光輝の昇段認定試合 VS.桑野舞六段②
「時間です。それでは、始めます」
読手を務める千代先生、自ら試合開始の挨拶がされると、光輝と舞が「よろしくお願いします」と、お互い相手に、読手の千代先生に礼をする。
「なにわづに~、さくやこのはな~、ふゆごも~り~……」
千代先生が序歌を読み始める。
実家のような安心感とはこのことなのだろうか。アーリーにも収録されている千代先生の読みだが、それと同じ再現性の高い安定した読唱。
一つひとつの音を丁寧に発する読みに加え、スピーカーのわずかなノイズがない分、非常に聞きやすい。さすがは専任読手だと改めて認識する光輝。
「いまをー、はるべとー、さくやこのーはなー……」
「ハイッ!」
千代先生が序歌の一度目の下の句を読み終えたと同時に畳を拳でドンっと凛とした気合の声を出したのは舞に少し驚く光輝。舞が序歌でこういう動きを見せる時は本気で取るか、決勝など勝負どころの試合の時だという。
光輝相手に相当気合を入れて臨んできている。これはとても光栄だなと自嘲しつつも、光輝は気合を入れなおす。
「いまをー、はるべとー、さくやこのーはなー……」
千代先生が再び序歌の下の句を読む。この読みで練習したり、大会でも取る機会の多い舞の方がこの条件は有利だろう。そもそも、もとより勝てるなんて思っちゃいない。
だから、1枚目から千代先生の発する読みに全力で集中して、必死に出札へ手を伸ばしていこう。光輝はただ、そう考えるのみであった。
「ひさかたのー」
1枚目、空札。場にない札だ。お互い、ピクッと少し手は動いたものの舞の左下段に「ひともをし」の札まで手を伸ばすこともなかった。静かな開幕となった。
「おおえやま~」
2枚目「おおえ」をシュパッと鋭く舞が自陣右上段を払って、まずは1枚目。光輝が「はえ~……」と漏らして、舌を巻くほど鮮やかな先制劇。
しかし、空札2枚ほど挟んだ後の4枚目。
「はなのいろは~」
こちらもワンテンポ、いや気持ちワンコンマ少し待って、スパーンと切り裂くように自陣左中段の真ん中にあった「はなの」を払って、光輝もまずは1枚。舞の陣に「はなさ」と「はるの」、自陣に「はるす」と「は」の札がすべてある中で上手く聞き分けて守ることができた。
その取りを見たギャラリーの人たちは「おぉ……!」という声にならないどよめきをあげていた。まさか、光輝が舞から1枚取るなんて、とでも言いたげに。当の光輝もまずは1枚取って、ホッとしたが、表情は緊張感を持ったまま。
(しかし、舞さん、こえーなー。試合になると、オーラというかなんというか、威圧感がすげーのなんの。前に座ってるだけで体力吸われちまう……)
光輝がシャツの袖で汗を拭う。加えて、敵陣の友札を攻め取りたかったであろう舞だが、特に表情は崩すことない。ただ、いつもの柔和な表情や仕草と違い張り詰めたような空気感を纏っている。もし、これが普通の公共の場所なら、近寄るなというオーラが出ているかのようだ。
あるいは漫画なら、顔に影がかかり、背景にゴゴゴゴ…………という効果音がついているであろう表現が適切かもしれない。
光輝はそんなプレッシャーとも戦っている。クイーンに近いと呼ばれるA級選手というのはこれほどのものなのかと身を持って感じていた。
その後も快調に出札が出て、やや舞が押し気味に試合を進めていく。20枚目が読まれた時点で光輝22-18舞。序盤は比較的、よくついていけてるように見えるが、光輝はやや出札が舞の陣が多い中で敵陣の札が一枚も取れていないのが不気味だ。一方の舞は自陣4、敵陣3と攻守にバランスよく取れている。
(舞さんもゆき姉と一緒で右上段の速さが桁違いだ。ここと下段を攻め取れないと、かなり厳しい勝負になる。だけど、今の俺であそこは攻め取れるのか……?)
じわじわと舞の無言のプレッシャーと強さに思考が鈍っていく光輝。だが、それを振り切ろうとあくまでも自陣をフォローしつつ、狙いは相手陣へと意識を向ける。
「わたのはら……」
そして読まれた23枚目、大山札だ。舞が自陣中段の外側にある「わたのはらこ」を真っ先に囲う。
それほど大きな手ではないのに札が見えなくなるぐらいに覆われ、手のひらは手汗でもついてようものなら触れてしまうのではないかというぐらいにスレスレの囲い手を見せている。
普通の人なら、穴を見つけられない。
「……こぎいてみれば――」
「入ったぁっ!!」
だが、そんな難攻不落の城にも見えた囲い手を一筋の光のような細長い人差し指が気勢とともに掻い潜った。
珍しく光輝が声を上げて取った姿にかささぎ橋の子どもたちだけでなく、結姫も驚いた様子だった。試合中、つぶやくような台詞は発してもこのようなハッキリとした気合の声をあげることは滅多にない。
「み、みーくん……?」
結姫が思わず漏らす。
この前の総文祭の選考会の時と同じだ。こんな光輝のかるたは見たことがない。
ただ、良くも悪くもいつもの状態ではないことは明らかだった。というのも、光輝本人は舞の試合巧者のプレッシャーを受け続けながら取っており、そのプレッシャーを跳ね除けようと思考をめぐらせ、気合を入れ続けている。
(ラッキー。K音やS音は得意だからな。場にある札が『わたのはらや』だったら、少し反応が遅れたかも……)
だが、舞からしてみればこの大山札を取られたのはそれほどダメージではない。まだ、序盤といえるタイミングで取らせてもいい札だと捉えているからだ。
これは光輝自身も感じており、舞を焦らせるには右上段、下段の短い札を攻め取れないといけない。
「たかさごの~」
「うおらっ!!」
続く、「たか」でバチィーン! と音を立てると同時に、光輝は絞り出すような叫び声をあげつつ、身を大きく乗り出して舞陣の右側を強襲するように払う。
舞はこの強烈な取りに手がピクッとしか動かず、「速いな……」と思わず漏らしてしまったほど。光輝は自身が払った札を「ふぅ……」と大きく息を吐きだしながら、取りに行く。
「す、すげぇ……」
これには翔太も思わず、漏らすしかなかった。隣にいる佐倉や他の面々も同様だ。いつもはボケーッとした様子で練習を眺めて、穏やかな様子しか知らないかささぎ橋かるた会の面々は光輝のそんな様子が舞と互角に取れてる以上に戦慄していた。
しかし、翔太は以前に「あえて早く取らない方がいい」「2字目を聞いてから手を出す練習をした方がいい」という光輝からのアドバイスを思い出した。
(いや、みつき兄ちゃん、めっちゃ速いじゃん…………)
とてもじゃないが、光輝から出た言葉としてはあまりにも説得力皆無なアドバイスだと翔太は思った。いや、それぐらい光輝の取りが異次元すぎるのだ。
そんな光輝のかるたを見て、周囲は大番狂わせの期待に胸を躍らせていた。
ただ、普段から光輝と取っている結姫は2枚差に詰め寄り、追い上げムードとは裏腹に妙な胸騒ぎを覚えていた。




