精神操作でガンガンいくぜ!
翌日の午後。
新しい訓練が始まる。
「昨日言った通り、今日からは体の硬さを取るところから始めます」
開口一番、リゼが木剣を手に宣言した。
「聞いていませんでしたけど、具体的には何を?」
「受け身です。落馬した時に死なないための、最低条件です」
柔軟体操かと思いきや、もっと実践的なものだった。
「それに剣の稽古でもいずれ使います。乗馬を抜きにしてもちょうど良かったのかもしれません。構えてください」
「は、はい」
リゼが木剣を上段に構えている。
嫌な予感がするが、従うしかない。
俺が剣を構えた瞬間――視界が反転した。
「うわっ――!?」
鋭さというより、純粋な質量による一撃。
ボールのように弾き飛ばされ、視界が砂で埋め尽くされる。
次の瞬間、背中からドスンと地面に叩きつけられた。
「ぐ、ふっ……!」
肺の空気が強制的に吐き出され、呼吸が止まる。
目の前がチカチカする。痛いとかそういう次元じゃない。物理的な衝撃で、脳が揺れる。
「受け身を取れないとそうなります。理解できましたか?」
頭上から降ってくる、絶対零度の冷徹な声。
見上げれば、リゼが涼しい顔で見下ろしている。
なるほど、思ったよりスパルタだ。だが、この程度の理不尽がなんだ!
サラリーマン生活を舐めるなよ! 終わりのない会議、人格を否定してくる上司、逃げ場のないプレッシャー。
それに比べれば、単純な身体的苦痛なんて清々しいもんだ! 精神的な重圧より軽いもんだぜ!
砂を吐き出し、呼吸を整えて立ち上がる。横でクララが悲鳴を上げそうになっているが、無視だ無視!
「もう一度、お願いします!」
反射的に受け身を取れるようになるための鍛錬だ。『集中』を使って上辺だけを繕ってはいけない。
――それならこれだ! 『不屈』!
意思力を強化する精神操作魔法だ! やる気の出ない時の活入れ用だが、これをフル稼働させる。
「良い気迫です。体が覚えるまで繰り返しますよ」
それからは、終わりのないサンドバッグの時間だった。
打たれる。飛ぶ。転がる。そして視界が回る。
肩から落ちて砂利の味を知り、背中で着地して内臓を揺らされ、腰から落ちて痺れが走る。
そのたびにリゼの指導が飛ぶ。
「顎を引いて!」
「力まない! 衝撃に抗おうとするから痛いのです!」
「地面と喧嘩しないでください。流れに逆らわず受け流して」
「重心を制御してください!」
口で言うのは簡単だが、この貧弱な体で実行するのは至難の業だ。
何度も何度も砂に沈む。
全身の関節が悲鳴を上げ、服は砂と汗で見る影もない。
だが、数十回を超えたあたりで、ふと感覚が変わった。
地面に叩きつけられる瞬間、無意識に体が丸まるようになったのだ。
衝撃を一点で受け止めるのではなく、面で分散させて逃がす感覚。
完全に防ぐことはできなくても、致命傷だけは避ける。そのコツを、体が覚え始めた。
リゼも鬼じゃない。
俺の上達に合わせて、ギリギリ受け身が取れる絶妙な加減で飛ばしてくれている。
ここまでお膳立てされて、音を上げるわけにはいかないだろう。
「はぁ……はぁ……!」
訓練が終わる頃には全身が砂に塗れていた。
もう一歩も動けない。大の字に寝転がる。
「よろしい。最初よりは、ずっとマシです」
見上げれば青空。
逆光の中で、リゼが頷いているのが見える。
「体は貧弱ですが……やはり、リーネお嬢様には才能がある」
「才能、ですか?」
「気迫と意思力です。負けん気の強い男児でも、ここまでひたすらに食らいつくのは難しい」
褒められたのはメンタル面か。
ズルしているし、中身がオッサンだから素直に喜べないな。
夕方。
部屋に戻る頃には、体を動かすのも一苦労だった。
余りの疲労で、死んだようにベッドに横たわっていると、クララが入ってきた。
「リーネお嬢様。ずいぶんと……頑張られたようで」
感心半分、呆れ半分といった顔だ。
少し前までは深窓の令嬢。それ今や汗まみれのスポ根少女だ。
そのあまりの変化は誰でも驚くだろうさ。
「自分で言い出したことだから、やり遂げないとね」
「夕食の時間ですが……」
飯か。腹は減っているが、ナイフとフォークを使う気力もない。
それに、固形物を腹に入れると消化のために血液が胃に集まってしまう。
頭をクリアにしておきたい夜の訓練にそれはまずい。
「できれば、お粥がいい。部屋に持ってきて」
「かしこまりました」
クララが下がった後、俺は天井を見上げた。
午前は勉学、午後は鍛錬、夜は魔法の訓練。ハードワークも良いところだが、不思議と充実感がある。
自分でやると決めたことだ。それなら、なんとしてでもやり遂げないとな。
粥を流し込み、身を清め、準備完了。
ノックと共に、夜の部担当のリゼ先生が入室してきた。
「『身体強化』の訓練を始めます」
昼はスパルタだが、夜は優しい指導となる。
魔法の習得は気づきが大切であり、ゴリ押しができないからだ。
「昨日と同じです。ベッドの上で、楽な姿勢で座ってください。背筋だけは伸ばすこと」
「……はい、できました」
「では、目を閉じて手を組み、脱力。そして魔力の循環を意識してください」
座禅のようなスタイル。
内なるエネルギーを回す。気功に近いイメージか。
「循環……脱力……」
いつもは自分の精神に放出している魔力を、体内に留めて巡らせる。
血管を流れる血液のようにイメージするが――。
「止めてください」
鋭い声で止められた。
「乱れています。筋肉が反応していますよ。むりやり肉体に魔力を流し込めば内側から傷つきます」
今日もダメか。無意識に力が入っていたらしい。
漫画の主人公なら一発成功なんだろうが、残念ながら俺にそこまでのセンスはなかった。
まあ、俺は凡人だと理解しているし、まだ二日目だ。地道にやるさ。
そこから、試行錯誤の日々が始まった。
午前の勉強は楽勝。午後の受け身も、三日もすれば様になってきた。
だが、魔法だけは一進一退だ。
そして四日目の夜、事件は起きた。
なかなか循環しないことに苛立ち、少し強めに魔力を押し込んでしまった時だ。
「いけない! 止めなさい!」
リゼの制止より早く、腕の内部で何かが膨張するような感触――。
「く……っ、あ……!」
腕をつったような痛みだが、それがワンランク上の激痛となっている。
リゼが慌てて腕をさすっているが、脂汗が止まらない。
――くそっ! これが『身体強化』の代償か。
「今日のところは、ここまでです」
強制終了。異議なしだ。
リゼは厳しい顔で告げた。
「焦りが制御を乱しましたね。自分の内面を感じる内観ができなければ、習得は不可能です」
内観、か。
リゼが去った後、俺はベッドの中で考え込んだ。
進捗が悪ければやめるという父との約束がある。今のままではそれに触れるかもしれない。
どうする? 根性論は通用しないと分かった。なら、別のやり方で攻略するしかない。
――待てよ?
『集中』を魔法の訓練に使えばどうなる?
同じ魔力というリソースを使うから同時使用は無理だと思い込んでいたが、試す価値はある。
固定観念に縛られていては打開できない。
痛む腕をさすりながら、翌日の夜を待った。
翌日、夜。
リゼ監視の下、俺はいつものように座禅を組んだ。
だが、今日はアプローチを変える。
「……」
口の中で、音にならない声で呟く。
――『集中』。
世界からノイズが消えた。代わりに、自分の心臓の音がドラムのように響き始める。
肺が膨らむ音。肋骨のわずかな軋み。血流の音。全身の解像度が、一気に上がった。
体の深部にある、言葉では形容できないこれが……魔力だ!
それを脈動に合わせて流す。
肩、肘、手首。回路図をなぞるかのように意識を滑らせていく。
「まさか、これほどとは……」
リゼが何か驚いているが、今は雑音だ。
腕は通った。しかし、全身への循環を阻害している何かがある。
……見つけた。詰まっているのはこれか?
場所は、腰――いや、骨盤?
――なるほど、そういうことか。
俺の心は男のままだ。しかし、無意識のうちに男という前提で体を認識していたのかもしれない。
でもこの体は女だ。当然だが骨格が違うし、男にはない子宮などがある。
精神の地図と、肉体の地形がズレているってことだ。
その違和感が、無意識のブレーキとなって魔力の流れを堰き止めていたんだ。
原因が分かれば、対処は簡単。俺という意識を書き換える。
今の俺は女であり、子宮という臓器がある。ありのままに受け入れろ。
カチリ、と何かがハマる感覚があった。瞬間、堰を切ったように魔力が全身を駆け巡った。
「ふぅ……」
『集中』を解除すると、全身から心地よい脱力感が広がった。
それでいて確固たる力のようなものを感じる。成功かな?
でも、その感覚はすぐに霧散する。素の俺ではまだ女の体をイメージできないからだ。
「リゼ先生。これは長丁場になりそうです。でも原因は……先生?」
返事がない。
顔を上げると、リゼが目を見開いて固まっていた。
「……! 失礼。少し、驚いてしまって」
「驚く? 私が優秀すぎて?」
「……」
冗談のつもりだったが、リゼの顔は真剣そのものだ。
「続けてください。今の感覚を全身に定着させるのです」
どうやら、予想以上の成果が出たらしい。
いいぞ、順調だ。使える手段はガンガン使っていこう。
俺は再度『集中』を使い、自分の体を内観した。
魔力の流れを制御することで、この肉体がどうなっているか、感覚で知ることもできるようだ。
日々の食事と鍛錬の結果だろう。筋肉もしなやかになり、女性特有の柔らかさも育ち始めている。
……ふむ。ここにきて体が成長を始めた。
苦行の対価としては悪くない。この体が完全に仕上がった時、どんな景色が見られるのか。
まだやりたいことをやれていない。だがそれもあと少しと言ったところ。
密かな楽しみが、また一つ増えたな。




