俺は無段のかるた選手。放課後は幼なじみの手伝いをします
友人二人と時間を少し潰しながらも思ったよりも早く帰宅できた。
そこで、光輝は一旦、家に戻って制服から私服に着替えてから、家のマンションの近所にある二階建ての古い町家のような建物に向かった。
木製の玄関ドアの横の表札に書かれた「花山」という文字とインターフォン。この花山家とはガキの頃からの付き合い。遠慮なく勝手口のドアに手をかける。ただ、できるだけ音を立てずに。
少しはドアが地面とこすれる音はするが、最小限の音で文字通り勝手に入る。玄関から一段上がって、板の間のすぐ横にある襖の前で一旦、正座して座り込む。
そして、襖に耳を当てて、中の和室が静かなことを確認。襖の取っ手に手をかけて、スーっと開ける。襖を開いた先には6畳間の和室二部屋分の空間が広がる。さらにその和室の奥の床の間で先客が一人。
「あら。いらっしゃい、みーくん」
そう言って、出迎えてくれたのはスッとした立ち姿と凛とした佇まい、艶やかな黒髪を後ろで一本に結んで垂らしたポニーテールがあどけなさも残す女性。
服装はTシャツとジャージという和室に不釣り合いなこれからスポーツでもしますといった出で立ち。もう、準備は万端なようだ。
光輝はその女性の挨拶に対し、正座をしたまま、静かに両手を板につき、上体を屈めて一礼。
そして、光輝は屈めた上体を上げると、和室に不釣り合いなズカズカとした様子で和室に踏み入る。今の座礼はこの町家でのルールみたいなものなので、形式上やっているというだけだ。
「ゆき姉、まだ誰も来てないの?」
「うん。まだ16時だからね。もうちょっとしたら、ぼちぼち集まるんじゃないかしら」
今、光輝がゆき姉と呼んだ女性の本名は花山結姫。京都の大山大学に通う現役の女子大生で今年で20歳になる。
毎週・木曜と月2回・土曜はここでこうして彼女の手伝いをするのが習慣となっている。結姫は幼少の頃からの付き合いなので、光輝にとっては年上だけどくだけた感じで接している。傍から見ると、姉弟のように見られることもしばしばだ。
「じゃあ、みーくん。看板、玄関に出しといて~」
「おっけー」
結姫が座布団を大量に持って、隙間がありそうなところに手際よく置いていったり、古い木目調のラジカセのような機会を押し入れから取り出すなど、中の準備にとにかく忙しそうだ。
光輝は結姫に言われた通り、玄関の隅にある木製の看板を持ち抱えながら、玄関のドアを開けて、ドアの前に看板を立てかける。その木製の看板に貼られた紙には、『かささぎ橋かるた会』という文字。
ここは結姫が運営している百人一首を用いた競技かるたサークルの練習場所である。もとは結姫の母親がやっていたのだが、最近はもっぱら結姫がその運営を取り仕切っている。
母親が始めた当初は光輝と結姫、かるた仲間のおばちゃんたちが数人で細々とやっているだけだったが、10年ぐらい前に競技かるたを題材とした漫画が大ヒットすると、各都道府県のかるた協会では入会をお断りするところも出始め、こういった市民サークルのような場所を斡旋するようになったという。
こちらは入会をお断りするほどではないが、それでも細々とやっていた頃に比べると相当、人数は増えた。特に子どもの数は以前とは比較にならないほどだった。
結姫の母親が数年前に職場で異動があり、仕事とかるた会の時間が合わず、練習に足繁く通えないという状態となった。さすがに一人ではきついだろうということで光輝もこうして練習の運営を手伝っている。
「あー、みつき兄ちゃん!」
「もう、入っていいの?」
光輝が看板を立てている後姿を見るなり、すぐに男女小学生数人が声をかけてきた。
「よっ。もう、入っていいぞ。ゆき姉もいるから」
光輝がそう言うと、子どもたちは一目散に玄関へと突き進み、靴を脱いで、板の間へと上がる。しかし、はしゃぐ様子は見せつつも、今脱いだ靴をちゃんと後ろ向きに揃え、和室に入る前に先ほどの光輝のように一旦、板の間の上で正座し、上体を屈めて一礼する。それに対し、結姫も畳の上で座って礼を返す。
「こんにちは! 今日もよろしくお願いします!」
座礼をしていた小学生たちが屈めていた上体を上げると、元気な声が和室に響き渡る。
「こんにちは! 今日もがんばろうね」
それに対して、結姫も座例をした後に上体を上げて、柔和で優しそうな笑顔を子どもたちに向けて返事をする。
その後も続々と小4から中1ぐらいまでの男女が何人か訪れ、同じようなやり取りをする。小学生ほどの子がしっかりと誰に言われるでもなく、光輝がさっきやっていたような一礼を自然とする。やはり、競技かるたという以前に日本人にとって挨拶から始まるのは重要なことだろう。
この点が礼儀作法を学べるとして保護者からも好評なのだ。稀に無法者のようなやんちゃ坊主もいるが、そんな時だけは光輝が「靴はちゃんと揃えろよー」とか言ったりする。
ただ、光輝は威厳がないのか、どうも舐められるようで、光輝でいうことを聞かない相手には結姫が「こら! ちゃんと礼をしてから入りなさい!」と一喝したりする。さすがに結姫が言うと効果は抜群のようである。
ただ、大抵は二人の姿を見て学ぶので、自然と真似して直っていく。
人数も集まったところで、2人一組になって試合形式の練習を開始する。札を並べて、15分の暗記時間が始まる。
先ほどの無邪気さは一転して、小学生もこの時ばかりは大人顔負けの集中力を見せる。初心者の小学生はこの時間が苦痛でしょうがないと思うが、ここを乗り越えることができれば楽しく取ることができる。
ちなみに光輝と結姫の二人は主に試合監視役。特に結姫は現役のA級選手のため、小学生中心のこの練習では主に指導役。そんな光輝はこの場で何をするかと言うと、
「2分前です」
暗記時間も残り2分。この瞬間、選手全員が素振りを開始して、バンッ! バンッ! と畳を叩く音が至る所で鳴る。
「じゃあ、試合はじめまーす」
光輝が気だるげにそう言うと、全員がお互いに相手に向かって一礼、次に読み手を操作する光輝の方に向かって一礼。ただし、読むのは光輝ではない。
「今日も頼むよ、アーリー」
アーリーとは自動読み上げ機のありあけである。木目調のラジカセのような機械でもう15年以上前のモデルだが、読手のリズムを非常によく再現しており、今もなお様々な練習に欠かせない代物である。
「ねえ、みーくん、そろそろ、自分で読めるようになろうよ。別に大会じゃないんだし、自分で読んでもいいんじゃない?」
「いや、俺のリズムの悪い下手くそな読みでこの子たちがさらにへたくそになったらどうするのさ」
そう言って、光輝はアーリーのボタンを押す。すると、琴のメロディーが流れてから、「なにわづに~」という歌が詠まれる。結姫は何かまだ言いたげな表情で少し不満顔だったが、埒が明かないと悟ったか試合の方へと意識を向ける。
試合は5組で行われ、様々な試合が展開された。ルールについては某漫画で知ってる人もいると思うので、ここでは多くは語らないが、大差でついた試合もあれば、最後に残った一組は持ち札残り1枚同士のいわゆる運命戦に持ち込んだ。
練習とはいえ、選手の心臓が裏返りそうな緊張感がこの和室内に充満し、他のみんなもその様子を固唾を呑んで見守っている。練習でこれなのだから、大会ともなると、その緊張感は心臓が弱い人なら、そのまま発作で死ぬんじゃないかとなるほどだ。
光輝と結姫の二人はまず、両者の場にある札を確認した。それぞれ、右下段の端に「あ」決まりの「ありまやま」、「ち」決まりの「ちはやふる」。周囲は「ちはやふる」が出ると期待してしまうだろう。
(ありまだな……)
(ありまかな……)
ただ、光輝と結姫は9割方、「ありまやま」だと確信していた。さらに現在、98枚目が読まれた。ということは、次に読まれる札で勝負が決まる。読み上げ機のボタンを押す手がなかなか下りないが、光輝も覚悟を決してボタンを押す。かくして、次に読まれた札は……
「ありまやまー」
出札を自陣に持っていた方がすんなり自陣を守り抜き、運命戦を制した。




