6話 研究員レオ
区画間を隔てる大きなゲートを抜けて研究区画へと入る。
そこには生活感の欠如した空間が広がっていた。
研究区画内は円形で曲線を描いた形状の建物が多く、その多くがコズミックブルーに統一されているせいで長く見続けると目が痛くなる。道は全てが動く歩道で、そこら中に進行方向を示す矢印があり、全ての車両は空中をビュンビュンと飛び交っていた。
光と無機質で構成された空間は命の機微が失われた完全な別世界だ。
《プラーズ特務中尉。アイリス研究所への立ち入りが許可されています。ドローンの誘導に従って行動してください。従わない場合――》
案内用ドローンがつらつらと案内と注意事項を述べる。
私はその誘導に従って研究所を目指した。動く歩道を右へ左へと切り替えながら、巨大な建物の間を縫うようにして進んでいく。
移動を続けること数分、アイリス研究所とロシア語で書かれた施設が見えてきた。
幾何学的なデザインに虹の光の線が壁を走る、巨大なドーム型の研究所だ。
「……ここが目的の場所か、ここまで大きいとは驚きだ」
施設の入口に立った私を研究所のセンサーが上から下まで精査していく。
それからすぐに研究所入口の扉が開き、奥から白衣の男が姿を現した。
白衣の男は飄々とした態度で両手を広げ、私に対して友好的な歓迎の格好をとる。
「ようこそアイリス研究所へ。特務中尉殿、時間通りですね。かねてよりお噂は聞き及んでおります。僕はこのプロジェクトの主任研究員、気軽にレオとお呼びください。僕はあなたのファンでして――『あの戦い』、見せていただきましたからね」
あの戦いを見た――つまりこのレオという男には、私が先の戦いで犯した命令違反は知られている――彼は軍上層部と関わりのある人間と判断していいだろう。
「こちらもプラーズで構わない。そちらが私に求めることは全てやるつもりだ」
「そうですか。ええ、話が早い人は嫌いじゃない」
肩までかかるもさっとした白髪に古風な丸メガネ、不気味な笑みを絶やさない猫背の男性――レオは卸したてのようなパリッとした白衣を翻して、私を研究所の中へと促した。
『そこの日陰に僕も入れてくれよ。かけっこするより読書のほうが好きなんだ』
その相貌は孤児院で出会った少年を想起させるが、彼はこのように飄々とした男ではなかった。
よくある他人の空似というやつだろう。
私は上半身を左右に揺らして進むレオを追い、無駄な思考を省いてただ後に続く。
アイリス研究所入口の先には一本の長い通路が伸びていた。
無機質な通路の壁にはまるで見せ物のようにされた、多種多様な光景が広がる。
その光景は部屋によって様々で、広々とした真っ白な空間にベッドがぽつんと置いてあるだけ部屋、壁一面にデフォルメされた子供の絵が並ぶ部屋、赤で彩られた液体に満たされた部屋、ドンドンと規則的な音が聞こえる暗い部屋――およそまともなことが行われているとは思えないが、私がこれから研究する内容も、つまりはそういうことなのだろう。
「そうだ。アストレアパレスのほうに届けておいた素材は確認しましたか?」
「素材――ああ、確認している。精密な検査はまだ行っていないが」
この素材が何を指しているのかは言わなくてもわかる――あの少女たちのことだ。
私は人を道具として扱うことに慣れるため、努めて冷静を装い返事をする。
「届けた少女たちはこの研究所の中でも一級品の個体を選別していますから、特務中尉のお眼鏡に叶うと思いますよ。命令を遵守するよう躾をしていますし、多少の痛みにも慣れています。例えば臓器を差し出せと命令すれば自分の体を切ることも躊躇しません」
「臓器……そんな命令をすることはないと思うが」
私は素っ気ない返事をしつつも、その内容をしっかりと脳に刻み込む。
「くっくっくっ、指揮官の命は何よりも大切ですから、覚えておいてくださいねぇ」
そしていよいよ趣味の悪い会話と共に趣味の悪い通路が終わり、重厚な扉が姿を現した。
古めかしい物理的なダイヤルロックの扉は、部屋というよりも金庫を想像させる。
それだけ大事なものが奥にあるということなのか、これまで見てきた部屋とは一線を画す風格を見せていた。
レオがダイヤルを回せば、扉は金属を引きずる重い音を立てながら開き始める。
「ここはハッキング対策で電子錠と物理錠の二重構造になっています。さぁこちらへ」
扉が開いたことによる内外の気圧差で風が吹き抜けた。
薬品特有の臭いが鼻をつく。
「ああ。行こう」
扉の先に進んだ。
一歩、光の中へと――あるいは。
闇の中に踏み出して。
「――――――は」
そして開いた扉の中へと足を踏み入れた私は言葉を失った。
「いかがです? 壮観でしょう。未だ準備段階ではありますが、この施設が本格稼働すれば天津は大阪と大和を下し、日本を再統一することができる――軍上層部はそうお考えです。しかしまだ研究は完成していない。あなたにはその一助となってもらいたい」
目の前に広がっていたのは、機甲大隊のカラーギアハンガーよりも広大な空間だった。
それを見渡せる上階部分に私は立ち、階下では水槽のような入れ物を囲うようにして研究員がひっきりなしに動き研究を進めていた。
この施設で働いている研究員の数は、空間をざっと見渡しただけで数百人単位であることがわかる。警備やその他のスタッフを含めれば倍以上の人間が働いているはずだ。
それだけの人員を投入する、可能にしたという点から、この研究所で行われている研究内容が上層部の肝煎り案件であることが実態としてよく理解できた。
そして私はこのフロアに規則的に配置された長方形――水槽の存在に目を移した。
その配置された数から実験の主目的に使用されるであろう実験道具らしき水槽の中身は水で満たされており――中には人型の影が浮いて無数の管が取り付けられていた。
「……人体実験か。これから見せてくれるのか?」
通路から見えた部屋の数々を思い出せば何も驚くことはない。
むしろ、やはりそうだったかと納得する気持ちのほうが大きかった。
「ええ、もちろん。おや? もしかして我々のやっていることに嫌悪感を抱かれましたか? くっくっく、だとしたらそれは――まだ少々、早いかもしれません」
私はレオの謎めいた言い回しに耳を傾けつつも、気づけば水槽を映したスクリーンに歩み寄って、これから始まる実験への期待に体の熱さを自覚するほど興奮していた。
それはこの実験がカラーに関する最先端研究で、天津という国家の莫大な予算が投じられた――研究者にとって垂涎の内容だと私は直感で確信していたからだ。
その熱に浮かれて階下を注視する様子が嫌悪していると受け取られてしまったようだ。
「そんなことはない。これから何も見せてくれるのか楽しみで仕方ないくらいだ」
気分を高揚させた私は早く実験が見たいと胸を高鳴らせる。命を軽視する彼らのことを常識に則って嫌悪する自分の良心など、どこにもない。
「ふふっ、どうやら無駄な心配だったようです。おい、実験を開始しろ」
レオの言葉を合図に複数の研究員が動き出す。そうして作業を始めた彼らの周りには研究員の装いとは異なる存在がいた。
黒いフルアーマーで全身を武装した集団だ。
物々しい彼らが動くたびに聞こえる可動音から推測するに、あれは軍用パワードスーツか、もしくは機械兵の類だろう。
私が気になったのは、彼らが手にしている武装が重火器に類するものだということ。
それはつまり、この実験にはかなりの危険が伴うということなのだろうか……。
「――さぁ始まります。僕たちはモニター越しに見守りましょう♪」




