3 月日は過ぎて
「知りたいです」
そう告げた日から、4年の月日が流れた。この家のこと、家業のこと、家族のこと。知りたいと思った幼かったあの頃、教えてもらえることを全て覚えた。
そして、知った。この家は、この世界は、雪が知る世界と全く違う世界だった。
「雪姉様」
縁側に座っていた雪のもとに、妹詩乃が歩み寄ってきた。相変わらず綺麗な模様の入った着物の裾を整えながら、そっと座る。
「いい匂いがする」
雪はそっと答えた。
「金木犀の花が咲いていたので、香袋に入れてみたんです。雪姉様の分もお作りしますか?」
お守りの形をした袋から香る匂いは、嫌いではない。雪がこの家に来た時からある、安心できるような、懐かしい匂い。大好きな匂いのひとつではあるが、雪が好きなのは違う。
「……柚が、いいかな」
「いいですね。では、柚の実がなったらお作りしますね」
詩乃は穏やかにそれを受け入れてくれた。
「またそんなところに座って」
そこに、姉綾乃も来た。彼女は、座布団も使わずに縁側に座るのははしたない、と言う。
「今日は暖かいので、日向ぼっこが気持ちいいのですよ。お姉様もいかがですか?」
詩乃が緩く微笑みながら告げる言葉に、姉はハンカチを敷いて座った。
「平和、ですね」
すーっと吹き抜ける風を感じながら、雪がつぶやいた。
「お父様やお兄様はお忙しいのでしょうけど」
「そうでもないわよ」
雪の言葉に、綾乃があっさり返す。
「お兄様なんて、仕事もせずに勉強ばかりだわ」
「ふふ。お兄様はお勉強もお仕事ですから」
上品な言葉が飛び交う空間。前までなら、こんな世界に自分がいるとは思えなかったのに。
穏やかで、幸せな空間。綺麗に手入れされた、箱の中のように。
「お姉様と詩乃は、外に出たいとは思わないのですか?」
雪が来てから4年、姉妹は一度たりとも屋敷の外に出ていない。雪もそれにならって、庭を散歩するだけに留めている。奥と言われる居住スペースさえも出ていなかった。
「興味ないわね」
姉がはっきり言い放つ。
「わたしたちが外に出る必要はないわ。わたしたちの役目は、忍びとなる人間を生み育てること。お父様からその命令が下されるまで、ここで生きていればいいの」
この家、霧崎家は、いわゆる忍者の宗家。多くの忍者を従え、情報を集めてそれを求める人に売る商売。
それだけで、この広大な屋敷を維持できるのか。多くの忍者を従えることができるのか。その疑問は、「可能」という言葉で消されてしまった。
プライドの高い良家のお嬢様という雰囲気を持つ姉なら、この考えも仕方がないかもしれない。
でも、妹はどうだろう。同じ良家のお嬢様という雰囲気を持ちながら、姉とは違う穏やかさを持つ彼女なら。そう思って向けた視線の先で、
「お父様とお兄様のお役に立つことが、わたしの役目と心得ておりますわ」
詩乃は静かに、表情ひとつ変えずそう告げた。
洗脳じゃない。この家は、そんなことはしない。現に雪もされてない。心の底からそう思っている。
それに対する雪の感情は、恐怖ではない。ただ、不思議だった。
「3人で日向ぼっこかな」
そこに、兄が声をかけた。
「姉妹で仲良くお喋りしているだけですわ」
ツンと澄ましたように答える姉と、
「お兄様もいかがですか? とても気持ちがいいですよ」
ふわりと笑う妹。
「嬉しいお誘いだけど、今日はやめておこう。父上に呼ばれているんだ」
「あら、残念。お兄様のお話も聞きたかったのに」
「仕事が終わったらね」
妹たちを軽くあしらって、兄は去っていく。
穏やかな日差しを受け、時々静かに会話しながら、穏やかな時間を過ごす。いつも通りで、静かで、楽しい時間、のはずだった。
「あら」
声を上げることもなく、ふわりと着地する白い鳩。その足に巻かれた手紙を見つけ、雪はハッと立ち上がった。
部屋に戻り、マッチと燭台を持って縁側に出る。詩乃が燭台に火をつけるまで、完璧な連携だった。
綾乃が紙を火にかざし、そこに浮き上がる文字を読む。
「……お父様に報告ね」
「お持ちいたします」
「えぇ」
詩乃が姉から受け取り、父のもとへ持っていく。その間に、雪は燭台の火を消した。
「何かあったんですか?」
「どうかしら。お父様がどうにもできないことだったら、何かあった、にはなるんでしょうけど」
「だったら、大丈夫ですね」
父がどうにかできないことなんて、ほとんどない。そう信じられるだけの、当主としての能力がある。
「手が付けられなくなる前に相談できるのは、霧崎の忍びとして優秀な証拠よ」
「……そう、ですね」
その言葉が、雪の頭にしみついた。
そう。手が付けられなくなる前に。できるだけ早く。わかっていた。わかっていたのに、もう4年も経ってしまった。
残された時間は少ない。早く相談しなければ。
その日の夜、雪は火も持たずに廊下に出た。シュッ、シュッ、と響く衣擦れの音だけが、耳に届く。
向かう先は、父の寝室。そこは、まだ灯がついていた。
「お父様」
障子の前で膝をつき、静かに声をかける。
「雪です」
「入れ」
聞こえてきたのは、相変わらず感情の感じられない低い声。疲れているのか、まだ仕事をしているのかさえもわからない。
「失礼いたします」
障子に手をかけ、そっと開ける。障子の開け方にマナーがあることも、この4年の間に学んだ。
足音もたてず室内に入り、障子を閉める。そして、父を見た。
「お話があって参りました」
父は、まだ仕事中のようだった。文机に紙を広げ、いろんな本が積みあがっていた。
緊張する空間。寝室でさえ仕事をするような父の時間を取らせるわけにはいかない。
「外に出る許可をください」
一息、吐くように告げた。
「理由は」
少し間があいて、父が答えた。その言葉に、応えられなかった。
「……許可できない」
言葉に詰まる雪を見て、父が続けた。
「お父様」
「話は終わりだ」
拒絶だった。扉が閉められるように、終わってしまった。
「……失礼、いたしました」
もう言葉を返すことはできなかった。




