表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/31

8話 前途多難

 「ただいまウェルキン」

 機甲大隊にいた頃の癖で帰宅の言葉を投げるも、返ってくる陽気な声はない。

 当然のことだがここは機甲大隊の隊舎ではなく、私の新たな配属先で家――アストレアパレスだ。

 現在の時刻は25時を回ったところ。

 すでに少女たちは就寝している時間だろう。

 アストレアパレスの中は暗闇と冷気で満たされ、静まり返っていた。

 「システム、照明と暖房をつけろ」

 そんな私の声に対して暗闇が沈黙を返すだけで、システムの反応はない。

 「そうだった。早いところ慣れていかないとな」

 新たな家のアナログ環境を思い出した私は、オンとオフを切り替える物理的なスイッチを押して――目の前に広がった光景に戦慄する。

 「――――――は」

 照明が点灯して部屋が明るくなった。

 暗く朧気だった視界は明瞭になり、室内の様子が明らかになる。

 そこには――私が出かける前に見た光景が寸分違わず広がっていた。決して誇張ではなく、出かける前に見た光景の全てが寸分違わずに広がっていたのだ。


 それは家具だけではなく、そこにいる生命すらも。


 「「「「「――――――」」」」」

 少女たちが立っていた。直立不動で立っていた。

 その髪は空調の吐き出す温風でさらさらと揺れている。

 少女たちが立つその場所は、私が出かけた際に立っていた位置と全く変わっていない。

 私の記憶が正しければ少女の番号の並びから、その向きや角度に至るまでの全てが記憶の中の光景と合致していた。

 それは致命的な――ある一点を除いて、だが。

 記憶の中の光景と目の前の光景が違うのは、少女たちの具合が目に見えて悪化していることだった。

 「お、おい。お前たち……」

 「なんでしょうか、隊長殿」

 私が動揺の色を滲ませた声音で言葉をかけると、少女の一人が冷たい声で答えた。

 「質問だ。なぜ、そこに立っている?」

 「はい、それが命令だからです」

 少女の思わぬ回答に私は首を傾げる。

 私はそのような命令を出した覚えがなかったからだ。

 「質問を続ける。それは誰からの命令だ?」

 「はい、その質問に答えることはできません」

 少女は私の質問の回答を拒否した。

 この命令を出したのは存在を明かせない上層部の人間という可能性もある、か。

 「では質問を変更する、受けた命令の内容を開示できるか?」

 この質問の回答によって少女たちがなぜ立ったままなのか、その原因がわかるはずだ。

 「はい、私たちはこの場所でプラーズ特務中尉の到着を待ち、プラーズ特務中尉から新たな命令を受けて、以後行動するように、との命令を受けています」

 おい、待ってくれ。

 つまり少女たちが動いていないのは、私が命令を更新しなかったから――なのか。

 「っ――現在、君たちへの命令権は誰にある?」

 私は返答を聞くのにひどく喉が乾いて、ごくりと唾を飲み込んだ。

 「はい、現在の命令権はプラーズ特務中尉にあります」

 そうか、全ては少女たちを放置した私のせいだ。

 「確認する。新たな命令があるまでは、この場所で待機することが命令だな?」

 「はい、私たちはプラーズ特務中尉から新たな命令を受けるまでこの場所で待機することを命じられています」

 きっと少女たちは命令以外のことをしてはいけないと教え込まれているのだ。

 彼女たちは命令を順守しただけで、体調が悪化したのは私に責任がある。

 「各員、現在の体調を報告せよ」

 「「「「「――――」」」」」

 少女たちは順番に喉の渇きと全身の冷え、疲労を報告した。

 そこで私はまず、早急に自分がいますべきことを実行に移した。

 キッチンでコップを人数分用意し、その中を温水で満たしてから少女たちに与える。

 しかし、少女たちは一向に目の前の水を飲む気配を見せない。

 コップは温水で満たされた状態でテーブルの上に置かれているが、少女たちはそれを目の当たりにしても微動だにせず、コップに触れようとすらしない。

 ああ、そうか。

 その反応に私は、少女たちにとって命令がどれだけ重いのかを思い出した。

 「命令だ――テーブルの上に置かれたコップの中の水を飲みなさい」

 「「「「「!!!」」」」」

 水分を摂取することを許された少女たちは、貪るようにコップの中の水を飲む。

 そんな少女たちの水の飲み方は、飼育される動物のごとく手を使わずに、自分の口をコップに突っ込んで水を吸い込むというひどく野性的なものだった。

 やがて注がれたコップの水かさが減ると少女の口が水まで届かなくなり、口を開けても水を吸い込めないと気づいた少女たちは、必死に舌を伸ばして水分を摂取しようと試みる。

 私はその光景に、これでは人間に飼育される犬猫だという率直な感想を抱いた。

 仮にこれがスプーンやフォーク、箸の使い方がわからない、ということなら理解できる。

 教えられていないから実行できな――いや、待て。

 もしかするとこれは。

 「命令だ。テーブルの上に置かれたコップを両手で持って、口につけ、傾けて、少しずつ水を飲みなさい」

 私は少女たちの反応に関して気づいたことを実行してみる。

 すると命令を更新された少女たちはコップを両手で持ち、口をつけ、傾けて水を飲み始めた。

 コップの中の水はあっという間に少女たちの体内へと消えて、コップは空となった。

 「命令を遵守するように躾られた、か……」

 私は研究所でのレオの言葉を思い出す。

 少女たちはコップの使い方が、水の飲み方がわからなかったわけではない。

 ただ発された命令が正確さを欠いていただけなのだ。

 つまり、私の命令に不備があった。

 水を飲めという指示に、コップを手に持って傾けるという指示が欠落していたのだ。

 例えるならこれは、機械のプログラムと同じだ。

 プログラムがコードに書かれていない内容を実行できないように、少女たちもまた命令に含まれていない行動は実行できない。

 幸いにも少女たちはコップと水が何かを理解していたし、飲むという行為がどのようなものかも理解していた。

 それは名称や行為を正しく認識し理解しているということになる。

 少女たちがこのような性質を持って育ったことは、自らの意志で選んだ結果ではない。

 だが、この純真無垢ともいえる少女たちの性質は、私が自分の手で改良改造を施し、向き合ってきたカラーギアのプログラムに通じる部分があった。

 このことから私は少女たちの育成に対して少しの希望を見出していた。

 また、それを自覚したことで今日の彼女たちへの仕打ちに罪悪感が込み上げる。

 「……すまなかった。この小隊を預かるものとしての自覚が足りなかった」

 私は少女たちに向けて精一杯の謝罪を込めた礼をする。

 少女たちが寒さと渇きに苦しんでいる間、私は酒場で仲間と飲み食いをしていたのだ。

 私が立場上彼女たちの上官にあたるといっても、それで許されるとは思えなかった。

 「「「「「………………」」」」」

 私の謝罪に、少女たちはどうしていいかわからないという風に視線を泳がせている。

 私はとりあえず、と一呼吸置いてから言葉を続けた。

 「ずっと立ったままでは辛いだろう。命令だ――緊張状態を解除、楽な体勢をとれ」

 私がそう告げると、少女たちの体がブルリと震えた。

 水分を補給したことで体の機能が活性化し、緊張が解けたことで体が反応したか。

 「排泄をしたいものはトイレに行きなさい。トイレを使用する順番は番号順に行うこと」

 命令を受けた少女たちはタタタッという軽い足音とともにトイレに向かっていく。

 「あ……しまった」

 トイレに向かって駆け出した少女の手にはコップが握られたままだった。

 「命令を追加する。水分の摂取を終えたときは、容器を机の上に置いて手から離すこと」

 広い館内のトイレまで聞こえるように、大きな声で新たな命令を出す。

 すると少女たちは再びタタタッという足音を立ててこちらまで戻り、コップを置いてから再び駆けていった。

 トイレで排泄を行っていいという許可を与えられたが、コップを置いていいという許可は与えられていない……か。

 このままでは戦場で戦うどころか、実験を受けるために訓練するのも覚束ない。

 これから先、ある程度のことは自分で考えて行動できるように少女たちを訓練する必要がある、か。

 私は部隊の先のことを考えて頭を抱えつつ、少女たちを調整用の医療ポッドに入れてから、自分はふかふかのソファーで横になった。

 「この子たちを実験の道具にする、か……」

 アストレアパレスに私がやってきたときに見たショーケースのような装置は医療用ポッドだった。

 それは少女の人数と同じく5つ整然と並んでおり、中の青緑色の液体が室内を彩るように照らしていた。

 青緑色の液体で満たされた装置の中では、少女たちが気持ちよさそうに眠っている。


 私は少女たちとどう向き合えばいいのだろうか、その答えはまだ――出ていない。

 自分の目的のためなら全てを捨てる覚悟をした私と、天津のために消費される前提の少女たち。

 少なくともいま、彼女たちに死なれては実験が遅延してしまう。

 切迫した実験のスケジュールを組み立てながら、私は意識を闇に落とすのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ