19話 新たな力
執務室の窓から見える景色は一面の白で覆われていた。
これは天津コロニー内で発生しているブリザードのせいだ。
おかげで交通や物流が麻痺、それは機甲大隊が大規模演習の日程を遅らせるほどの規模だった。
「大規模演習自体は単独行動の私たちに関係ないわけだが、本当にこの寒さは堪える。ふぅ……温かなコーヒーが手放せなくなりそうだ、ん」
ドリップコーヒーを口に含んで独りごちていると、執務室の扉がノックされた。
壁にかかった古めかしいアナログ時計を確認すれば集合の時間1分前となっている。
どうやらコーヒーを淹れるのに時間をかけすぎたらしい。
私が手塩にかけるべきはコーヒーではないのだから。
「――入れ」
私の許可を合図に少女たちが入室する。
その人数は5名。
眼前で整列する少女たちの姿には変化が見られた。
日々少女たちと向き合ってきた私は計器で確かめずとも、その差異がはっきりとわかった。
私はその変化に笑みを浮かべて、これから示されるであろう数値に胸を馳せる。
「よし、では本日の検査を始める。各員――――脱衣!」
私の命令を受けた少女たちは何の躊躇もなく着衣を脱ぎ捨てる。
それは着衣を雑然と放る者と畳む者との差異はあっても、脱げという命令に逆らうものはいなかった。
私は生まれ落ちたままの姿になった少女の体を、余すことなく、入念に確かめる。
それから体内を観察できるスコープを併用して、先日の実験によって変化した箇所を記録していった。
「すごい……これは成長というよりも、進化というべきだな」
私は当初、CEM幼体を胎内へと宿したことで多少の変化があるだろうと、その程度に考えていた。
しかし数値が示したのは劇的な変化で、成長であり、進化だった。
少女たちは自己をCEM幼体の宿主として怪物と共生することで飛躍的な成長を遂げた。
その体の下腹部――へその周囲には紋様が刻まれ、肉体とは別の鼓動が息づいていた。
少女たちは実験を生き延びたのだ。
これからはその状態をより安定させつつ、CEM幼体からカラーを引き出す戦い方を模索していかねばならない。
私に課された任務は実験を成功させることのみではない。
それは任務の第一段階であり前提条件。これから私はこの部隊を率いて戦場に赴き、任務を成功させ、部隊の有用性を証明しなければならない。
よってここから先の指導は、より複雑で困難なものになる。
私はその課題の大きさに頭を悩ませながらも、目の前の少女たちを見て確信する。
これならば勝てる。
大阪を倒すことができる。
お姉さんの願いを――――――叶えることができると。
そして勝利への確信を抱いた私の中に、一つの疑問が浮かんだ。
「キミは――――――誰だ?」
そこには――6人目の少女の姿があった。
その少女は他の少女と同様に全裸で、私の検査を嫌な顔一つ見せずに受け入れていた。
サファイアに輝く瞳が見るものを虜にし、腰まで降ろされた長い金髪はすらりとした長身を際立たせ、その体に備えられた大きな双丘は包容力を主張していた。
その存在を認識するのと同時に彼女の数値を再確認した私は、そこに表示されていた現実を見て驚きを隠せない。
なんとか冷静になろうと自分を律するのが精一杯だった。
彼女はあたかもそこにいることが当たり前だというように全裸で直立している。
その全てが見惚れるほどに美しく完璧な6人目の少女は最高の数値を誇る圧倒的な存在だった。体の下腹部に紋様が刻まれていることから彼女が実検体であることは間違いない。
だが私は研究を開始してから今の今まで、この少女の存在を見たことがない、知らされていなかった。
「「「「「!!!」」」」」
そんな闖入者に対して少女たちは警戒レベルを上げ、即応態勢となって構える。
その敵意の中で少女は私に傅き、凛とした声を響かせた。
「プラーズ特務中尉。まずはこれほどの研究成果、お見事です。それと無断でこの場に居合わせたことをお許しください。さて、自己紹介が遅れました。私はただのアイリス、それ以上でも以下でもありません」
「それで、アイリス。君は何者なんだ?」
「私はアイリス研究所初期被検体群の一体にして、天津の軍上層部が研究所を本格稼働させるに至った――最初の成功例です」
まずは服を着させてくださいと言って部屋に戻ってきたのは一人のメイドだった。
凛とした立ち振る舞いはその全てが洗練されていて、それは彼女が持ち合わせる美貌と相まって侵しがたい聖域を生み出しているようにも見えた。
ふふ、と挑戦的な笑みを浮かべて、メイド服を着込んだアイリスが言葉を紡ぐ。
「私はアイリス研究所所属の天津軍人です。本日付で、このアストレアパレスに住み込みで働かせていただくことになりました。こちらが命令書になります。ご確認よろしくお願いします」
「――は、はぁ?」
突然やってきたメイドはアイリス研究所の初期被検体郡の一体で最初の成功例、そんな彼女がなぜかここで働くと言い出した。しかも軍上層部の命令書付きで。
「おまえたちは下がっていい。この人は敵じゃない」
「ご理解に感謝いたします」
ひとまず私は少女たちの即応態勢を解き、下がらせてから改めてメイドと向かい合った。
「それで――君の目的はなんだ? 家事手伝いが本業というわけでもないだろう」
「そちらも得意ですが、はい。では詳しい自己紹介も兼ねて私の経歴をお話しします。私はアイリス研究所の成功例――CEM幼体と合体した人間であり、実験を生き抜いた後は軍事訓練校で総合戦闘、指揮、諜報とほぼ全ての科目で最高の成績を修めました。それから訓練校を卒業して情報部にスカウトされ、潜入任務に就いていました。現在、その任務が終了して天津に帰還し、あなたの部隊への入隊を言い渡された――というのが私の経歴及び事のあらましです」
アイリスはその体内にCEM幼体を宿した優秀な軍人で任務の経験もある、と。
それは少女たちにとって二重の意味で先輩にあたる存在というわけだ。
「君がこの部隊にとって有益な存在であることはわかった。軍上層部からは入隊しろと言われただけか?」
「私が軍上層部から与えられた任務は、諜報活動で得たカラーの情報をプラーズ特務中尉の元で役立てよ、というものです。私にできる限りの協力はさせていただきます」
諜報活動で得たカラーの情報……か。
確かに天津のカラー研究が遅れていることは周知の事実だ。
仮にその情報がカラー大国であるオーストラリアや大和のものだとすれば、それが私にとって垂涎の情報なのは間違いない。
カラー研究の功労者たちが名を連ねる科学者集団――ネイチャーヘッドもかの国の出身が多いと聞くからな。
「わかった。君を私の部隊に歓迎しよう。まぁ軍上層部の決定であれば私の承諾など必要ないだろうが」
「いえ、部隊長の意向に反して行動するのは私の本意ではありません。私の目的はあなたに仕えることなのです。一応、私の所属はアイリス研究所になりますので、プラーズ特務中尉には半分の忠誠を誓いましょう。では以後、プラーズ特務中尉のことはご主人様と呼ばせていただきます」
なぜか最後の部分だけ語気を強めたアイリス。
最初の律儀な言動と最後の要求が噛み合っていない気がする。
「ここまでの話の中に、私をそう呼ぶに足る脈絡はあったか……?」
「私は軍事訓練学校で最高の成績を収めました。しかしプラーズ特務中尉、あなたの成績には届かなかった。歴史上、誰一人あなたの成績を超えたものはいないのです。だから私は個人的なところで特務中尉に興味があり、あなたに仕えたいと思っているのですよ。――ご主人様♪」
極めて私的な理由を吐露した完璧なメイドさんは、スカートの両端を持って綺麗なお辞儀を見せると諜報活動の報告書を残して退室した。
その退室までの身のこなしが華麗すぎたせいで引き止めることすらできなかった。
やれやれ、急なご主人様呼びは心臓に悪いぞ、全く。
「まさか本当に軍隊の中でメイドさんを部下にすることになるとはな。ウェルキンにバレたら何を言われるか。ともかくアイリスの手土産を確認させてもらうとしよう。カラーの情報とやらは――ッ」
一人になった執務室で資料を読み終えた私は、大国との大きすぎる研究内容の差を思い知らされ、愕然としていた。
「な、なんだこれは……あの国はここまで、カラーの研究を進めているのか……」
その書類のタイトルには――ソウルコア基礎研究概要、と書かれている。
そこにはカラーの制御方法からカラードを意図的に暴走させる方法まで、カラーに関するありとあらゆる研究内容が記されていた。
プラーズはこの研究資料を元に新たな戦い方を模索していく。
これが後に、戦いの切り札となることを確信しながら。




