7話 禁忌の研究
「――さぁ始まります。僕たちはモニター越しに見守りましょう♪」
レオが眼前のスクリーンを大きく展開する。
ここから階下までは距離があるため、実験体の細かな様子を目視で観察するのは難しい。
そのための配慮だろう――いや、先ほどの重火器のことを考えれば、実験中に発生するイレギュラーに対しての配慮だろうか。
「実験が承認されました。実験日――開始時間――実験監督官、新研究主任レオ・――実験番号2049号、被検体コードffffa8、CEM幼体イエロー24を使用――」
研究員が淡々と今回の実験内容、その概要を読み上げていく。
それから間もなく天井を這うクレーンが動き、中に人が入った水槽の真上で停止する。
垂直に降下したクレーンが水槽に接続され、水槽内部に拳大の生物が投入された。
ドボン、という水音を立てて水槽の中に投入された黄色の生物は、その体を小刻みに動かしながら新たな環境に自身を適応させていく。
そして周囲の安全を確認したのか、丸まっていた生物はその体を伸ばして移動を始める。
全身が露わになったその生物の見た目は線虫を大きくしたような細長い生物だった。
何かを探すように黄色の体を伸ばして水槽の中を自由に泳ぐ生物が人の身体に触れたかと思えば、その下腹部を撫でるように調べ始めた。
水槽の中の少女は未知の生物に体を弄られているという状態にも関わらず、反応一つ見せることはない。
おそらく投薬によって意識を一定に保つように調整されているのだ。
「興奮剤の投与、開始します」
事務的な言葉の後で水槽に液体が注入され、無色透明だった水の色に変化が起こる。
その液体に反応したのか人体のバイタルを表示する画面の数値が一部上昇し、それに合わせるようにして未知の生物もまた、どこか警戒するような機敏な反応を見せ始めた。
「この状況は投薬によって意図的に作ったと思うが、その理由は?」
「そうですね。これはいわば生命が脅かされる状態を作っています。あの生物はCEM幼体といって、我々が品種改良を重ねている生物なのですが、この生物が普通に人間を捕食した場合に生まれてくるのは、純粋なCEMになります。しかし僕たちが目指しているのは純粋なCEMの培養ではない」
「CEMか……」
レオの説明に熱を帯びた思考が冷えていくのがわかる。人体実験なのだから人の道に外れたことが行われるのは想像していた。
CEMが使われることも実験小隊の資料で知っていた。
しかし目の前で行われるそれは、文字の羅列からは得られない人としての忌避感を私に覚えさせる。
だから私はこの実験を直視vするために、自分をひたすらに冷たく冷徹に変えるのだ。
「まぁ見ていてください。ここからが見ものですよ」
私が自分を律しつつ画面を見守っていると、CEM幼体の動きに変化が見られた。
最初はスイスイと水槽の中を泳いでいた生物の動きはいつの間にか緩慢になり、その体の色が薄くなってきているように見えた。
これは生物が薬の効果によって弱っているのだろうか。
「合体反応確認できず、投薬を継続します」
生物の変化が満足できるものではなかったのか、研究員は事務的に継続を宣言する。
それから投薬が続けられてさらに数分が経過した頃、ついにそれは起こった。
先ほどよりも弱々しい動きになった生物が少女の下腹部にぴったりと張り付いたのだ。
そして――――生物は少女のへその穴から――――人体の内部へと侵入を開始した。
『――ッ、――ッ、――ッ!?』
水槽の中の少女は異物の侵入を拒否するように体を退け反らせる。
しかし少女の手足は水槽内に固定されており、その状態では満足な抵抗をすることもできない。
そのため生物はなおも穴を押し広げるようにして体内の奥深くに侵入を続けた。
そのように生物の侵入を許し続け、強制的に押し広げられる少女のへその穴の周囲は、生物と同調したように黄色の淡い光を放ち始めていた。
そしてその行為が人体にとって害であることの証左として、少女の体をモニターしているバイタルメーターの数値は乱高下を続けており、危険な状態を示すアラートがひっきりなしに鳴っていた。
少女の体に生物が入っていくという痛ましい光景を目にしても、まるで予定調和の出来事だというようにして、この研究所に実験を止める者は誰一人としていなかった。
だがそれは考えてみれば当たり前のことだ。
目の前で行われる実験によってこの状況を作り上げたのは――彼ら研究者なのだから。
「う……これは、まさか。これが合体、なのか」
私は目の前の光景に務めて冷静でいようとするが、人が生物に犯されている場面を見せられて心を揺さぶられない人間などいるのだろうか、と吐き気を催しながら思った。
その一方で、この実験の行く末に興味を持つ壊れた自分がいることを私は自覚する。
「我々が目指すのはカラー使いカラードの安定的な量産、そのための――」
私が一人で葛藤しているうちに――にゅるり、という音がきこえた気がした。
ついに未知の生物は体内への侵入を完了、その体の全てを少女の腹に収めていた。
『――ッ!?! ――ッ!!? ――ッ!?!!?!』
少女は異物の侵入によるショックで目を見開き、ガクガクと痙攣を繰り返していた。
やがて妊婦のように膨れ上がった少女の下腹部には黄色の紋様がくっきりと現れ、そこを中心に黄色の発光が少女の体全体へと広がっていく。
なんなんだ、これは。
私は何を見せられているんだ。
「これはCEMと人間を掛け合わせる実験なのですから、ね。ですが……ああ、やはりダメのようですね。これは失敗です。――おい、処分の準備をしろ。出てくるぞ」
いつしか水槽は静かになって黄色の発光も収まり、水は真っ赤に染まっていた。
少女の状態を示すモニターは、静かに真横へ伸びる一本の線を延々と表示している。
それは少女の命が完全に停止したことを意味していた。
「結果はご覧のとおりです。現状では母体がCEM幼体のカラーを受け入れることができずに死んでしまう。カラー研究の進んだ大和から仕入れたカラードの遺伝子クローンを使用しても、いまだ成功率は1%にも届いていません。特務中尉を研究所にお呼びしたのは、あなたがカラーギアに使用していた技術がとても興味深いものだったからです。その技術は上層部に期待されています。あなたが一年という短い期間で何を見せてくれるのか楽しみだ。くくく」
そう言ってレオは明るく、不気味に、心の底から楽しそうに笑った。
実験が失敗するのは仕方がない、命が失われるのは些細なことだというように。
「……ああ。成果は必ず出すさ」
彼らはただただ実験の成功のために、犠牲を積み上げてきたのだ。
この実験に参加するということは、私もその行為に加担するということを意味している。
「実験の日を心待ちにしています。訓練校主席、機甲大隊若手ホープの特務中尉♪」
悪夢のような実験見学を終えた私はアイリス研究所を後にした。
研究所で目の当たりにした光景を頭の中へと焼き付けるように、反芻しながら帰路につく。
脳内で反芻される実験の記憶――その最後には、怪物と化した少女が重火器によって駆除される音が響いていた。
今日、実験小隊の資料を読み、アイリス研究所で行われた実験を見学してわかったことは以下の通りだ。
・私が配属された実験小隊は、あのCEM幼体を用いた実験で使用する実験素体を育成するための場所であり、完成した少女をカラードとして運用するための部隊だということ。
・軍上層部が私に目をつけた理由はカラーギアのカラー制御技術が目的だった。
・正気のままで研究を続けることは不可能だろうということ。
カラーギアに使用する技術を人間に対して転用するなんてことは考えもしなかった。
それも人間とCEMとの適合のために使うなど……狂気の沙汰としか思えない。
だがこれからは私も研究所の実験メンバーに加わり、その当事者となる。
命を使い捨ての雑巾のように扱う人間の仲間になる――――それが、どうした。
私は自身の目的を達成するために無駄な感傷を殺さなくてはならない。
その程度の感情も殺せなければ、お姉さんの願いを叶えることなど不可能だ。
なぜなら私の目的は――――この手で最愛の人を殺すことなのだから。




