ!
限界のその先、気絶する寸前まで、この美少女ボディのポテンシャルを引き出してやる!
俺は熱い息を吐き出し、夜の深淵へとダイブした。
指が動く。肌が波打つ。
自分が誰なのか、男なのか女なのか、そんな境界線すら曖昧になるほどの陶酔。
そこにあるのは、ただひたすらに気持ちいいという事実だけ。
――そこからの記憶は、熱に浮かされたような断片の連続だった。
シーツが擦れる音。
抑えきれずに枕に顔を埋めて殺した絶叫。
何度も弾ける視界の白光と、その直後に訪れる、泥のような脱力感。
だが、休まない。休ませない。
汗ばんだ肌が夜気に触れて冷たくなる心地よさを味わう間もなく、次の一手を打つ。
魔法で強制的にスタミナを回復させる。
ガクガクと震える手足に鞭を打ち、再び感度のボリュームを最大までひねれば勝手に腰が跳ねる。
苦しい。でも、それ以上に気持ちいい。
心臓が破裂しそうだ。呼吸が追いつかない。
髪は汗で額に張り付き、喉は渇ききっている。
それでも、指は止まらない。自分の身体が、こんなにも開発しがいのある未開の地だったなんて。
触れる場所すべてが新発見だ。耳の裏、膝の裏、足の指先。
どこを触っても、脳髄が痺れるような甘い蜜が湧き出してくる。
ああ、最高だ。
生きてる。俺は今、猛烈に生きている。
男だったときの、ただ息をして働くだけだった灰色の日々が嘘のようだ。
この鮮烈な色彩。この圧倒的な熱量。これこそが生だ。生きるってことだ。これを味わうために、俺はこの世界に来たんだ。
あまりに馬鹿らしい考えだけど、そう確信できるほどの、圧倒的な多幸感が俺を包み込んでいた。
……。
…………。
………………。
小鳥のさえずりが、鼓膜を叩いた。
鉛のように重い瞼を、ゆっくりと持ち上げる。
視界が白い……窓の隙間から、容赦のない朝の光が差し込んでいる。
埃がキラキラと舞っているのが見えた。美しい朝だ。
「……あ、ぅ……」
声が出ない。喉が枯れ果てている。砂漠のようだ。
身体が……動かない。指一本動かすのさえ億劫だ。全身の筋肉という筋肉が悲鳴を上げ、同時になんとも言えない気だるい充実感に満たされている。
ベッドの上は、台風が通過した後のようだった。
シーツはねじ切れんばかりに捩れ、枕はベッドの下に転がり落ちている。掛け布団なんて、部屋の隅まで蹴り飛ばされていた。
俺はぼんやりとした頭で、昨夜の戦績を思い出そうとした。
七回までは覚えている。そのあと、魔法で強引にスタミナを回復させて、確か……八、九……?
いや、二桁更新のあとに、一度感覚を強化して……そこで記憶が飛んでいるのか?
覚えているのは、天井のレリーフが揺れていたことと、自分の声が他人のように艶っぽかったこと。
そして最後は、自分の腕の中で――物理的には不可能なんだが感覚として――気絶するように落ちたこと。
「……やりすぎ、た……」
掠れた声で呟く。
だが、後悔はない。微塵もない。
むしろ、登山家がエベレストを登頂した後のような、神聖な達成感すらある。
俺はこの身体の性能試験を完遂したのだ。結果はオールグリーン。いや、限界突破のレッドゾーンか。
自分の腕を見る。
朝日に透ける肌は、昨日よりもさらに艶を増し、内側から発光しているようにさえ見えた。
凄まじいデトックス効果だ。
一晩中、欲望の限りを尽くして汚したはずが、逆に女としての格が上がっているとは皮肉なもんだ。
とりあえず、水だ。水が飲みたい。
俺はふらつく足でベッドから降りようとした。
瞬間、膝から崩れ落ちた。
ガクン、と力が抜ける。生まれたての子鹿スタイルだ。内股がプルプルと震えて言うことを聞かない。
その時、コンコン、とノックの音がした。
軽やかで、規則正しい音。クララだ。
「リーネお嬢様。そろそろお目覚めでしょうか?」
爽やかな朝の声。俺はヒッと息を呑んだ。
まずい。まずいぞ! 今の俺は、どう見ても事後だ。それも、かなり激しい戦いを経た後の。
汗ばんだ髪、紅潮した肌、乱れきった寝間着。そして部屋に充満する、石鹸と汗と、独特の甘い匂い。
この惨状を見られたら、病弱から健康体に快復した設定どころか、乱れすぎたご令嬢として、屋敷中の皆に認識されてしまう!
「……ま、まだ寝る! まだ眠いから!」
「あら、珍しいですね。昨日は早めにお休みになられたはずですが」
扉の向こうで、クララが不思議そうに首を傾げる気配がする。
早めに休んだ? ああ、そう見えるだろうな。部屋からは一歩も出ていないんだから。
だが、このベッドの上で繰り広げられたのは、フルマラソン並みの激闘だったんだよ。
「あと一時間……いや、二時間……! いや! 自分で起きるから! クララは気にしないで!」
「かしこまりました。では、いつ起きられてもいいように食事は用意しておきます。ゆっくりお休みください」
足音が遠ざかる。
俺は安堵の息を吐き、そのまま絨毯の上に大の字になった。
冷たい床の感触が気持ちいい。
休日は始まったばかりだ。
とりあえず、二度寝しよう。睡眠不足だからな。
だけど最低限のベッドメイクはしないと駄目か? 事前に汗拭き用の布を寝間着に仕込んでいるから、液体が飛び散っている形跡はなさそうだが……。
……よしセーフ! 問題なし! 多分大丈夫なはず。匂いでばれるなら、その時はその時だ。
仕込んだ布を寝間着から外し、さっとベッドメイクをしてベッドに体をシュート! 目を閉じて眠気を受け入れる。
魔力は完全に空っぽで、強制的に眠気を増幅させることはできなさそうだ。いったいどれだけ楽しんだってんだ俺ってば……。




