4話 マテリアルガール
「ふぅ――今日はかなり寒いな。もう少し厚着をしてくるべきだったか」
機甲大隊隊舎を出た私は配属先の実験小隊の仲間と顔合わせをするべく、地図上にマッピングされた実験小隊隊舎へと向かって歩いていた。
軍部が占有する天津A区画の中でも機甲大隊に当てがわれた場所は、カラーギアの運用という部隊の性質上かなり広い敷地がとられている。言ってしまえば広すぎる上に建物同士の距離が離れているため、移動するたびに不便さを実感させられる区画になっていた。
『我々は祖国――日本の国土を取り戻すために戦わなくてはならない! 生えある天津国民として、神聖なる日本の国土を穢す大阪と大和を排除しなくてはならないのである! 現在の目標は富士機械化要塞の攻略にある。団結せよ国民! 天津の未来のために! 日本の未来のために! そして、我々を支援してくださる――中華皇帝ゴサイ・カムイ陛下に最大の感謝を! 天津万歳!!! 中華万歳!!! 日本万歳!!!!!!』
日常的に鳴り響く政治放送を耳にしながら、ざくざくと雪の積もった道を進む。
頭蓋の中まで響く政治放送の内容は天津という国を端的に表していた。
旧日本領の北海道に建国された天津は――――――中華ロシアの傀儡国家なのだ。
政治放送に頭を抱えながら雪道を進んでいると、視界の先に館が見えてきた。
パッと見た外見は物語に登場するような洋館だというのに、どこか現実感がなく頼りなさを感じてしまうのは、周囲に森どころか建物の一つも存在していないせいだろうか。
私は古い西洋映画の幻でも見ているのかと一度目を閉じてみるが、再び開いた視界に飛び込んでくるのは大きな館とアストレアパレスの文字、やはりここで間違いないようだ。
勝利の女神の宮殿、ね。
「本日付でこの小隊の隊長に任命された――プラーズ特務中尉です」
扉を叩き、自己紹介をする私の声に返事はなかった。
ましてや返事どころか館の中は静まり返っていて、物音一つ聞こえてこない。
これは本当に人がいるのかもあやしいレベルの静けさだ。
「……まぁ開くよな」
試しにと渡された紙束に挟まっていたカードキーをかざしてみれば、扉のロックが解除される。
前世紀の機構を使用して扉を開錠するのもどうかと思いつつ、私は両開きの扉を開いた。
開かれた扉の先――アストレアパレスの中はとても暗く明かりが点いていなかった。
そして扉を開いたことで中の空気が動き、吹き込む冷気が私の身体を撫でる。
室内はとても寒い。この寒さは空調が機能していない可能性があるな。
「失礼しま――ううっ。システム、空調を適温に。照明を起動しろ」
館内の制御システムは沈黙しているのか、私の言葉に反応しなかった。
「なんだ故障か? 古い建築物だから――いや、これは」
私は扉の施錠がカードキーだったことから、この施設に音声入力制御が導入されていない可能性に思い至る。そこで手動の制御スイッチを探すことにした。
「――と、これか?」
暗闇に目が慣れてきた中で壁を調べていくと、カチリという小気味のよい音が鳴った。
《システム起動――空調、照明を再設定――》
短い機械音声が聞こえたかと思えば部屋の明かりが点灯した。同時に空調が機能し始めて温風が吐き出され、凍えるほど低かった室内の温度が上昇する。
「ほぅ……これは。マホガニー製に見えるが……本物か?」
照明が点灯したことで室内の様子が明らかになった。
どうやらここは洋館のリビングにあたる場所らしく、広くスペースがとられていて複数人で使用するサイズの机や椅子が並べられていた。
家具は本物と見間違うような本格的で高級感の漂う作りになっているが、果たして天津の懐事情に家具や装飾品へと予算を投じる余裕があるのか、その真偽は不明だった。
「さて――明るくなったはいいが、誰もいないな……うん?」
私は視界に映る違和感の正体に気づき、その場所へ近づいていく。
それは館内の温度や家具の真贋など思考から吹き飛んでしまう、この館の存在理由ともいうべき場所だった。
「――うわっ。本当に女の子……ウェルキンのせいで見ている夢じゃ、ないよな」
私は館の内装に似つかわしくないショーケースのような装置が並べられたスペースを発見する。その中には見窄らしい格好の少女が直立していて、眠っているように見えた。
どうやら館のこの部分だけは最新の設備で作られており、別の電源で稼働しているようだった。
少女の外見は十歳前後で、その数は――1、2、3、4、5人いて、ショーケースのように装置に収まって並んでいる。
首には白色のチョーカーが嵌められ、足は裸足。身に纏っているのは手術着のような一枚のみであり、装置の外に出てしまえばいつ凍死してもおかしくない装いだった。
そしてその手術着には、それぞれ六桁の英数字が書かれていた。
『プラーズ特務中尉の生体反応を確認。マテリアル起動します』
装置の中で眠る少女たちのことをしげしげと見ていれば、館内に電子的な音声が流れた。
かと思えば少女たちの目が開かれ、ショーケースもまたその無機質な入口を開く。
5人の少女は何を話すでもなく私の前に整列して、その無表情を顔に貼り付けたまま私のことを見つめている。
その瞳は幽鬼のように冷たく、意志の光が薄弱に感じられるのは私の気のせいだろうか。
「き、きみたちは……何者だ?」
私は目覚めた謎の少女たちに向け、務めて冷静に問いを投げる。
「000000」冷たい声の少女が言った。
「dc143c」明るい声の少女が言った。
「ffff00」寄り添う声の少女が言った。
「98fb98」おどおどした声の少女が言った。
「4169e1」ゆったりとした声の少女が言った。
少女たちが口にしたのは、自らの服にそれぞれ印字された六桁の英数字だった。
まさか本当に、管理番号のような英数字が名前とでもいうのだろうか。
「これは、どうしたものかな」
小隊の隊長に任命されたと思えば、待っていたのは機械の如く応答する少女たち。
彼女たちとどう接すればいいのかわからない。まずは一旦落ち着いて大尉から渡された資料を確認する。
私は大尉から手渡された資料の中から実験小隊の名簿を確認していく。
そこには眼前の少女たちの写真と、聞かされたばかりの英数字の羅列が載せられていた。
この名簿の内容は目の前の少女たちと完璧に合致する。
「本当にこの子たちが兵士で実験小隊のメンバーとは……うぅむ、困ったな」
幼い少女で編成された部隊というのも異質だが、とりわけて異質なのは名前に英数字を使うという、人間の扱い方そのものにあると私は感じた。
私はこの実験小隊の存在に、普通の軍務とは逸脱した気配を感じ始めていた。
そして名簿の先へとページをめくる。
「ハッ――これは。ハハハハハハハハ。ハハ――はぁ……これは狂気、だな」
私はパージをめくった先に記述される内容に声を上げて笑った。狂いそうになる乾いた笑いだった。
大尉から渡された紙束には部隊の名簿から創設の経緯まで詳細に書かれていた。
命令書に付属する部隊概要にはカラーおよびカラードの有用性、孤児や奴隷、遺伝子クローンを使った実験部隊の創設から今日までの経緯、その目的が記されていた。
「この部隊の兵士は……その目的は……」
『マテリアルガール・カラーコード』
その名で呼称される少女たちはただの素材で、英数字の番号で管理される存在だった。
今回、私に与えられた極秘任務の内容は、素材となる少女たちをカラーギアの装備と同じくカラーを効率的に扱えるように調整し、訓練し、兵器として運用可能レベルまで仕上げること――そしてその後に発令される重大作戦に参加して成果を上げることだった。
ここは使い捨ての素材で編成された――非人道部隊。
この部隊での任務の遂行に必要なのは、人間を物として扱っても壊れない氷の心と、実験が成功に届くまで、ひたすら屍を積み上げる覚悟だ。
それは一度壊れた人間ならば問題なく行える――そんな思惑あってのご指名か。
大尉は軍上層部には意図があると言っていた。
軍上層部に見透かされているのだ――私自身が、壊れているということを。
あの戦いで全てを失い、壊れていることを知られてしまったのだ。
「そうか。そういうことか」
私という人間はひどく壊れているくせに目標が、目的があった。
死ぬ前になんとしても果たさなければならない誓いがあった。
漆黒の闇に溺れながらも――――眩い光に手を伸ばす罪人。
そんな私にとって、この血塗られた任務が与えられたことは吉報だといえた。
口の端を歪に歪めて、私は笑う。
「私はカラーギアを失い、機甲大隊を追われ、無力な存在となった。だからお姉さんの願いを叶えることはできない。だが、この非人道部隊を戦力として鍛え上げればお姉さんの願いを叶えることができる――おまえたちは私の希望だ」
私は素材の少女たちを使い潰してでもお姉さんの願いを叶える。
命を薪にしてでも成果を上げてやる。
最強のカラードを生み出して軍上層部に示し、お姉さんの願いを叶えるために利用するのだ。
そして力を手に入れ、全てが終わった後のことはどうでもいい。
私はお姉さんに全てを捧げた身だ。
この魂が歪み、罪禍に塗れ、最後には地獄の業火に焼かれようとも構わない。
全ては愛するお姉さんのために。
ああそうだ。まずはその第一歩のため、すぐに出掛けなければ。
今夜は素材の話をするためにアイリス研究所にて、とある男と会う予定がある。
研究員レオ、これが私の共犯者(敵)となる男との――出会い(再会)だった。




