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(光輝視点)無段のかるた選手の過去

 練習場所の花山家の町家のような建物の離れの近く、俺、四条光輝(しじょうみつき)はかささぎ橋かるた会の練習を終えて、自宅のあるマンションに戻った。

「ただいま」の一言は言わない。なぜなら、この部屋には今は俺一人しかいないからだ。

 俺は親父と母さんの二人から生まれた一人っ子なのだが、小学校に入学する頃、親父が会社の新事業に伴う転勤で単身赴任になった。まだ小さかった俺がいたこともあり、親父は家族全員で転勤先である埼玉へ移住することを考えたが、母さんがここに残すべきだと訴えたそうだ。その意図を親父も汲み取り、俺と母さんは大阪に残り、親父は一人、埼玉へ行くことになった。

 初めは母さんがいたし、小学生時代からの古い付き合いの花山のおばさんはもちろん、年が近めのゆき(ねえ)が近所にいるという環境が強い要因だった。

 花山家とはしょっちゅう一緒に遊びに出かけたり、いろいろ繋がりがあったおかげで親父がいなくても寂しくなかった。

 なにより、かささぎ橋かるた会の人たちの存在が大きかった。

 花山のおばさんと母さんの計らいで俺とゆき姉がかるた会の練習を見学した時、参加者のおばさん、おっちゃんたちが歓迎してくれたり、わざわざ練習を止めて俺たちのために坊主めくりや源平合戦をしてくれた。小さい時から、かるたを楽しむ俺たちの様子を見て、母さんがやさしく問いかけた。


「みーくんはかるた楽しい?」


「うん! ボクもみんなみたいに速く取れるようになりたい!」


「そう。ゆきちゃんは?」


「わたし、みーくんがかるたやってくれると嬉しい!」


「そうよね。私たちのようなおばちゃんよりもみーくんの方がいいよね~?」


「ハイ!」


 小さい頃のゆき姉が無邪気な笑顔で頷くものだから、周囲の大人は少しショックを受けつつも、やはり、大人ばかりの環境では心細いし、比較的、年が近い同年代がいた方がお互いいいだろうとみんなが納得していた。

 周りが「将来は光輝(みつき)くんが名人、結姫(ゆき)ちゃんがクイーンやな」と気の早い話で盛り上がってる中、母さんは俺とゆき姉、二人に言い聞かせるように語りかける。


「みーくん、それとゆきちゃんの二人がやりたくて決めたことだから、お母さん、精一杯応援するからね。みんなみたいに速く取ったり、強くならなくてもいい。お母さん、みーくんががんばって、かるたが楽しいって言ってくれるだけで十分よ。だから、かるたが嫌になった時はやめたっていい。お母さん、みーくんのしたいことはなんでも応援するし、いつでもみーくんの味方だからね」


 母さんに優しく抱きしめられながら、言われたこの言葉。ガキの頃だったのにはっきり覚えている。それだけ強く心に刻まれたのだ。特に「いつでもみーくんの味方だからね」って部分。


「わたしもいつでもみーくんのみかたー!」


 このやり取りには続きがある。今の母さんの言葉を聞いていた小さいゆき姉が無邪気な声で真似するように言ったのだ。


「ありがと、ゆきちゃん。ほら、みーくん。女の子にこんなこと言わせたんだから、あなたもゆきちゃんが困ったときは味方になってあげてね」


「う、うん」


 自信なさげに応えた当時の俺。ただ、この言葉も今も俺の脳裏に焼き付いている。

 当初は、大人たちにはなかなか勝てなかったが、俺とゆき姉はメキメキと上達していった。コツさえつかめば、スポンジのような吸収力の年代だ。体格のハンデを感じさせないほどに強くなっていった。

 ゆき姉は小5でC級、B級と上がっていき、俺は昇段や昇級こそなかったが、低学年の頃から小学生大会では好成績を出し始め、特に小4の時に出た小学生の大会では同学年の他の選手を圧倒するほど負け知らずだった。

 大ぼら吹きとかじゃなく、周囲は本当に将来の名人、クイーンだと騒ぐ者もいたほどだ。この頃には初段や二段のおばちゃんたちにも勝てるようになってきてたし、どれだけ強くなるんだろう? と周囲が思うのも仕方ないと今となってはわかる。

 ただ、俺はそんなことよりも結果を残すと、いつも応援してくれる母さんが誰よりも喜び、一緒にゆき姉も自分のこと以上に喜んでくれる。それが嬉しくて、その時間が尊くて、この頃がかるたをやっていて、一番楽しかった。

 だが、その楽しい時間は長くは続かなかった。

 小4の3月頃、小学生大会が終わって、翌週のかささぎ橋かるた会の練習を終えた後だった。


 いつも迎えに来る母さんが来なかった。


 いつもは遅くとも練習が終わる頃には迎えに来る過保護な母さんが来ないのを不審に思い、心配になって送り迎えも兼ねて、花山のおばさんとマンションへと向かうと、倒れて意識を失ってる母さんがいた。

 花山のおばさんが救急車を呼び、拙いながらも救急蘇生を行うなどして、病院に搬送されたが治療の甲斐なく、そのまま帰らぬ人となった。死因は今でも詳しく聞かされていないが、心臓の急性疾患だったそうだ。まだ37歳だった。

 俺はなんか、その事実が受け入れられなかったのか、まだ悲しいという感情を知らなかったのか、それとも俺以上に悲しんでいた花山のおばさんやゆき姉を見て冷静になれたのか、葬儀や通夜でも涙は一つも出なかった。

 急遽、埼玉から帰ってきた親父が葬儀後、もう一度、俺に問いかけた。埼玉にいくか、ここに残るか……

 今度ばかりは事情が違う。親父は埼玉を離れられない。俺は家に親はおらず、小学生一人だけ。それでも、俺はこう答えた。


「俺はここに残る!! 母さんはずっと俺やゆき姉のこと応援してくれてたんだ! だから、俺はここに残る!!」


 そう言うと、親父は「そうか」と一言。花山のおじさんやおばさんたちに「金のことはいいから」とか、「世話かけるな」とか言ってたのをうっすらと覚えている。

 正直、この頃は俺の意志を尊重せずに埼玉に戻った親父のことを冷たいなーと怒りを覚えてたけど、今は親父なりに俺を思ってのことだったんだと思う。

 その後も俺はかるたを続けたが、小学生大会で圧倒的な成績を残し続けた俺への周囲の過剰な期待、それと同時に向けられるやっかみの視線、そして、上達しすぎた故、どこかよそよそしい感じになった練習仲間のおばさんやおっさんたち。いつも応援してくれた母さんもいなくなり、ゆき姉が中学に上がり、俺は急速な孤独感と虚無感を覚えたのだ。

 そして、小学生を集めた合同練習会で事件が起きた。

 俺が一つ年上の女子を20枚差で下した。俺は単に普段通りの力を発揮して取っただけだった。ただ、俺はゆき姉がいなくなったことで明らかに張り合いがなくなり、物足りなさを覚えていた。なにより、一つ上の女子の実力以上に不満だったのが、枚数差が少し開いただけであきらめたように見えたからだ。


「なぁ、なんで、ちょっと取られただけで、すぐにあきらめんの?」


 俺はそれに納得がいかず、女子に試合後、詰め寄った。


「は? 気づいたら、あんたの陣が残り5枚であたしのとこなんて全然札減ってないのよ? 勝てるわけないじゃん」


 言われた女子は不機嫌そうにどすのきいた口調で言った。


「何言ってんだよ。最後の1枚を取るまでわかんねーだろ。俺なんて、ゆき姉相手に15枚リードから逆転されたことあるんだぞ!」


「ゆきちゃんやあんたみたいな天才と一緒にしないでよ!」


 なんで、俺やゆき姉のことを天才と言うんだろうか。

 どっちも月イチで指導に来てくれる大阪明星会の諸先輩や先生の技術指導、普段の練習を忠実に、毎日やっているだけだ。

 なにも特別なことはしていないのになぜ、天才という一言で片づけるのだろう? 

 俺でもできるのだから、こいつらだって同じことをすれば、俺と同じぐらいの強さになるはずだ。ガキの頃の俺はそう思っていた。


「一人で本気になって、バカみたい! こんなので、強くなって、なんになんのって感じ」


 取り巻きっぽい他の女子2人に対して言ったのだが、明らかに俺を指して、言っていた嫌味だったのがわかった。俺がその嫌味を言った女子を睨むと、その女子も視線に気づく。


「ハッ、なによ」


「だから、本気でかかってこいよ。それとも本気でやって負けるのがダサいってか?」


「コイツ、5年生のくせに生意気!」


「ちょっと、強いからって調子に乗らないでよね!!」


 俺と女子3人組、キッとお互い睨み合い、場にはピリピリとした不穏な空気が漂う。それを頼りない世話役の大人がなあなあでなだめた。

 ちなみになんで、俺がこの時、一つ上の女子にため口かというと、単純に礼儀がなってないのはもちろんだが、それまではゆき姉がいたのと、そのゆき姉が俺に対して先輩面するのがいやだったため、できる限り対等に接してほしいみたいなことを言われたからだ。

 この女子もそれは承知の上なので、ため口はそれほど気にしていない。気に障るのは俺があまりにも本気すぎるのと、そこから見える俺の本音だ。


「あたしらのこと、馬鹿にしてるの見え見えなのよねー」


「ていうか、こいつ、一人で本気になって、バカみたい」


 この時の俺は怒りなのか、呆れなのか、また別の何かわからない感情を覚え、複雑な心理状況で頭がパニくり、返す言葉が思いつかなかった。おそらく図星を突かれたからだと今ならわかる。


「こら、四条君、ダメじゃないか。相手を馬鹿にしちゃ」


 頼りない世話役の男性が間の悪いところに割り込んできて、そんな言葉を発した。

 ――なんだ? 俺だけが悪者なのか?


「馬鹿にしてるのはどっちだよ! こっちは全力で、本気でやってるのに……! ちょっと差が開いてぐらいでやる気をなくすなんて、どっちが馬鹿にしてるんだよっ!!」


「だって、こんなに差が開いちゃ可哀そうだろ。もっと、みんなで楽しくやらなくちゃ……」


「可哀そうって……! じゃあ、本気でやってるのにやる気ない奴の相手してる俺はどうなるんだよ!! 勝った俺が悪いみたいじゃねーかよっ!! ていうか、やる気ないなら、もう帰れよ!!」


 俺が練習場所全体に響くような大声で言うと、場が一瞬静まる。こうなると、女子集団を中心にぞろぞろ帰る流れだが、この時、母さんのある言葉を思い出した。


『だから、かるたが嫌になった時はやめたっていい。お母さん、みーくんのしたいことはなんでも応援するし、いつでもみーくんの味方だからね』


 嫌になった時はやめたっていい……もう、味方の母さんはいない……

 なら…………


「もう、いいよ。俺が帰る」


 そう言って、俺は礼もせずに席を立ち、帰り支度を始めてずかずかと歩き出す。それを見て、さすがにやばいと女子集団のムーブに流されていた他の児童たちもオロオロし始める。


「ええ!? 四条君、ちょっと考え直して……!」


 世話役の男性が引き留めようとするが、いまさら、どの口がそう言うのか。


「うるせー! もう、二度と来ねーよ! こんなとこっ!!」


 そして、俺はこの日を境にかるたを嫌いになったわけじゃないが、しばらく札に触らなくなった。巷では天才小学生と言われていたという四条光輝の名前はかるた界ではこの日を最後に全く聞かれなくなった。

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