3話 止まれぬ願い
「大尉、納得できません。この人事は明らかに不当です。私はこの部隊に配属されることで自分の能力を十全に発揮できるとは思えません」
気づけば私は上官に対して声を荒げていた。
それは執務用のこぢんまりとした部隊長室に響き渡るには十分すぎる声量だった。
いまの私は、意図の不明な辞令を告げられたことで冷静さを欠いている。
そんな私に対して、積み上げられた書類の山を猛スピードで片付ける男性――私の直属の上司であるラムゼイ・アドハイト大尉は作業の手を止め、その小麦色の肌に生える整った髭をさすりながら、ため息混じりに答えた。
「そうだな。そうかもしれん。だがそれが上の決定だ。君が憤るのは勝手だがね。それに君はその対価として、昇進という十分すぎるほどの名誉を得ているではないか。まずは上の指示に従い、今後のことは与えられた責務を果たしてから考えてみてはどうかね?」
普段はゆったりとした雰囲気の大尉が鋭い眼光で私を射抜いた。
そこでようやく私は、自分が我儘を通そうとしていることに気づく。
「で、ですが――いえ、すいません」
「あえて言うが、君は上の決定に抗弁できる立場ではないはずだ。戦場で行った数々の命令違反、忘れたわけではあるまい。療養期間中にボケたとは言わせんぞ」
大尉の言い分はもっともだった。
私は命令と規則が全てとされる――軍隊という組織の中にあって、数々の命令違反を犯した。しかし私に告げられた辞令は、少尉から特務中尉への昇進だった。
これが通常の任務であれば戦場での功績を評価してもらえるのは名誉なことだ。
しかし同時に、私は失態と表現すれば可愛く思えるほどの罪を犯してもいる。
戦場での命令違反、カラーギア自機の喪失に加え、結局は補給部隊の救援に失敗した。
ここまで違反を重ねれば独房行きは当たり前のことで、入隊時から積み重ねてきた功績も、重ねた失態で全て打ち消しになると思っていた。
「上がカラードの育成を目的とした部隊に君を転属させたことには私も驚いている。だがこの抜擢には意図がある。すでにこの昇進が噂として兵士に漏れていることからも明らかだろう」
そんな私に待っていた現実は、異例の昇進に合わせた新規に編成されるカラー実験小隊への転属、それもいきなり小隊長への大抜擢だ。
そもそも罪に問われないこと自体が異例で、軍人を続けられるのは奇跡と言える。
しかしこの転属の内容は機体にしか興味のない私にとって拷問と呼べる辞令だった。
「君がギアハンドラーとして適性が高いのは知っているし、執着するのもわかる。だが、君は目立ちすぎた。孤児院出身でありながら軍事訓練校を首席卒業、出撃前の大規模演習では教官を無許可改造した機体で圧倒。そこに今回の一件だろう。上の意図を探る意味も兼ねて、一度表舞台から離れてみるのもいい機会だと思わんかね」
「しかし――カラーギアがなければ、今の私には、何も、残りません」
私は泣き言のような言葉を漏らした。
決して上官に言うような内容ではない。
大尉は私の言葉に咎めることも慰めることもしない。
ただ大海のように深い瞳が泰然と私を貫いていた。
その瞳に私は、自分が試されているような気がした。
一瞬の沈黙の後、そうだ、と大尉は思い出したように言葉を続けた。
「今夜、実験小隊の素材について話があるとアイリス研究所のほうから打診がきている。そちらの対応を頼むぞ。私はまだこいつを片付けねばならんからな。通達は以上だ」
大尉は積み上げられた書類の山を叩き、柔和な笑みを浮かべて会話を打ち切った。
「は、は――了解しましたっ!」
大尉は物腰を柔らかくして伝えてくれているが、他の上官であればそうはいかない。
これは転属させられる部下へのせめてもの配慮で、失言を見逃してくれているのだ。
であれば、これ以上自分の我儘で大尉の手を煩わせるべきではない。
私は最大限の敬意を込めた敬礼をしてから部隊長執務室を退室しようとする。
その背中に声がかけられた。
「ああ、そういえばこれを渡していなかった。実験小隊に関する詳細資料だ。極秘扱いのものだからあえて紙にしてある。管理はしっかりな――プラーズ特務中尉っ」
書類の山から紙束を引き抜いてこちらに渡してくる大尉、書類の山がぐねぐねと揺れる。
私は山のうねりに狼狽しながら紙束を受け取り、今度こそ部隊長執務室を後にする。
特務中尉の部分を強調された理由がわからず、私はただただ困惑するのだった。
「よぉーこれはこれは栄転らしいですねぇ、特務中尉殿っ」
部隊長執務室から私が退室してくるのを、まるで見計らったかのように絡んできたのは、機甲大隊で同中隊――タイタンフィールドの仲間であるウェルキン・ライト少尉だった。
ツンツンとした金色の短髪に溌剌とした眩しい笑顔がお似合いな、長身のイギリス人だ。
彼は私と同じギアハンドラーで入隊も同期、寮の部屋も相部屋ときている。
おかげで隊内の人間では一番話せる悪友――気の許せる仲間になっていた。
「ぐっ苦しい、ウェルキン首が、首が締まってる、締まってるって」
私はギブアップの合図にと彼の腕をばしばし叩く。
それからわざとらしく強調した彼の言葉には、とりあえず苦言を呈しておくことにした。
「昔から相も変わらず耳が早いのは流石だが、ウェルキン――げほっ。階級の特務の部分だけを強調して呼ぶのはやめてくれ。絶対に嫌味だろ」
積極的に会話をすることを好まない私と違い、部隊の垣根を超えて交流をもつ彼は噂話の類を耳にするのが恐ろしく早い。さらに洞察力を持ち合わせる彼は、私が特務中尉に昇進したこと、その中尉という肩書きは特務を任命されているからこそ特別に与えられたものであることも、当然知り得た情報から推察しているはずだった。
「おいおい俺は純粋に祝福するつもりできたんだぜ。特務中尉殿っ」
「はいはい。ソレハドウモー」
まぁなんというか、ウェルキンの軽い態度のおかげで多少気分が紛れたのは間違いない。戦場に必要なのはこういう明るいやつなのだろうな。私よりもよほど隊長に向いている人材だと素直に思う。
「受け答えが棒読みじゃねぇか。てか! それよりも! 新しい小隊はどんなところなんだよ〜。教えろよ〜。女の子は! 可愛い女の子は! 特にメイドはいるのか!」
肩に手を回して急に顔を寄せてきたかと思えば、やたら真剣な面持ちで呟くウェルキン。
だが機械弄りが趣味の私は、部隊に所属する人間の容姿に全く興味がなかった。
「おまえ……どう考えてもその特定の部分が知りたいだけだろ! 私も資料を渡されたばかりで詳しいことは知らないんだよっ。これから部隊隊舎行くところなんだからな」
「なんだよ〜まだなのかよ〜。まっ、可愛いメイドがいたら紹介頼むぜ♪」
「はいはい。そこは安心していいぞ。部隊にメイドはいないものだからな」
大事なのは容姿よりも私にとって有用なのかどうか、その一点につきる。
「お前は夢とロマンをわかってねぇなぁ。はぁ、あーそうだプラーズ。タイタンのみんなが送別会やるって言ってたぞ。も・ち・ろ・ん参加するよな? ――よし決まりぃ!」
こちらの返答を聞く前に参加を決めてしまうウェルキン。
どうやら私に拒否権はないらしい。
酒の席は得意ではないのだが、せっかく私のために開いてくれるならば行くべきか。
「わかった、わかったよ。ちゃんと行くから。でも新しい部隊の顔合わせの後になるし、その後も予定があるから長い時間は参加できないけど、それでもいいか?」
「おーう。先に集まって勝手に始めてっから、全っ然っ問題ナッシングだ」
どうせ私をダシに酒を飲みたいだけだろうな。まぁ、いいか。
「じゃあなー酒場で待ってるぜ〜!」
そう言ってウェルキンは楽しそうにスキップで駆けていく。
彼の姿が廊下の角を曲がって見えなくなるまで、私はその場に立ち尽くしていた。
それは心のどこかで寂しさを感じているから、いつも通り同じ部屋へと一緒に戻る彼が隣にいないから。
そうか――私はもう、タイタンフィールドの一員ではないのだな。
お姉さんを失い、愛機のカラーギア――ダイダロスを失った戦いから一ヶ月が過ぎた。
意識を失った私はボロボロの状態で友軍機に回収され、天津へと帰還した。
一ヶ月の病院生活、高度に発達した医療技術で体の傷は癒えても、心の傷は治せない。
むしろ大阪に取り込まれたお姉さんの言葉は呪いのように私の中で疼いていた。
天津回収部隊のレポートによれば、お姉さんは行方不明だが実質死亡扱いにされ、ダイダロスの残骸どころか魔女の存在さえも、戦場には確認できなかったという。
そんな失意に暮れる私の耳に、兵士たちの会話が入り込んできた。
「おい聞いたか? あのパイロット、命令違反の罪でカラーギアの部隊を追い出されたらしい。それも軍の閑職に飛ばされたんだとよ」
「それ本当か。まぁ孤児のくせに士官学校首席でイキってたから気に食わなかったんだ。いい気味だぜ。軍規違反や不正をしてたって噂もあるし当然の報いだ」
軍人はおしゃべりが大好きのなので、こういった噂はすぐに広まる。
大尉の言っていた通り、すでに噂は広まっているようだな。
その中でも好意的に接してくれるウェルキンの存在がだれだけありがたいことか。
私は身に染みて友の存在が救いになっていたことを実感する。
ただ、人の人生は何を失っても、その命の限り続いていく。
たとえ愛する人と愛する機体、積み上げた地位まで失い、心が擦り切れそうになろうと、軍人の私には当然のように軍務が待っている。
私の人生に歩みを止めるなどという逃避の選択肢は存在しない。
私には何を犠牲にしても進み続け、果たさなければならない願いがあるのだから。




